フィルディン到着
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次の朝、ミッシェルは人の気配で目を覚ました。
木の下に目を凝らすと、薬草でも摘みに来たのだろうか、下草を掻き分けながら一人の男が歩き回っていた。
男は全く周囲に気を配っておらず、木の上のミッシェルにも気付かなかった。
「ん?」
ミッシェルは別の気配に気付いた。
男から少し離れたところに、丸い玉からとげが生えたような生き物が浮かんでいた。
それはふわふわと浮遊しながら、男の背後に近づいていく。
「あぶない!」
ミッシェルは飛ぼうとしてはっと気が付いた。まだ、魔法力が回復していないのだった。
男がミッシェルの叫びを聞いて立ちすくんだ。きょろきょろと辺りを見回す。
その目の前に、不気味な生き物が現れた。
「わ、ま、魔獣だ!」
男は腰を抜かさんばかりにして後ずさった。
「風よ!」
ミッシェルは空中に浮かんでいる魔獣めがけて魔法を放った。
つむじ風が魔獣をキリモミ状態にする。しかし、魔獣はすぐに体勢を直してミッシェルに向かってきた。
「今のうちにお逃げなさい!」
ミッシェルは男に向かって叫び、杖を抱えて木から飛び降りた。
男は地面にへたり込んで震えていた。とても走って逃げられそうにない。
『それとも、言葉が通じていないか…。』
だが、男の発した言葉は理解出来たと気付く。単純に腰が抜けて動けないのだ。
『魔法使いと知られるのは本意でないが、理想を言ってはいられませんね。』
覚悟を決めたミッシェルは、男の前に立ちふさがって杖を構えた。
魔獣が、その鋭いとげで突っ込んでくるのをかわし、相手が立て直す前に魔法を放つ。
何度も風の魔法に翻弄された魔獣は、劣勢と知るや否や、向きを変えて逃げ出していった。
「ふう。」
ミッシェルはほっと息をついた。
だが、この後のことを思えば、むしろ魔獣の方が気が楽かもしれなかった。
「大丈夫ですか。」
ミッシェルは地面に尻餅をついたまま震えている男に声を掛けた。
男の顔も蒼白だったが、ミッシェルの表情も緊張に固くなっていた。
「あ、ああ、ありがとう。」
男は動揺の残る声で礼を言った。
「済まないが、手を貸してくれんか。足が震えて力が入らん。」
「えっ?」
ミッシェルは小さく驚きの声を上げた。
目の前でミッシェルの魔法を見たのに、男は恐れる様子も蔑む気配もない。
『もしかしたら…。』
ミッシェルは恐る恐る手を差し伸べた。
男は迷わずミッシェルの手を取った。
「あ…」
腕にずしりとくる人の重さ。
誰かと手を取り合うなんて、一体どのくらいぶりだろうか。
「いや、薬草を採るのに夢中で、全然気付かなかったんだ。貴方がいなかったら助からなかったよ。本当にありがとう。」
立ち上がった男は服に付いた土をパンパンとはたき、改めて礼を言った。
「い、いえ。当然のことをしたまでです。」
ミッシェルはしどろもどろに答えた。
『言葉はほとんど変わらない。抑揚は違うけれども、ちゃんと理解できる。それよりも!』
この世界の人たちは、当たり前のことのように魔法を受け止めているではないか。まるで日常見慣れていると言わんばかりだ。
「旅のお方のようだけど、良かったら村へ寄ってくれませんか。私は薬作りを生業にしてるんで、珍しい薬をお分け出来ますよ。」
「え、あ、はい。」
半分上の空だったミッシェルは返事をしてしまっていた。
男が嬉しそうに先に立った。
木の上の荷物を取り、男の後に付いて歩きながら、ミッシェルは人里に入る事への不安と、村人と交流できる喜びとに心を乱していた。
「おや、お帰り。やけに早かったじゃないの。」
村へ入ると、洗濯や畑仕事をしている者たちが男に声を掛けた。
「森でコンペに遭っちまった。この人が追い払ってくれなかったら、逃げられなかったかもしれんよ。」
男はそう言って後ろに続くミッシェルを紹介した。
「なに、コンペだと。物騒な魔獣が出たもんだな。」
「子供たちは村から出さん方が良いな。」
たちまち幾人かの村人が集まってきて、男とミッシェルを囲んだ。
「あんたは魔法使いかい?」
一人の若者がミッシェルの姿を見て尋ねた。ミッシェルの心臓が跳ね上がった。
「…そうです。」
早鐘のように鳴る胸の鼓動を無視して答え、ミッシェルは自分を取り巻く人々をじっくりと観察した。
だが、誰の目にも、あるのは純粋な好奇心と感心した様子だけだった。
「うらやましいな。冒険者なのかい?」
ふたたび若者が聞いた。ミッシェルは聞き慣れない言葉に眉を寄せた。
「冒険者?」
「違うのか。コンペを追い払えるなんて、相当の使い手だろう?」
「いえ、そんなことは…。」
ちゃんと受け答えできるような知識は何もなく、ミッシェルは言葉に詰まった。
「魔獣が出たんじゃと?」
村の中心の方から、話を聞きつけた老人がやってきた。
「ああ、村長。そうなんだ、コンペの奴が森に出たんだよ。」
男がいきさつを話し、またミッシェルを紹介した。
「ほう…。」
老人はミッシェルをじっと見つめた。
「村の者が世話になり申した。どうぞうちへ寄ってくだされ。お礼をしたい。」
「いえ、そのような事は…。」
ミッシェルは断りかけて思い直した。
避けてばかりではこの世界の事を知ることも出来ない。ここはティラスイールではないし、村人も受け入れてくれるのだ。
「礼と言っても、小さな村じゃ。食事がまだじゃったらご一緒にどうかね。」
村長が言った。
「ぜひ寄ってってくださいよ。その間に私は薬を用意しときますから。」
男も口添えしてくれた。
「では、お言葉に甘えさせていただきます。」
ミッシェルは村長の招待を受けた。