Fanfiction 二次創作 封印の地|アヴィン危機一髪
アヴィン危機一髪!
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「今日の接待に、君達二人に出てもらいたいんだが。」
バルドゥス開発チームのガウェイン課長じきじきに頼まれて、マイルとアヴィンは目を丸くした。
二人は総務課勤務である。なぜ開発部の接待に行かなくてはならないのか、戸惑うばかりであった。
「あの、僕たち普段接待に同席したこともないんですが、よろしいのですか?」
先輩であるマイルが尋ねた。先輩と言ってもそれはアヴィンとの間のこと。会社全体からいったら、マイルも新入りに近い方だ。
二人が接待にかかわったとすれば、せいぜい先輩や上司を接待場所まで送っていったくらいである。
「うむ。接待相手は某社の豪腕女社長なのだが…、正直な話、本当のターゲットはお客様ではないのだ。」
「と、言いますと…?」
「うちの幻の社員と噂されている二人を知っているかな?」
「あ…トーマスさんと、…ミッシェルさんですね。」
アヴィンが記憶をたどって答えた。
「そう。今日の接待はあの二人がホストなのだ。彼らは世界中にうちの製品を売り込んでいる成績トップの人材だからな。」
「えっ。でも、営業のトップはダグラスさんじゃ?」
マイルが驚いて聞いた。
「エル・フィルディンではダグラスがトップだ。だが、トーマスたちは“世界”を回っているのだ。」
「もしかして…、ティラスイールやヴェルトルーナですか?」
二人はほとんど同時に言っていた。ガウェイン課長は二人の察しの良さに、ニコニコ顔で肯いた。マイルとアヴィンは顔を見合わせた。どちらの国もまだ進出したばかりで、赤字ベースの地域であった。
「二人は右も左もわからない土地で、いい成績を上げているのだ。今度開発した商品も、彼らにぜひとも気に入ってもらいたくてね。」
「……それと、僕たちと、どういう関係が?」
社内の人間に売り込めという趣旨はわかったものの、そこになぜ自分たちが赴かなくてはならないのか。マイルは重ねてガウェインに尋ねた。
「何も知らない僕たちよりも、開発の方が説明に行ったほうが確実じゃないですか?」
「ロアン係長が粘って獲得してくれた追加予算のおかげで、良い物が出来たのだ。喜びは皆で分け合いたいだろう。それに、わしのところの者が動くとあっちの派がうるさいからな。」
「う~。」
直属の上司の名前を出されて、アヴィンは小さな声でうめいた。
考えるより先に体が動くタイプのアヴィンは、数多くの失敗をやらかしており、ロアン係長には全く頭が上がらなかった。
それに、開発のバルドゥスチームとオクトゥムチームの競い合いが熾烈なことは、社内で知らない者はないほどだ。抜け駆けして新商品をトップの営業マンにPRしようものなら、どんな争いが起こるか知れたものではない。要するに、マイルとアヴィンは隠れ蓑というわけだ。
マイルはちらっとアヴィンを見た。アヴィンはすでにあきらめ顔だった。
「そういう事でしたら、微力ながら僕たち二人でお手伝いさせていただきます。ね、アヴィン。」
マイルが同意を求めると、アヴィンもしぶしぶ承諾した。
「精一杯やらせていただきます。」
「そうかそうか。それじゃ、こいつが新製品の試作品と仕様書だ。ちゃんと頭の中に叩き込んでくれ。ベリアスさんのチームには、絶対漏らさないでくれよ。」
ガウェイン課長は、大事に抱えてきた包みを開いて、ファイルやサンプルをいそいそと机に並べ始めた。
二人はそっと顔を見合わせて、ハーっとため息をついた。
「こんばんは、トーマスさんですね?」
指定されたホテルのレストランで、マイルとアヴィンは腕利きの世界を駆ける営業マン、トーマスと会った。
トーマスは二人を頭のてっぺんからつま先まで眺め、「まあまあか。」とつぶやいた。
「バルドゥスチームの売込みだってな。接待の経験は……あんまりなさそうだな。」
「はい。僕たち実は総務の者なんです。」
マイルは正直に答えた。アヴィンはというと、周りのゴージャスな雰囲気にすっかり飲まれている様子だった。あちこちをきょろきょろと見回している。
「接待する相手は元気のいいおばさんだ。若い男と酒が飲めれば楽しいっていうタイプだな。ま、それは俺に任せとけ。なんか聞かれたら、まだ右も左もわからないって顔をしとけ。歳は聞くな。酒を勧められたらつぶれても断るな。うちの内情は禁句。いいか?」
矢継ぎ早に指示されて、二人は思わずしゃきっと背を伸ばした。
「わかりました、トーマスさん!」
「よし。」
両手を腰に当てて頷いて、トーマスは後ろのテーブルをあごでしゃくった。
「商品の説明はあいつにしてやってくれ。そろそろ先方が来るから、手っ取り早くな。」
「は、はい。」
二人はトーマスの後ろを覗き込んだ。
「呼びましたか?」
後ろにいた人物も振り返った。
「バルドゥスチームの寄越した若いのだよ。えーと、名前、何だっけ。」
「マイルです。」
「アヴィンです。」
「だそうだ。先に商品の事聞いといてくれよ、ミッシェル。」
「そうですね。それじゃ二人ともこちらのテーブルへどうぞ。」
穏やかな口調であったが、逆らえない強さがあった。
マイルとアヴィンはミッシェルの向かいに座り、ガウェイン課長に叩き込まれた新商品のPRを行った。
「これが試作品ですか。」
ミッシェルはテーブルに置かれたサンプルを手に取り、実際に触ってみた。玩具というのは見た目だけで本当のおもしろさがわかる物ばかりではないのだ。ガウェイン課長からも、手に取れるような位置にサンプルを置くようにと、細かな指示を受けていた。
「手足可動式自動歩行木人兵1/12シリーズ第一弾ね…。小さなお客様には難しいかもしれませんね。」
「で、でも、開発には十分なリサーチを行いまして、そのう、十分な需要があると見込まれています。」
アヴィンがしどろもどろな受け答えをしていると、ミッシェルがじっとアヴィンを見た。
「…あの、何か?」
おずおずとアヴィンは尋ねた。
「君、そんな言い方でお客様を納得させられると思いますか。」
「えっ……」
アヴィンの顔にさーっと血が昇った。マイルが慌てて二人の間に入った。
「申し訳ありません、ミッシェルさん。必死に覚えてきたんですが、何分急な事だったので…。」
「お客様のご来訪に、急も何もありませんよ。君たちは部署違いだそうだけど、外から見れば同じ社員です。自社の製品も満足に紹介出来ない人から、物を買いたいと思いますか?」
「…おっしゃる通りです、ミッシェルさん。」
マイルは相槌を打った。
『おい、アヴィン。君も謝れよ!』
内心で叫びながら、マイルはアヴィンのわき腹を小突いた。
アヴィンは膝の上で両手をぎゅっと固く握り締めてミッシェルを見返していた。時々口元がひくりと痙攣したが、口は開かなかった。
「……まあ、いいでしょう。」
ミッシェルの方が先に折れた。
「君は、お客様のいる間は口を開かない方がいいですよ。」
静かにミッシェルが言った。アヴィンは悔しそうに顔をゆがめた。
「ご指導いただき、ありがとうございましたっ。」
くどいほど深々と頭を下げ、アヴィンは居たたまれない様子で席を立って行ってしまった。
「おい、アヴィン!」
マイルも慌てて立ち上がった。
「およしなさい。そのうち戻ってくるでしょう。それより、ガウェイン課長さんに伝えていただけますか?」
ミッシェルが呼び止めたので、マイルはしぶしぶ腰をおろした。
「おい、アヴィン…だっけ。どこへ行くつもりだ?」
ミッシェルの前を辞したアヴィンは、足早にホテルを出ようとしてトーマスに呼び止められた。
「俺、接待には邪魔になるようなんで…。先に失礼しようかと思って…。」
語尾を濁すと、トーマスはにやりと笑った。
「ミッシェルに何か言われたんだろう。気にしないこった。あいつは厳しいからな。それじゃ、ここで一緒にお客様を待ってろ。」
「は、はい。」
トーマスに言われるまま、ロビーで待つことしばし。
ホテルに横付けされた高級車から、年配の女性が降りてきた。
「あれだ。付いて来い。」
トーマスはサッとアヴィンの横をすり抜けていった。
「お久しぶりです。また一段とお綺麗になられましたね。」
トーマスは接待相手の女社長を手馴れた様子でエスコートしている。アヴィンは二人の後ろから所在無さげに付いて行った。
「まあ、冗談はやめてちょうだい、トーマス。あら、こちらは?」
まんざらでもない様子で口元に手を当てて笑った女社長は、後ろにくっついているアヴィンをちらりと見た。
「うちのニューホープです。まだ人前に出せる出来じゃないんですが、社長ならお許しくださるかと思いまして。」
「まあ、未来の営業トップなの?名前は?」
「アヴィンです。は、はじめまして。」
アヴィンは最初にトーマスから言われたことを心の中で反芻した。
『歳を聞かない、酒を断らない、社内の話をしない、・・あとなんだっけ。』
「トーマスたちが連れて来るなんて、よほどかわいがられているのね。」
「いえ、とんでもないです。」
ついさっきも叱咤されたばかりだし、と心の中で付け加える。
女社長はアヴィンを気に入ったようだった。トーマスとアヴィンに挟まれて、楽しそうによく笑った。アヴィンは笑顔のまま固まってしまったような自分を、どこかで冷めて見つめていた。相槌を打つだけの事がこんなに疲れるとは思わなかった。
マイルは、ミッシェルと何事か話している。きっとマイルのように頭のいい奴なら、ミッシェルのお眼鏡に叶うんだろう。
『俺、ずっと平社員のままかも…。』
どこまでも気分が落ち込んでいくのをなるべく顔に出さないように、アヴィンはいたずらに杯を重ねた。
「マイル君、彼、大丈夫?」
ミッシェルが声をひそめて聞いてきたとき、マイルもアヴィンのペースの早さに気付いていた。もう顔が真っ赤になっている。それでも片手はグラスを離さない。
「まずいです。アヴィンの奴、そんなに強くないんですよ。」
「ふむ。それじゃあもう少し様子をみましょうか。」
てっきり止めに入ってくれると思ったミッシェルは、楽しい物でも見るような顔でアヴィンを見た。
「連れ出しましょうか?」
マイルはミッシェルに尋ねた。
「ダメです。」
ミッシェルは即答した。
「彼にはいろいろと体験してもらわないとね。」
どういう積もりで言ったのかしれないが、マイルにはその言葉が意地悪をしているように聞こえたのだった。
女社長の秘書が次の予定を告げてきた。
「あら、もうそんな時間なのね。トーマス、それじゃ私はお暇するわ。」
「そうですか。今日はお時間をいただきましてありがとうございました。」
「律儀な人ね。アヴィン君も元気でね。」
「は、はい。」
アヴィンはテーブルに手を突いて、起き上がった。くら~っと視界が揺らいだが、危ういところでふんばった。
「ありがとうございます。来期には俺、いえ、私の関わった製品が市場に出回ります。なにとぞ、よろしくお願いします!」
アヴィンは床が見えるほどに頭を下げた。
「よろしく!」
「あらあら、しっかりしているのね。頑張りなさいよ。」
女社長は笑いながら答えた。
「こらアヴィン、いつまで頭下げてんだ。車にお送りするぞ。」
トーマスがアヴィンの頭をこつんと小突いた。
「はいっ!」
アヴィンは慌てて身体を起こした。
「あ、れれ…?」
ぐらっと身体のバランスが崩れた。アヴィンはそのまま後ろに倒れそうになって、何かにぶつかって止まった。
「社長、最後にとびっきりの新情報です。」
アヴィンを支えた人物が、もったいぶった声でそう言った。
「アヴィン君一押しの品物のサンプルです。マイル君、お見せして。」
急激な酔いに頭がガンガン鳴っていて、思考が回らない。
マイルが、持ち込んだ試作品の人形を女社長に手渡すのが見えた。
「ただ遊ぶだけでなく、おもちゃの構造にも興味を持ち始めた子供がターゲットです。ギアの周辺なら、子供だけでなく技術者さんにもアピールしそうな品物ですよ。」
自分がよりによってミッシェルに支えられていると自覚して、アヴィンは慌てて身体を起こした。しかしその間もアヴィンの耳は、ミッシェルが滑らかにつむぎ出す営業トークにくぎ付けだった。
「これはまだ社内用の試作品なんです。製品版はさらに改良を加えたものになります。」
『さっき、初めて説明を聞いたばかりなのに…。』
それも、半日ばかりの詰め込みで覚えてきた通り一遍の説明だったのだ。おもちゃの販売ターゲットなんて、話した覚えもない。しかしミッシェルの話し方には迷いもためらいもない。何週間も同じ営業トークを続けているような滑らかさだ。女社長も興味を持って試作品を眺め回している。
『こんなに実力のある人なんだ。』
自分が叱られるのも当たり前だとアヴィンは思った。
「そうね、考えておくわ。」
女社長がサンプルをマイルに返しながらそう言った。
「ありがとうございます。なにぶん公式発表前の製品ですので、このお話はこの場限りにお願い致します。」
ミッシェルは深々と頭をたれた。アヴィンとマイルも慌てて同じように頭を下げた。
結局、足元のおぼつかないアヴィンは、女社長の見送りをマイルに頼んで再び椅子に座り込んだ。テーブルの向かい側でミッシェルがあきれているとわかっていたが、自分でもはっきりわかるほど飲みすぎていて身動きが取れなかった。
「君はまだ自分の限界を知らないんですね?」
不意にミッシェルに聞かれてアヴィンは相手を見た。予想していた…程、怖い顔はしていなかった。
「…限界?」
「酒の量ですよ。休日に友達と飲むならいざしらず、こういう場でつぶれるのはいただけませんからね。」
「はい。申し訳ありませんでした。」
アヴィンは素直に謝った。
「おや、どうしたんですか。やけに素直になってしまいましたね。」
「俺がどんなに下手くそかわかりました。ミッシェルさんの話し方はすごいです。さっきのトーク、説明されたばかりには聞こえなかった。意地を張ってた自分が恥ずかしいです。」
アヴィンは心から言った。
「ほう。君はなかなかおもしろい人ですね。どうです、もう少し付き合いませんか?」
アヴィンは耳を疑った。営業トップと言われる人が飲みに誘ってくれたのだ。だが、気持ちとは裏腹にもう身体が動かなかった。
「ありがとうございます。でも俺、今日はもうダメみたいです。」
「残念ですね…。それとも、部屋を取る?そんな様子では、帰るのが大変でしょう。」
「とんでもない!こんな一流ホテルに泊まったら、生活費が…。」
アヴィンが慌てて言うと、ミッシェルは吹き出した。
トップ営業マンの金銭感覚は新入社員のものとだいぶ違うようだ。
「気にしないで。ちゃんと自分でPRしようとしたご褒美で取ってあげますよ。」
ミッシェルは立ち上がり、アヴィンの頭をくしゃっと撫でてフロントの方へ歩いていった。
「ありがとうございました。お気を付けて。」
マイルはトーマスと一緒に女社長を見送った。
「やれやれ、一件落着だな。」
レストランへ戻りながら、トーマスが両手を上に上げて思いっきり伸びをした。
「お疲れさん。」
バチッと片目でウインクをする。ただお酒を飲んだだけで、商品の話など最後にアヴィンが言い出しただけだった気がするが、良かったのだろうか?
マイルがどう返事していいか迷っていると、トーマスが察して言った。
「接待は、要は顔繋ぎだからな。バルドゥスチームがあんたたちを寄越したのだって、ライバルチームに悟られないように俺たちとルートを繋ぎたいからだし、お客はいい条件で取引をしたいから、忘れられないように出張ってくるしな。」
「そういうものなんですか?」
「そうだよ。まあ時々いい拾い物もあるしな。」
トーマスが意味のわからない事を言った。マイルが怪訝な顔をすると、トーマスが答えた。
「あんたの相棒、気に入られたみたいじゃないか。」
「え?」
「滅多に人を構ったりしないあいつが、ちゃんとフォローしてやったもんな。おい、ミッシェル、何してるんだ?」
ホテルのフロントから戻ってくるミッシェルを見つけて、トーマスが尋ねた。
「アヴィン君が潰れたみたいですから、休ませようと思いましてね。」
ポーカーフェイスが少しだけ揺れている。いたずらを見つかった時のような顔だ。隠すように手に持っているのは部屋の鍵らしい。
「ほら、やっぱり気に入ったんだぜ。」
トーマスはマイルに耳打ちした。
「ちょっ、…それって、まさか。」
マイルは真っ赤になった。
「トーマス、いいかげんな事を言わないでください。」
ミッシェルも異議を唱えた。
「いいかげんも何も、じゃあその部屋はシングルか?」
「・・・・・・・。」
答えられなくなったミッシェルに、トーマスは勝ち誇った笑顔を向けた。
「誰も人の嗜好をどうのこうのと言ってるんじゃないぜ。うそは付かない方が良いな、ミッシェル。」
「…わかってますよ。」
ミッシェルはばつの悪そうな顔で答えた。トーマスはニヤニヤしている。二人とも、背後でマイルが真っ青になっているのには気付かなかった。
「おい、アヴィン!しっかりしなよ。」
テーブルに突っ伏してしまったアヴィンを、マイルは力いっぱい揺さぶった。
周りのテーブルから視線を集めてしまったが、そんなことに構ってはいられなかった。
「うん…なんだよ、マイル。」
眠そうな様子でアヴィンが答えた。
「帰るよ!トーマスさんたちに迷惑になるだろ?」
マイルはアヴィンの肩をつかんで引っ張り起こす。アヴィンは眠たそうに目をしばたたいた。
「さっきミッシェルさんが、部屋を取ってくれるって言ったんだ。俺、歩けそうにないし、ここに泊まるから。」
「ダメだよ~。」
マイルは焦った。
「??」
せっかくの好意なのに、何を言っているのかと、アヴィンはマイルを見つめた。
優しい振りをした狼に狙われていると言ってやりたかったが、ミッシェルの目の前でそれを言うわけにはいかなかった。
「預かった資料、すぐ返さなくちゃいけないだろ! 皆がオフィスにいる時に、開発へ返しにいくわけにはいかないんだから!」
「あ…それも、そうだよな…。」
アヴィンはぶんぶんと首を振った。低い声でうなりながら、首の後ろをトントンと叩く。
「ガウェイン課長さん、俺たちの報告を待っているかな。」
「も、もちろんだとも! さあ、行こう、アヴィン!」
マイルは小躍りしそうな様子で、アヴィンが立ち上がるのに手を貸した。
「トーマス。」
ミッシェルはテーブルの横に立ってマイルの奮闘を見ていたが、アヴィンが立ち上がってしまったのを見てトーマスに話し掛けた。
「何だよ。」
トーマスはしれっとした顔で答えた。
「マイル君になにか入れ知恵しましたね?」
「しらねえなぁ、そんな事。新入りにこんな高級ホテル取ってやるあんたの方が、よっぽど知恵が回ってるんじゃないか?」
「私はこういう雰囲気の方が好きなんです。」
「そらま、お楽しみには良いだろうなぁ。」
トーマスがにやりと笑うと、ミッシェルは不本意だという顔をした。
「そんなことは言っていませんよ。」
「でも、泊まるんだろう?」
「…キャンセルしますよ。覚えておきますからね、トーマス。」
「おお、怖い怖い。」
トーマスはおどけて見せた。ミッシェルは、立ち上がってしまったアヴィンに話し掛けた。
「帰るのですか?」
「はい…すみません、勝手をして。課長さんに報告をして、ちゃんと終わらせたいですから。」
「仕方がないですね。気を付けておかえりなさい。」
「ありがとうございます!」
アヴィンが嬉しそうに答えたので、ミッシェルもにっこりと笑った。
「今度はお酒の入っていないときに会いましょうね。」
隣のマイルには一瞥もくれず、ミッシェルはちょっと片手を振って、ロビーへ出て行った。
「一難去ったってところだな。」
トーマスがマイルに話し掛けた。
「何だ? どういう事だよ、マイル。」
アヴィンがマイルとトーマスを交互に見ながら聞いた。
「いいの、アヴィンは知らなくても。」
マイルがつっけんどんに言った。
「そうだな。夢はいつまでも夢の方が、傷付かなくて良いもんだぜ。」
トーマスも言った。
「ゆめ?…一体何だよ? わかるように話してくれよ。」
「だーめ。」
「ずるいぞ、マイル。」
「諦めが悪いと、酔いつぶれた事も報告しちゃうからね!」
「ダ、ダメだったら!!」
「やれやれ、仲がいいんだな、二人とも。」
トーマスがあきれたようにつぶやきながら、テーブル付きのボーイを呼んだ。
さらさらっとサインをしてから、トーマスは言った。
「それじゃ、俺も行くからな。また機会があったら飲もうぜ。」
「今日は本当にありがとうございました。」
マイルが頭を下げた。
「なんなんだよ、一体…。」
二人に無視されたアヴィンは、いつまでも愚痴をこぼしていた。