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ガガーブトリロジー・30のお題

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30.gagharv(ガガーブ)

港町テュエールの朝は早い。
夜も明けきらぬうちから、海の男たちは働き始めるのだ。
トーマス率いるプラネトスII世号の男たちも例外ではない。
彼らがいるときはこの家の朝も早い。
だが今、ここには数人の男しかいなかった。
仕事の依頼をさばく数人を留守番に残して、彼らは航海中だった。

魔道師のミッシェルは、朝までのひとときを暖かな毛布の中で過ごしていた。
他の者はもう港へ行ってしまったが、ミッシェルに仕事をする義務はなかった。
トーマスの船に乗るのも、船員としてではなく客待遇である。
この家でも彼は船長の友人として、自由な時間を約束されていたのだ。

うつらうつらとしていると、玄関を叩く音が聞こえてきた。
『返事がなければ港へ行くだろう。』
そう思ったのだが、戸を叩く音は間をあけて何度も続いた。
『これは、町の人ではないのかな。』
ミッシェルは寝台から起き出した。

身支度をしているうちに、玄関の音は聞こえなくなった。
それでも念のため、ミッシェルは鍵を開け、玄関の扉を開いた。
あたりはうっすらと白んできていた。
扉を開く音が聞こえたのか、玄関の側で座り込んでいた男が顔を上げた。
「ああ、いた!」
見るからに安堵した様子でスッと立ち上がり、あっという間にミッシェルの目の前にやってくる。
「どちらさま……」
言いかけたミッシェルは、明かりに照らされた男がしかめ面をしたので言葉を飲み込んだ。
相手は自分を知っているような振る舞いだった。
しかし、知り合いにこんな男はいなかった。
ミッシェルは男のつま先から頭のてっぺんまで、まじまじと見た。
年の頃は20歳前後か。
中肉中背、髪の色は鮮やかな金色だった。
表情は人なつっこく、ミッシェルが記憶を呼び覚ますのを期待している様子だった。
「何でもっとガガーブの近くに住まないんだよ、ミッシェルの兄貴。」
言葉の出ないミッシェルに気付いたのか、男がにやりと笑って言った。
「あ…!」
ミッシェルは思わず声を上げた。
「ラエル? エル・フィルディンのラエル君ですか?」
半信半疑でミッシェルが聞くと、男は満面の笑みで肯いたのだった。


ラエルに会ったのは十年近くも昔のことだった。
ガガーブを越え、隣の世界エル・フィルディンに足を運んだときに会ったのだ。
同じときにトーマスにも出会い、以来行動を共にしているのだが、ラエルとはそのとき限りで再び会うことはなかった。
「本当にわかりませんでした。私の知っているあなたは、まだ子供でしたからね。」
暖炉に火を入れ、熱い湯を沸かしてポットに注ぎながらミッシェルは言った。
確か13歳と言っていた。
魔法力に長け、学校を飛び出してきた腕白そうな少年だった。
「今度あんたに会うときは、ティラスイールでって決めてたんだ。」
ラエルは暖炉の前に陣取って冷えた手をさすりながら言った。
その言葉にミッシェルは手を止めた。
そう、そうではないか。
トーマスがこちらで活動している今、ガガーブを越えてくる方法は一つだけだ。

「飛んできたんですか?」
ミッシェルが聞くと、ラエルは得意そうに肯いた。
「あんたに出来ることが俺に出来ないはずはないって、ずっと思っていたからね。10年もかかったけど、やっと追い着いた。」
ラエルはさらりと言ったが、どれほど苦しい修行を重ねたか、ミッシェルにはわかるような気がした。
「そうですか。おめでとうございます。」
ミッシェルは静かに言い、熱い紅茶をカップに注ぎ分けた。
「熱いですよ、ラエル。」
「や、ありがとう。」
若者は熱いカップを受け取ると、両手で包むようにしてそのぬくもりを味わい、それからぐいっと飲んだ。
「はーっ、生き返るなあ。」
ラエルは大きく息をついた。
「どうぞ座ってください。じきに部屋も暖まります。」
ミッシェルはラエルに椅子を勧めると、自分も向かい側に腰掛けた。
「こちらへは、何か用事で?」
ミッシェルは尋ねた。
それを聞いて、ラエルは力が抜けたように息をはいた。
「まさか。ここへ来るのが一番の用事だって。」
ラエルは頬を膨らませた。
「あんたと違って、命がけの覚悟で飛んできたんだぜ。散歩に行くような気軽な魔法じゃないんだから。」
思わず愚痴をこぼすラエルに、ミッシェルはつられて愛想を崩した。
「大変でしたか?」
「んー、まあ、自信はあったけどな。失敗したらガガーブの奈落の底だと思うとさ。失敗出来ないじゃん。」
屈託のないラエルの地が覗いた。
気心が知れているというのだろうか。
子供のときと変わらない人なつこさだった。

ミッシェルさんとラエル
mayさんが挿絵を描いてくださいました。(2009.12.8)

紅茶をすすりながら、ミッシェルは改めてラエルを見た。
暖炉の前の一等地を占領しているのは、眩しいほどに若い魔道師だった。
首飾り、耳飾りを幾つもつけ、それらの映える金色の髪は、人なつこい顔立ちと相まって彼を華やかに、かつ初々しく見せていた。
朝になって彼が町を歩き回ったら、たちまち若い女性たちの注目の的になりそうだった。
「凄かったよ、ガガーブの風。」
ぽつんとラエルがつぶやいた。
「本当に生きているような風だった。風が壁になって、世界を遮っているみたいだった。」
ミッシェルはラエルの言葉に静かに耳を傾けた。
魔道師らしい謙虚な観察と洞察。
それは、彼の外見から想像される陽気で気楽な気性とは相容れないもの。
だが己と向き合う経験をした魔道師なら、必ずや心の奥底に備え持っている言葉だった。
「あれは、怒っているのかな。それとも嘆いているのかな。おいらにはどっちだか判らなかった。」
ラエルは問いかけるようにミッシェルを見た。
「ガガーブは嘆きの傷跡……なのだと思います。」
ミッシェルは慎重に答えた。
その成り立ちも、原因も、ミッシェルにとっては既に現実である。
だがそれは軽々しく口にできない、重い現実なのだった。
「傷跡か。そうかもな。」
ラエルは一人納得すると、ふと思い出したように荷物入れを探った。
「忘れてた。これ、頼まれ物だ。」
差し出されたのは一通の手紙だった。

ミッシェルはそれを受け取った。
裏を返すと、立派な紋章が描かれている。
それは紛れもなくフィルディン王家のものだった。
「なぜ、私に?」
ミッシェルがいぶかしげな表情で問うと、ラエルは首をかしげた。
「中身のことは何にも聞いてないよ。持ってきたのはマーティだから、王様じゃなくてミューズ殿下からかもしれないけど。」
ミッシェルは封を切り、中の手紙を読んだ。
「ミューズ王女からですね。交易をしたい、とあります。これは私ではなくトーマスの守備範囲ですね。」
ミッシェルは言った。
「ふーん、交易ねえ。お城にたむろしている貴族達なら異国の珍品に目がないかもな。」
ラエルがしたり顔で肯く。
「船が行き来できない状況で交易も何もないですよ。」
ミッシェルは苦笑いした。
今もって、プラネトス二世号のガガーブ越えにはミッシェルの力添えが不可欠なのだ。
そのための時間を割くことにやぶさかではないが、いつまでもそれを続けていけるかとなると、事情は少し変わってくる。
「これは、良い機会なのかもしれませんね。」
手紙に目を落としたまま、ミッシェルはつぶやいた。
「ラエル、手伝ってくれますか?」

「へ? 何を。」
ミッシェルの思考の飛躍に付いて行けず、ラエルは目を丸くして聞き返した。
「ティラスイールとエル・フィルディンを行き来するには、魔道師の助力が必要です。それもあなたや私のような力を持った者が。これからはもっと多く必要になるでしょう。」
ミッシェルが言うと、ラエルが聞き返した。
「ガガーブ越えに必要な魔道師を、育てるのか?」
「ええ。」
ミッシェルは深く頷いた。
「一人では無理でも、何人かが力を合わせて制御出来ればいい。その役を負ってくれる者を育てたいのです。」
「面白そうだな。おいらの苦労が役に立ちそうだ。」
ラエルが目を輝かせた。
「協力していただけるのでしたら、素質のある者をあなたの元へ弟子入りさせますよ。」
ミッシェルは真顔で言った。
「いいよ、確かに請負った。みっちり仕込んでやる。」
ラエルがにっこり笑って答えた。
「でも、何でおいらが? どっちかって言うとあんたの方が適役なんじゃないの。」
ラエルが尋ねた。
「他にやりたいことがあるんです。この世界に魔法を修行する場を作りたい。隠れたりせず、人々の中で魔法使いが役割を持って生きていけるようにしたいのです。」
ミッシェルは淡々と話した。
声は平静そのものだったが、そこにこもっている情熱は熱いほどに感じられた。
「へえぇ。」
ラエルの声はわずかに当惑を含んでいた。
「そんなにロマンチックな夢を持ってるとは思わなかったよ、大魔道師様。」
すかさず切り返したラエルに、今度はミッシェルがしばし言葉を失った。
「魔法の共存しているエル・フィルディンを見てしまいましたからね。同じ事が、こちらの世界で出来ないはずはないのです。私のささやかな夢です。」
しばらくして、ミッシェルは少し照れたように言い添えた。

「ああ、すっかり夜が明けましたね。」
照れ隠しなのか、ミッシェルはついと立ち上がって窓辺のカーテンを開けた。
眩しい朝日が差し込み、ラエルの身に付けた装身具をキラキラと輝かせた。
「何か食べるものを運んできましょうか。」
ミッシェルが言うと、ラエルは思い出したように空腹を訴えた。
「ガガーブを越えてから、どの町にも寄らずに来たんだ。腹ぺこだよ。」
「あなたの口に合う物があるかな。……それとも、一緒に台所に来ますか?」
ミッシェルが誘うとラエルは小躍りして立ち上がった。
「行く行く。」
無邪気な様子に思わず笑みがこぼれる。
「ではこちらへどうぞ。」
先に立って案内しながら、ミッシェルは思いがけずも広がった夢を思い、かつて足を伸ばした異国を思った。
足跡を残したことがまた新たな絆を生んだ。
『ティラスイールもいつかきっと。』
魔法使いとそうでない人々が絆を結ぶようになる。
温かい思いが、ミッシェルの心の内を満たしていた。

Fin

2005.2.1

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