スイートバレンタイン
その日、泊りがけのお客様を迎えて、アヴィンの子供たちも、遊びに来ているウルト村の子供たちも、いつもに増してはしゃいでいた。
その元気のよさは、女の子たちがアイメルと共に台所に引っ込んでからも、獲物をさばくアヴィンの周りで続いていた。
内臓を抜き、皮と肉を分け、食べやすい大きさに刻んでいくのを、大騒ぎしながら観察している。夕方にはこの肉を使ったご馳走が並ぶことになっているから、みんなの関心も半端ではなかった。
「これでよし。」
肉を切り終えると、アヴィンはナイフを洗い、丁寧に拭いて鞘にしまった。
「さあ、台所の母さんの所へ持ってってくれ。」
群がる子供たちに言うと、さっと手が出て肉も皮もたちまち運ばれていった。
「すっかり板に付いていますね。」
その様子を側で見ていた客人が言った。
「え。」
アヴィンは面食らった様子で客人を見返した。
「あんな風にして、生活の知恵が受け継がれていくのですね。」
感心した様子で客人がつぶやいた。
その真剣な様子にアヴィンは吹き出しそうになる。
「ミッシェルさん、別に子供たちは何かを教わっているつもりじゃないんだぜ。彼らにとっては遊びと同じなんだ。」
脂の付いた手を洗い、その水で辺りの血も洗い流してから、アヴィンはミッシェルの隣に腰をおろした。
「ええ。自然で良い形だと思いますよ。あなたも良い父親になって。」
ミッシェルは穏やかに言った。
物静かに話す様子は以前と全く変わりない。
口調や物腰の優しさに比べて、格段に強いまなざしも昔のままだ。
ただその横顔は、出会った頃の若々しさではなく壮年の貫禄を帯び始めている。
それが唯一、この十年の歳月を意識させるものだった。
「俺は、当たり前の事をしているだけさ。」
アヴィンは言った。
「旅も、俺にたくさんの事を教えてくれた。でも、ここに居ても、毎日のように教わる事があるんだぜ。家族も村の人も、ここの暮らしも、ずっと同じって事はないんだ。」
「そうですか。・・・幸せそうですね、アヴィン。」
目を細めてそう言われると、兄か父にでも言われたように胸が温かくなった。
「だ、だから特別な事はしてないったら。ミッシェルさんこそ、いつまで一人でいるつもりなんだ。」
アヴィンは照れて話題をミッシェルに振った。
「私は・・・。」
ミッシェルはちょっと身体を引いて口ごもった。
この友人は、どうやら身を固めるつもりがないらしい。
アヴィンがそう感じ始めたのは、昨日今日の事ではなかった。
「トーマスも子供が出来たって、ルカから手紙をもらったぞ。」
アヴィンが言うと、ミッシェルが言い返した。
「彼は彼ですよ。人それぞれに違う生き方があっても良いでしょう?」
明らかに逃げ腰になったミッシェルに、アヴィンは食い下がった。
「勿体ないよ。ミッシェルさんの力を一代限りで終わらせてしまうのか?」
「そうですよ。」
ミッシェルが断言した。
あまりの強い言い方に、アヴィンは息を飲んだ。
「大きな力を一人の人間が持つのは考えものです。もし私に子が出来たら、その子が魔法を操れる可能性はかなり高いでしょう。しかし、私の世界の意識改革は、やっと種が芽吹き始めたところです。その中に子を、妻を、置いておくのは居たたまれない。」
初めて聞くミッシェルの考え方だった。
「でも、そういうのは相手の女性や、子供が自分で判断する事じゃないのか?」
アヴィンは尋ねた。
ミッシェルはあいまいに笑った。
「それが苦しみを伴わない判断だったら、私も迷わないと思いますよ。」
ミッシェルの言葉は穏やかだったが、その背後に彼の経験したであろう苦しみがにじみ出ていた。
「・・・・・・。」
魔法が当たり前のように使われている世界のアヴィンには、容易に想像出来ない事だった。
「そうなのか・・・。軽々しく言って、悪かった。」
アヴィンは頭を下げた。
「いいんですよ。エル・フィルディンでは魔法を使えるからって悩む事はないんですからね。」
ミッシェルは笑って言った。
「それにしても勿体ないな。ミッシェルさんも子供が出来たら優しい親になれると思うんだけどな。」
アヴィンが未練がましくつぶやいた。
「諦めが肝心ですよ。」
ミッシェルが言った。
わあっという歓声をともなって、子供たちが見晴らし小屋から出てきた。
台所へ行っていた女の子たちも一緒だ。
アイメルが子供たちを並ばせて、一人一人に小さな包みを渡していった。
「やっと出来たみたいだな。」
「ええ、甘い香りがここまで漂ってきますね。」
アヴィンとミッシェルは騒々しい行列を微笑んで見ていた。
そう、今日はバレンタインデー。
ミッシェルがわざわざ見晴らし小屋へ来たのも、あの子にせがまれての事だった。
「はい、これ!」
アヴィンの小さな娘が、アヴィンの上着のすそを引っ張った。もう片方の手にかわいい包みを持って差し出している。
「父さんにもくれるのかい?」
「うん!」
手のひらを差し出すと、大事そうに包みが置かれる。
「ありがとう。大事に食べるからな。」
「うん!」
頭を撫でてやると、大喜びな顔で皆のところへ戻っていく。
「とろけそうな顔をしてますよ、アヴィン。」
ミッシェルが横から言った。
「そ、そうかな。」
アヴィンがポリポリと頭を掻いた。
「ミッシェルさん。」
両手を後ろに回して、銀髪の少女がミッシェルの前に立った。
年相応にはにかんだ表情が微笑ましかった。
「おや・・・。」
ミッシェルが改まって少女を見た。何ですか?と問うように少し首をかしげて。
わかっているくせに、とアヴィンは思ったが、友人の機嫌を損ねるつもりはなく、余計な口は出さなかった。
「これ、プレゼント。」
にっこりと笑って、少女が包みを差し出した。
ミッシェルが嬉しそうに目を細めた。
「ありがとう。」
両手で少女の小さな手を包むようにして、ミッシェルはプレゼントを受け取った。
「ねえ、一緒に遊ぼう?」
少女が誘った。
「ええ、良いですよ。」
ミッシェルが答えた。
ミッシェルは少女のプレゼントをテーブルに置くと立ち上がった。
少女がミッシェルの手を握りしめた。
「目尻が下がってるぜ、ミッシェルさん。」
アヴィンが茶々を入れた。
「いけませんか?」
ミッシェルはひるまず、言い返した。
「いや・・・。」
アヴィンがあっけに取られているうちに、二人は楽しそうに子供たちの輪へ入っていった。
「やっと下ごしらえが終わったわ。」
台所からルティスが出てきた。
「何見ているの?アヴィン。」
アヴィンの横に立って、同じ方向を見ると、子供たちに交ざって、ミッシェルと少女が汗を光らせながら遊んでいた。
「ミッシェルさん、本当に楽しそうだな。」
アヴィンが言った。
「そうね。あの子のためにわざわざここまで来るくらいだもの。大切なんでしょうね。」
「俺、さっき、ミッシェルさんも親になればいいって言っちゃったんだけどさ。」
アヴィンがルティスに言った。
「撤回するよ。今でも十分に親らしいよな。」
「ふふ、そうね。ミッシェルさんも誰かさんと同じで嬉しくてたまらないって顔をするものね。」
同意を求められて、ルティスが笑った。
「そ、そんな事ないだろ?」
アヴィンが照れて顔を赤くした。
「やだ、自覚してないの?」
ルティスは目を丸くしておどけて見せた。
「もっとも、そこがアヴィンらしいんだけど。」
にこっと笑って、ルティスはアヴィンの手のひらに小さな包みを押し込んだ。
020131
書いている途中で浮かんだ突っ込み
・ウルト村の子供たちって…誰の子供なのでしょう。ファムさん、ユズ姉、マイル・・・追及しない方が平和ですね、きっと。
・あれ~、10年経ったらアイメルは25歳ですよ!お嫁に行っててくれなくっちゃ。お兄ちゃん縁談壊しまくったんでしょうか(笑)。
・子供が出来た、って、その前に奥さん迎えたのでしょうか?<トーマス。(奥さんはアイーダじゃない方がいい~。トーマスにゃ勿体ない!)