フィルディン到着
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村長の屋敷に通されたミッシェルは、暖かな朝食を振舞われた。
それは言葉にし難いほどの喜びを、ミッシェルに与えてくれたのである。
当たり前に扱ってもらえることの、なんと暖かくて気持ちの良いことだろうか。
「こんな僻地に人が来るなんて珍しいわね。さあ、熱いうちにどうぞ。」
村長夫人が食後の紅茶を振舞ってくれた。
「ありがとうございます。」
ミッシェルは思わず笑みをこぼしていた。
自分を偽らずとも良い心地よさに、すっかり身体も心も温かくなっていた。
「貴方、お名前は?」
婦人の問いかけに正直に名乗る気になったのも、その暖かさのせいかもしれなかった。
「ミッシェルと言います。」
「そう、お似合いだわ。ごゆっくりなさって下さいね。」
婦人はにっこり笑っていうと、テーブルの物を下げていった。
「見たところ、かなりの魔法力をお持ちのようじゃが、ひょっとしてガガーブを見に来られたかな?」
「はい。…わかりますか?」
村長に問い掛けられ、ミッシェルは気を引き締めて答えた。
関心を持ってもらえるのは嬉しいばかりではない。
この世界の知識がないまま質問に答えるのは気を使うことだった。
出来るだけ自分のことは話さず、相手の知識を引き出したかった。
「コンペは手ごわい魔獣じゃからな。あれを追い払うほどの魔道士なら、世界の果てのガガーブに興味を持つのも頷けるわい。」
村長が言った。
世界の果てのガガーブ…あれは、やはりガガーブと呼ばれているのだ。
「風で進めなくなるまで近づいてみました。まさに絶景ですね、あれは。」
ミッシェルは言った。
ガガーブを越えた大飛行が脳裏に蘇った。
「そりゃ、大したもんじゃ。わしも若い頃は冒険者を気取って世界中を歩いたが、ガガーブには怖くて行けんかった。今も、こんな近くに暮らしていても、あれを見たいとは思わんのじゃよ。」
「そうですか?」
ミッシェルは意外だという顔で言った。実のところは意外でもない。
ティラスイールでも、ガガーブに近づこうなどという者は滅多にいなかった。
ガガーブのあるフォルティアの西部は、人の営みもまばらな所だ。
だが、村長が興味を持てないというのは、そこに越えられない壁を見てしまうからだろうとミッシェルは感じた。
いよいよ超える決心をするまで、ミッシェルにとってもガガーブは怖いところだった。
乗り越えられないものを目の前に突きつけられるのが悔しくて、足が遠のくのではないだろうか。
しかし冒険心は消えずに、今も少年のような好奇心が疼くのだろう。
村長が興味深げに質問を投げかけてくるのも、そう考えると頷けた。
「ミッシェル殿、マジック・ギルドの称号は何をもらったかね?」
村長が尋ねてきた。
「称号、ですか?」
ミッシェルは思わず問い返した。
『困りましたね。』
称号はおろか、マジック・ギルドそのものがわからなかった。
「フェルウォルか、トニトルスあたりかのう。」
村長は当たり前のような顔で返事を待っている。
知ったかぶりをすることは出来ないとミッシェルは思った。
とすれば、何も知らない新参者を装うしかない。
「実はそういう所へ顔を出した事がないのです。」
ミッシェルは答えた。少なくとも、うそは言っていない。
「なんと! それじゃ、覚えた魔法は全部自己流かね?」
村長が目を丸くした。
「ええ、そうなります。」
「これはこれは。エル・フィルディンにもそんな大物が居ったのか。頼もしいことじゃな。」
『エル・フィルディン……。』
ミッシェルは頭の中でその言葉を繰り返した。この世界を指しているとわかった。
「それで、どんな魔法を使いなさる。」
村長が身体を乗り出すようにして尋ねた。
この人は本当に、若い頃の情熱を忘れていないとミッシェルは思った。
「風が、一番意識せずに扱えます。」
ミッシェルは答えた。
「ほう。するとウェルテクスあたりか。」
村長は感心したように言った。
「独学で風使いとは、こりゃすごい。ミッシェル殿、一度マジック・ギルドへ行ってみなされ。ひょっとするともっと高度な魔法を教えてもらえるかも知れん。」
「えっ! 魔法を、教えてくれるのですか?」
ミッシェルは驚いて腰を浮かせた。
「おおそうじゃとも。」
村長はミッシェルの反応に気を良くして答えた。
「魔法を扱う者なら、誰でも教えていただけるのですか?」
ミッシェルは重ねて聞いた。
一体、なんという世界だろう!
嬉しくて、涙が出てきそうだった。
「そうじゃよ。もちろん、それなりに実力があると認められなければ授けてはもらえんが。」
村長はミッシェルに有意義な情報を教えられることを喜んだ。
きっと辺境育ちの、世間知らずな青年と思ったことだろう。
「もっともこの辺りではヴァルクドまで行かねばならんがのう。」
村長に教えられた地名を、ミッシェルはしっかりと脳裏に刻み込んだ。
「ぜひ行ってみます。教えていただいて、ありがとうございました。」
ミッシェルが、すぐにでも出発したげにそわそわし始めたのを見て、村長は目を細めて笑った。
「魔法使いさん、ちょっといいかい?」
ミッシェルが助けた男が、村長の家の玄関から顔を覗かせた。
「はい、なんでしょう。」
「買い付けに来てる商人にあんたの話をしたら、ぜひ護衛に雇いたいと言っているんだ。悪い話じゃないと思うんだが、どうだい?」
ミッシェルはちょっと眉をしかめた。
「私は、これからヴァルクドへ向かいたいと思っているのですが…。」
ミッシェルが言うと男はほっとした様子で答えた。
「それなら丁度良い。目的地は同じヴァルクドだ。素性の怪しい商人じゃないから、安心して良いよ。」
「ほほう。さっそく運が向いてきなさったな。」
村長が言った。
「あなたなら冒険者として働くことも出来るじゃろう。旅費の心配も要らんし、渡りに船じゃな。」
ミッシェルには心強い助言だった。
「わかりました。その方に、御一緒出来ると伝えてください。」
男に告げると、ミッシェルは立ち上がった。
「こんなにもてなしてくださって、本当にありがとうございました。私は、そろそろ出発したいと思います。」
「ヴァルクドへ行くのなら、正神殿にいなさる賢者ガウェイン様にお会いなされ。」
村長が言った。
「賢者?」
ミッシェルはまじまじと村長を見返した。
「フィルディン三賢者のお一人じゃ。正神殿の顧問をされておられるゆえ、参拝者などがお話をする事もあると聞いておるよ。運が良ければ言葉を交わせるかも知れん。」
「そうですか。賢者殿と問答が出来たらさぞかし興味深いお話が伺えるでしょうね。」
ミッシェルは、賢者と言葉を交わす自分を思い描いた。
そんな願いがかなったら、ガガーブ越えは大豊作と言えるだろう。
「嬉しそうじゃのう、学ぶことに喜びを見出せるのは良いことじゃ。」
満足そうに村長が言った。
「ええ、知りたい事がいくらでもあります。貴重なお話を聞かせてくださって、ありがとうございます。」
考えを吟味する間もなく、自然と言葉が溢れ出していた。
偽りのない、ミッシェルの気持ちだった。
「村人の命を守ってくださったこと、心より感謝する。道中、気をつけてな。またいつでも寄ってくだされ。」
「はい、それでは。」
村長夫妻に見送られ、ミッシェルは再び村の中央の広場へ出た。
「こちらがお話した商人です。ルターさん、魔道士さんだよ。」
男がミッシェルを商人の元へ連れて行った。
ルターと呼ばれたのは初老の男で、薬草を入れた大きな木箱を地面に置き、その上にどっかりと腰を掛けていた。
「おお、確かに頼もしそうだ。話は聞いたと思うが、ヴァルクドまで護衛を頼みたい。こんな奥地まで一緒に来てくれる冒険者はなかなかいなくてな。何日も一人で歩いて、もうこりごりなんだ。」
「私でよろしければ、ご一緒させていただきます。」
ミッシェルはルターに告げた。
「そうか。契約金は特に要らないのか?」
ルターは嬉しそうに念を押した。
「え? えーと……。」
しきたりがわからず、ミッシェルは口篭もった。
「ルターさん、私の恩人なんだ、安く叩かないでやって欲しいな。」
男が助け舟を出した。村人も成り行きを見守っている。
ルターは肩をすくめた。
「ああわかった、わかった。無事にヴァルクドへ着いたら500ロゼ払おう。道中の食事と宿代はわしが払う。あんたが倒した魔獣のピスカは、自分の稼ぎにしてくれていい。薬草なんかも使い放題だ。悪い取引じゃないだろう?」
「はい、私はそれで構いません。」
ミッシェルは答えた。自由に魔法が使えるなら、それなりに自信はある。
「よし、契約成立だ。わしはルターだ。」
「ミッシェルと言います。よろしく。」
ルターの差し出した手を、ミッシェルは握り返した。
「ミッシェルさん、これはお礼の薬草だ。珍しいのも入れといたから、ルターさんに使い方を教わってくれ。」
男がミッシェルに薬草の詰まった布袋を渡した。
「これはどうも。」
ミッシェルは男の好意を受け取った。
「有り難く使わせていただきます。」
「さあて、出発するか。」
ルターは立ち上がり、薬箱を背中に背負った。
村人に見送られて、ルターとミッシェルは村を出た。
細く続く一本道がミッシェルには輝いているように見えた。
『ここでなら、私は普通に生きてゆける…。』
その是非を、今はまだ問いたくなかった。
いずれ必ず異世界から来たことの壁にぶつかるだろう。
その時まで、この、魔法が生きている世界に身をゆだねていたい。
たとえ、ほんの短い間だとしても。
『歩こう。この世界を。古事を訪ね、賢者に教えを乞おう。』
そこから自分の存在が見つめられるかもしれない。
「目指すはヴァルクドですね。」
ミッシェルは先に立ち、目を輝かせた。
エル・フィルディンを巡る長い旅が始まったのだった。
END
2002.12.21
妄想爆発です~。2と3の間に、夏にゲストさせていただいたなしえ様の同人誌を受け取りまして、妄想度が二乗しました(笑)。
小説案内のページにこの話の時期を、『98版朱紅い雫の少し前』と書いたのですが、少しってどのくらいの期間を連想されますでしょうか? 数ヶ月~数年の範囲で、確定させたくないな~と思いつつ、こういう記述を致しました。
98版のガウェイン様やディナーケン様は、ミッシェルさんのことを 「ミッシェル」って呼び捨てなんです。絶対に交流があります。で、アヴィンがあの旅をするのに一年かかっているから、ミッシェルさんのフィルディン巡りにもそのくらい時間をあげたいのです。そのくらいの期間があれば、フィルディン魔法を覚え、ガウェインも忘れていた真実の島の伝説を聞きかじることも出来るでしょう。
今回、ギルドの称号とか、ミッシェルが着いた辺りってどんな魔獣が出てたっけ?とか、忘れている事がたくさん出てきてあちこちのサイト様にお世話になりました。(本当に、ありがとうございました。)と同時に、98版朱紅い雫のサイトが、思っていたよりずっと少ないことにも気付いてしまいました。
今後の強化方向が見えてまいりました。
「98版朱紅い雫の二次創作に必要な資料をまとめる!」必需品ですもの、がんばります。