テュエール:ミッシェルさん捏造企画
最終更新日2016年2月14日
テュエール
春のやわらかな日差しの中を、ラップは胸に花束を抱えて歩いていた。
白、赤、黄のチューリップ。
濃い緑の葉の間からは、小さな白い花が、レース模様のように顔を覗かせていた。
花屋の女主人に用途を聞かれ、つい若い女性に贈ると言ってしまった。
決して間違いではないが、抱えて持つには、いささか華やか過ぎる出来映えだった。
男たちは漁に出ている頃合で、テュエールの海岸通りに行きかう人は多くなかった。
それでも、すれ違う人が一人残らず自分を見ていく気がして、ラップは地面に目を落とすようにして足早に歩いているのだった。
目的の場所が近づくと、先程までの気恥ずかしさとは違う、胸を締め付ける思いが沸きあがってきた。
自然と歩みも遅くなる。
通りの先、ずらりと並んだ建物の間に、ぽっかりと一軒分の空き地が見えてきた。
空き地の前まで来るとラップは足を止めた。
この場所で、ちょっとしたきっかけから他の魔法使いと戦った。
生まれて初めて人間を相手に命を賭けて戦い、そして、生まれて初めて、人の命を殺めてしまった。
目を上げると両隣の建物の壁が、ところどころ煤で黒く汚れている。
火の魔法のせいだ。
自分でも予想のつかなかった巨大な火の玉を放ってしまい、戦っていた相手の魔法使いは亡くなった。
その後、建物は焼け落ちたのだろう。
それを見届ける前に、ラップはこの場から逃げ出していた。
『4年……。』
ラップは心の中でつぶやいた。
この場所で、人生の大きな分岐点を迎えて、この春で4年になった。
13歳だったラップはとうに成人を迎え、子どもだった外見もすっかり若者のそれになっている。
ラップは空き地に足を踏み入れた。
伸び放題の草で足元が見えず、転がっている石や木に躓きそうになった。
誰も片付けをしていないようだった。
ここで働いていた大人たちは何処へ行ってしまったのか。
昨年、巡礼で訪れた時は、この場所に立つ勇気がなく、彼らを思い出すこともなかった。
それどころか、不安にさいなまれ、かなり挙動不審になったのだ。
だが今は、意外と落ち着いていられた。
巡礼の時の自分の慌てぶりが嘘のようだった。
『覚悟を決めて来たからか。』
ラップは思った。
人を殺めたこと。
化け物と呼ばれたこと。
ずっと逃げて、避けてきたが、昨年、古くから伝わる巡礼に参加したことで、逃げ続けることの愚かさに気付いたのだった。
逃げることは、語れない事実を持ち続けることだった。
語れないために嘘をつき、更に嘘を重ねてしまう。
それは、せっかく育んだ友好を壊してしまうことになった。
そんな生き方はつらいだけだった。
ラップは正直に生きていきたかった。
ふと、敷地の奥に石を積みあげた物が目に入った。
側に寄って腰をかがめると、同じような石積みが隣にも一つあった。
『墓標?』
周りに茂る草を掻き分けてみたが、それが墓だと示すものは見当たらなかった。
だが、ここに住んでいて命を落としたのは二人。
サンドラとその父親だった。
ラップは膝をつき、携えてきた花束を二つの石積みの前に置いた。
頭を垂れる。
『ずっと来られずにすみませんでした。あの日の親切は忘れません。』
ほんの些細な縁で知り合ったラップを受け入れてくれた人たちだった。
詳しい事情は知らなかったが、夜中に魔法使いのグリムゾンとその主人の若い男がやって来て暴れたのだ。
ラップが現場に駆けつけた時、サンドラの父はすでに倒れていた。
そして、サンドラも。
彼女は恋人の若い男と一緒に、グリムゾンが放った氷の槍に刺し貫かれたのだった。
それを見たあの一瞬、ラップは感情のままに行動してしまった。
胸の内側に、じわりと熱いものが広がった。
怒りと、かたきを取ったという誇らしさと、人を殺めた後悔と。
そして会心の魔法を繰り出した充足感も。
どの思いが一番強かったのかラップ自身にもわからなかった。
『……どうか、安らかに。』
複雑な思いを噛み締めたまま、ラップはしばらくの間動かなかった。
やがてラップは立ち上がった。
潮風が空き地を吹きぬけた。
敷地の一番奥は海だった。
固い地面が垂直に海へ続いている。
水深はかなりあって、海底は見えなかった。
両側の建物からは桟橋がいくつも伸びていた。
倉庫なのだろうか、小船に荷物を積んでいる様子も伺えた。
少し離れた所にテュエールの港が見えた。
ここの港は大きな船も接岸できる。
海を挟んだ隣国アンビッシュと結ぶ航路もあり、大型の輸送船や軍艦が寄港することがあった。
そのため、港の一角にテュエールの警備隊があった。
『そろそろ行こうか。』
ラップの一番の目的は、その警備隊に出向くことだった。
警備隊の詰め所の外壁には、手配書を貼り付けた掲示板があった。
ラップは足を止め、あの事件の手配書を探した。
昨年、巡礼の際に見つけた「人買い、殺人犯」の手配書だ。
それは掲示板の一番上の隅に、ひっそりと貼られていた。
ラップはもう一度そこに書かれている文章を読んだ。
民家へ不法侵入。娘を誘拐未遂。
阻止しようとした家族共々殺害して放火、逃亡。
魔法使いの疑いあり。
あの日ラップのした事と、この手配書は違う。
実際にはグリムゾンのした事が、まるでラップの仕業のように書かれていた。
ラップは納得できなかったし、どうしてこんな手配書が作られたのか、疑問に思っていた。
「すみません。」
詰め所に入り声を張る。
中にいた数人の警備兵が顔を上げた。
「なんだ?」
詮索するような目でじろじろと見られた。
「手配書を見たのですが。」
ラップは言った。
「手配書? 情報提供か?」
一人の警備兵が立ち上がって側に来た。
「ええ。」
ラップが答えると、その警備兵は先程の掲示板の前にラップを連れて行った。
「どれだ?」
「これです。人買いの殺人犯。」
ラップは手を伸ばして先程の手配書を指差した。
「む……、これか?」
警備兵が怪訝そうな顔でラップを見た。
疑うような、不思議そうな顔をしていた。
「どんな情報なんだ。」
警備兵が聞いてきた。
「あの日、そこに居たんです。私の見た事と、この手配書に書かれている事が違うんです。」
ラップが答えると、警備兵は目を見張った。
もう一度ラップの頭から足元まで目を走らせる。
「君は魔法使いだな。」
警備兵が確認するように言った。
「そうです。」
ラップはじっと相手の目を見て答えた。
胸の鼓動が急に大きくなったような気がした。
「来たまえ。」
警備兵は逃がすまいとするように、ラップの腕を掴んだ。
『拘束された……。』
もう、元には戻れない。
わき上がる不安におののきながら、ラップは詰め所に入っていった。
警備兵はラップを連れて、足早に詰め所の奥へ向かった。
そこには机がしつらえてあり、責任者とおぼしい男が座っていた。
警備兵たちは、すぐに外へ飛び出していけるよう胸当てや手甲を着けていたが、その男は武装していなかった。
男が目を上げ、警備兵とラップを見た。
「何だ?」
「4年前の人買い事件について、この者がその場に居たと言っております。」
警備兵が言うと、男の瞳がまん丸になった。
ラップは背中に部屋中の視線を感じた。
「ほう……。」
所長は次に言う言葉を探しているようにゆっくり息を吐いた。
それから視線をラップに定めて、じっと観察した。
「貴様、魔法使いだな。」
男の第一声はラップの胸をチリチリと痛ませた。
魔法使いに何かしらの先入観を持っていそうな言葉と目つきだった。
よくある事だったが、相手の立場を考えると状況は悪い。
「そうです。」
心の中の逡巡を顔に出さないよう気をつけながら、ラップは男に答えた。
「私がここの所長だ。」
男が言った。
「人買い事件の日にいたというのは本当か?」
「はい。」
ラップは言葉に力をこめて返事をした。
「あの日、グリムゾンが屋敷の子どもに暴力を……」
ラップがそのまま話し始めると、所長は手を上げてそれをさえぎった。
「話は後で聞く。」
そのまま視線をそらし、別の警備兵に声を掛けた。
「おい、大至急伝言を頼む。」
「はっ!」
呼ばれた警備兵は、所長から何事か言い付かると、足早に詰め所から出て行った。
ラップに関係のあることだろうが、一体誰に何を伝えるのだろう。
真っ先に脳裏に浮かんだのは、あの屋敷でラップの世話を焼いてくれた、頬に長い傷のあるウェルだった。
ただ、思い浮かべたのは、きさくな顔ではなかった。
ラップを化け物とののしった、こわばった表情だった。
「お前の名前は?」
所長が問いかけてきた。
ラップは一瞬、どれか偽名を使いたいと思った。
だが、それではあの日出会った人たちと辻褄が合わなくなるのだった。
「ラップです。」
正直に答えた。
嘘をつき続けないためにここへ来たのだ。
ここでまた嘘をついては安心は得られない。
「テュエールに住んでいるのかね。」
所長の問いかけは続いた。
「いえ。私は魔道師で……。」
ラップは言い淀む。
「旅行者?」
所長の探る目線が、少し鋭くなった。
ラップは首を横に振った。
「……はぐれ者です。決まった住まいがありません。」
はぐれ者はテュエールで冬を越す労働者たちに多かった。
田舎からの出稼ぎと違って家がなく、その日の暮らしのために働く者たちを指して言われる言葉だった。
一つ間違えば山賊や海賊に身を落としかねず、信用がない。
身分を証明するものも持っていないことが多く、ラップも暗にそのことを告げたつもりだった。
「そうか。」
所長は胡散臭そうな目つきになった。
質問はそれで終わったらしく、所長はラップの腕を持ったままの警備兵に声を掛けた。
「拘置所に入れておけ。」
「ちょっと、待ってください!」
ラップは思わず叫んだ。
「話を聞いてください!あの手配書は、おかしいんです!」
「来なさい。」
警備兵がラップをせきたてた。
「今、人を呼んでいる。お前の話は後で聞く。」
所長の言葉はそっけなかった。
拘置所は狭かった。
扉が付いている面は一面が格子になっていた。
何をしていても観察できるというわけだ。
春はまだ浅く、風が自由に通り抜けて部屋はひんやりしていた。
ラップは寝台に上がり、膝を立ててマントで身体を包み込むようにくるまった。
何も話していないのにこんな所へ放り込まれるとは思わなかった。
『罪人に対する仕打ちって、こういうものなんだろうか。』
これからずっと、こんな扱いを受けることになるのだろうか。
覚悟はしてきたつもりだった。
だが、つらい。
ラップは唇をぎゅっと噛み締めて、膝に顔をうずめた。
随分経った頃、詰め所の前に一台の馬車が停まった。
中から一人の男が降りてくると、気配に気付いた警備隊の所長が出迎えた。
「連絡を頂きました。例の魔法使いが現れたとか。」
男が所長に尋ねた。
「はい。あの日あの場に居たと本人が申しましたので、お知らせ致しました。」
所長は丁寧に答えた。
お互いに、顔見知りの様子だった。
「旦那様はご多忙ゆえ、代わりに私が参りました。その方はどちらにおられますか?」
男は言った。
「その方? 魔法使いですか?」
所長が戸惑って聞き返した。
犯人を罵倒するならよくある事だが、敬語を使う意味が分からなかった。
「そうです。中におられますか。」
男は所長の背後を覗き込むしぐさをした。
「留置所に入れてあります。すぐにご覧いただけますよ。」
所長は請け合った。
「牢に入れたのですか! それはいけない。」
男が声を上げた。
「なにせ魔法使いです。何をしでかすか分かりませんから。」
所長は男に説明しようとしたが、男は大きく首を横に振った。
「すぐにお出ししてください。その魔法使いはトンプソン家の恩人なのです。」
「は? 恩人ですか?」
所長の表情がこわばった。
「やつは手配された犯人ですぞ。」
怪訝な顔で男に問う。
「全て、お話します。まずその人を牢から出してください。」
男はひたと所長を見据え、譲ろうとしなかった。
扉が開く音がして、足音が近づいてきた。
ラップは顔を上げた。
「この少年です。」
所長が言った。
所長と壮年の男が一人、それに警備兵が一人立っていた。
壮年の男はラップを一瞥すると、警備兵をせかした。
「早く開けてください。」
警備兵が鍵を取り出し、格子の扉にかがみこんだ。
どうやらラップに会いに来たらしい。
とすれば、この男が伝言で呼ばれた相手なのだろう。
『誰だろう。』
それはラップの知らない男だった。
壮年で細身だ。
着ているものに品の良さを感じる。
『もしや、トンプソン様だろうか?』
トンプソンは、テュエールで一番の大船主だ。
そして、あの日サンドラと共に亡くなった若い男の父親であり、死んだグリムゾンの雇い主だ。
警備隊がこの場へ呼ぶとしたら、最もふさわしい人物だった。
ラップが外へ出されると、壮年の男が改めてラップを眺めた。
「随分若いですな。」
どう答えるべきか分からず、ラップは黙っていた。
「ご同席いただいて取り調べたいのですが、よろしいですか。」
所長が男に向かって言った。
「そうですね。表に馬車を止めてあります。そこで伺いたい。」
男が言った。
そして、返事も待たずにすたすたと出て行った。
ラップはどうするべきかと思って所長を見た。
所長は不機嫌そうな顔をしていた。
「付いて来い。」
短く命じると、男の後を追って拘置所から出て行った。
ラップは警備兵に促されて所長の後を追った。
今度は腕は掴まれなかった。
1頭立ての馬車が詰め所前の道に止まっていた。
扉が開いている。
御者が、ラップと所長に声を掛けた。
「入ってくださいまし。」
「先に入るんだ。」
所長がラップに言った。
ラップは頷くと馬車に乗り込んだ。
先に乗り込んでいた男の向かいに腰を下ろす。
所長が続けて乗り込み、ラップの隣に座った。
さらに警備兵が乗ろうとすると、男が待ったをかけた。
「すまないが所長さんおひとりに願いたい。」
所長がいらだった様子で反論した。
「書記がおらねば調書が書けません。」
「私のとったものを後でいくらでもお見せします。お許しを。ゼフ、閉めて。」
男は外にいる御者に声を掛けた。
御者がうやうやしく扉を閉めた。
扉には薄い白布が掛かっていた。
反対側に目をやると、そちらの窓も布に覆われている。
人目に触れない小さな檻だった。
「私はバートンだ。トンプソン家の家令を勤めている。」
男がラップに向かって切り出した。
やはりトンプソンの家の関係者だった。
こういうところに、大旦那が自ら出向いてくることはないのだろう。
「事件のことを詳しく聞きたい。さっそく、はじめようか。」
バートンは持参した鞄から使い込んだノートを取り出すと膝に広げた。
さらに重そうなインク壺を自分の隣に置いた。
蓋を開け、ペンを浸す。
「名前を聞いていいかね。」
「はい。ラップです。」
「ふむ。」
バートンはノートにペンを走らせた。
「君、エドガー様が殺害された場所に居たのだな。」
いきなり記憶に無い名前が出てきて、ラップは一瞬答えにつまずいた。
「ええと、サンドラの恋人の若い男の人ですね。」
確認するようにバートンを見ると、バートンは当然だというように頷いた。
「はい。たまたま泊めてもらっていたんです。」
バートンはノートに何か書きつけた後、顔を上げた。
「なぜ、泊めてもらうことになったのかな。」
声音は丁寧だったが、鋭い問いかけだった。
あの日あったことは全部話そう。
ラップはそう考えて話し出した。
「あの日、町の広場でグリムゾンがサンドラの家の子どもに暴力を振るっていたんです。私は仲裁に入ったのですが、負けて怪我をしてしまいました。」
バートンも所長も黙って聞いている。
「サンドラが屋敷へ連れて行ってくれて、手当てをさせてくれました。」
「怪我をしたのか?」
バートンが聞き返した。
「はい。グリムゾンが持っていた棒で、強く叩かれました。」
ラップは答えた。
「親方は親切な人でした。仕事もくれて、一晩泊めてもらえました。それで、夜中に事件が起きたんです。」
「ふむ。けんかを仲裁した礼に、泊めてもらった?」
バートンが聞いてきた。
「そうです。あ、でも少し働きました。倉庫の片付けを。」
ラップは答えた。
「ふむ。」
バートンはノートの他のページをいくつかめくった。
「……ああ、そのようだ。」
バートンはつぶやいた。
ノートには、ほかの人の聞き取りも書き留めてあるようだった。
バートンが顔を上げたので、ラップは続きを話し始めた。
「1階で物音や人の声がして、大人たちが様子を見に降りていったんです。そのうちに悲鳴も聞こえたので、自分たちも降りていきました。」
ラップはバートンの様子を伺った。
今度はノートになにやら書き込んでいた。
「下へ降りたら、グリムゾンが魔法を使って皆を倒していました。そこで彼と戦いになって……。」
核心を話すのは、やはり勇気が要った。
ラップは息をついた。
言葉が途切れたのをいぶかしんだか、バートンがじっと見てきた。
「隙を見て逃げようとしたサンドラと男の人…ええと、エドガーさんを、グリムゾンが追い詰めて刺したんです。それを見て、怒りのまま火の魔法を使って……」
ラップはもう一度息をつくと、まっすぐにバートンを見返して言った。
「私は、グリムゾンを殺してしまいました。」
重い沈黙が落ちた。
隣で所長が居心地が悪そうに居住まいを正した。
バートンはじっとラップを見ていた。
二人とも何も言わなかった。
「火の魔法を使ったせいで火事になったのに、逃げてしまって消すことも出来ませんでした。すみません。」
言うべき事を全て話して、ラップは口をつぐんだ。
事実は打ち明けた。
罪を償いたいとも言うべきだと思ったが、その前に、抱いている疑問を突きつけることにした。
「あの手配書では、私が、グリムゾンだけでなく、サンドラやほかの人まで殺めたことになっていますが、それは間違いです。」
ラップはバートンに訴えた。
「私はグリムゾンしか倒していません。あそこには大勢の人がいました。皆が見ていたはずです。それなのに、何故あんなでたらめが作られたのか教えてください。」
「貴様ずうずうしいにも程があるぞ。」
所長がたまりかねた様子でラップに怒鳴った。
「待ってください所長さん。」
バートンは落ち着いた声で所長を制した。
それからペンを置くとノートを何度もめくり、そこに書かれていることを読んだ。
やがて自らを納得させるように、二、三度頷いて、バートンはラップを見上げた。
「君の話は他の者の話した事と符合している。」
その声に、会ってから初めて信用めいたものが混ざっているとラップは感じた。
「4年前、君は何歳だった。」
バートンはラップに尋ねた。
「13でした。」
ラップは答えた。
「13歳! 子どもではないか。」
バートンは大げさに驚いた。
「子どもでも、魔法使いでございます。」
横から所長が口を挟んだ。
「グリムゾンは用心棒として雇われたのです。喧嘩沙汰にも慣れていました。それが13の子どもに倒されるものでしょうか。」
バートンがラップを見て言った。
魔法使いの強さは、年齢で決まるものではない。
そう言いたかったが、それで自分に対して恐れを抱かれるのも避けたかった。
「グリムゾンがいつも棒切れを持っていたのは覚えておいででしょうか。」
ラップはバートンに言った。
「うむ。腰にはさんでいたな。」
バートンはすぐに答えた。
「あれは、ただの棒ではなくて、魔法を手助けする杖だったんです。」
ラップは言った。
「戦いの最中に、あの棒を横取りしました。それでグリムゾンは弱く、私は一時的に強くなりました。」
ラップの説明に、バートンは得心が行ったようにうなずいた。
「なるほど。」
そういいながらペンを取り上げ、ノートに何かを書き綴った。
「お前がグリムゾンに会ったのは、その日が初めてだったのか?」
横から所長が聞いてきた。
貴様からお前に言い代わっていた。
「はい。」
ラップは答えた。
「ずっとテュエールにいたのだろう?」
「はい、冬の初めから。港で仕事をもらっていました。怖い用心棒の話は何度も聞きましたが、会ったのはあの日が初めてでした。」
「港で働いていたなら、グリムゾンを見かけたり声を掛けられたりしたのじゃないかね。」
所長が食い下がった。
なんだか、誘導しようとしているような言い方だった。
「いいえ。そんなことは一度も。」
ラップは用心して言い返した。
「グリムゾンはエドガー様の用心棒で、いつも一緒に居たのでしょう? 盛り場に通い詰めで、港に顔を出すことは無いと聞かされましたよ。」
ラップは雇われた船でよく聞かされた話を思い出しながら言った。
「む、むむ。」
所長が渋い顔をした。
どうやら当てが外れたようだ。
「もう結構です。この少年は奴の仲間ではありません。」
バートンが言った。
「そんな証拠はございません。」
所長が反論した。
「仲間?」
ラップはバートンの言葉を聞きとがめた。
「グリムゾンが密かにやっていた人買いのことだ。」
バートンが苦々しそうに言った。
「人買い……グリムゾンが。じゃあ、サンドラをさらおうとしていたのですか。」
思わずラップの声が上ずった。
「知らんというのか。」
所長が驚いたような声を上げた。
「知りません。」
ラップは即座に言い返した。
「何を理由に、私がグリムゾンの仲間だと考えるんですか。」
言葉がきつくなったが、構わずに所長を見据える。
「偶然その日に泊り込んだと言うがな。そんな上手いことがあると思うか?」
所長も語気を強めて言った。
「グリムゾンに言われて潜り込んだんじゃないのか。」
「違います。グリムゾンには、あの日初めて会ったんです。」
理由もなく、頭から疑われていた。
そんな先入観を持たれては、ラップの主張も意味を持たなくなってしまう。
「あいつもお前も魔法使いだろう。仲間だったんじゃないか?」
所長がさらに言った一言に、ラップの我慢は限界になった。
同じ魔法使いだから何だと言うのだろう。
ラップは怒りに震える唇から、押し殺した声を絞り出した。
「私はあのような、大人の風上にも置けない人間の仲間と思われたくありません。」
心の底からの嫌悪感が、そして、安易に人を疑う相手への怒りがこもっていた。
「む……。」
ラップにひたと見据えられて、所長が押し黙った。
二人の会話を黙って聞いていたバートンが、咳払いをした。
二人は気まずげにバートンの方に向き直った。
「所長さん、貴方はあのとき捜査にかかわっておられましたか。」
バートンは所長に尋ねた。
「はい。当時はまだ隊員でしたが、港で人買い共を逮捕いたしました。」
所長が答えた。
「事件のことは、前任者より聞いております。部下にもよく言い聞かせておりました。」
所長は胸を張って言い、ラップをじろりと睨んだ。
「そうですか。では、あの手配書が出来た経緯をお話いたしましょう。」
そう言うと、バートンは深く息を吐いた。
「事件の後、私はトンプソン様や前の所長さんと共に皆から話を聞きました。」
バートンはノートに目を落とした。
「あの場から、少年が一人姿を消したことは、屋敷にいた全員が証言しました。しかし誰も、名前や容姿を言おうとしなかった。その日会ったばかりで知らないと言い張ったのです。」
バートンはそう言ってラップを見た。
「!」
ラップは目を見張った。
ウェルが去り際に言ってくれた言葉がよみがえった。
『お前のことは警備隊に言わないでおいてやる。』
本当に、そのようにしてくれたのだ。
「皆、その少年がグリムゾンを倒したと言いました。そして、グリムゾンがエドガー様とあの屋敷の父娘を殺したと。」
所長が落胆ともため息ともつかぬ息を吐いた。
「ではなぜ、あの手配書が……。」
ラップが聞く前に、所長がバートンに問い掛けた。
「我々は最初、手配書のように、逃げた少年が犯人だと考えたんです。先ほど所長さんが言ったように、グリムゾンの手駒だったのだろうと思った。」
バートンはラップに言った。
「だが、港で捕まえた子分たちは、そんな仲間はいないと言ったのです。」
「グリムゾンが子分に知らせなかっただけかもしれません。」
所長が意見をした。
「……」
まだ言いがかりをつけるのかと、ラップは怒りのこもった目で所長を見た。
「人買いたちは何人もいましたが、皆同じ証言をしました。それに加えて、グリムゾンがエドガー様をそそのかして娘をさらおうとしていた事も明らかになりました。私たちは、グリムゾンこそが犯人だと認めざるをえなかったのです。」
バートンは所長に向かって言った。
「あの夜、グリムゾンはエドガー様をそそのかして娘と駆け落ちをさせた。港に、さらっていくための船をこっそり待たせて。」
バートンはゆっくり、一言一言を確認するように話した。
「しかしエドガー様は見つかって騒ぎになった。そこでグリムゾンが乗り込んでゆき、目撃者を亡き者にしようとした。」
バートンは一旦言葉を切り、ラップを見た。
「だが、あの屋敷に君がいたために果たせなかった。エドガー様は隙を見て娘と逃げ出そうとされたが、逆上したグリムゾンに襲われた。そしてグリムゾンは君に倒されたのだ。違うかね?」
バートンの語る言葉の中に、あの夜の出来事が再現されていた。
ラップの体験したことが正しく理解されていた。
ラップは深く頷いた。
「おっしゃるとおりです。」
それを聞いて、バートンも納得した表情になった。
「これで、やっと、あの夜の全てが明らかになった。」
バートンが言った。
自分の言葉を信じてもらえた。
ラップは緊張がほぐれていくのを全身で感じた。
「トンプソン様は、あまりの出来事に混乱しておいでだった。」
バートンは少し悲しそうな表情になった。
「ご自分でグリムゾンを雇って、エドガー様にお付けになったのだ。その恩を、あのような最悪の形で踏みにじられた。」
声は淡々としていたが、バートンの瞳には怒りが見えた。
「旦那様はご自分の失敗を、グリムゾンを雇ってしまった失敗を、受け入れることが出来なかったのだ。」
バートンの声に、悔しさがにじんでいるようにラップは思った。。
「だから、グリムゾンの犯した罪を隠し、正体不明の少年に着せた。人買いだったこともなすりつけた。そうして出来たのがあの手配書です。」
「は? や、いや、そのような事が……。」
所長がうろたえた様子でバートンを見た。
バートンの言葉が正しければ、とんでもない捏造である。
「そこまでは聞いておられなかったようですね。」
バートンが尋ねると、所長は強く頷いた。
「あの手配書の犯人は見つからないだろうとは聞いておりました。何か情報が入ったら、お屋敷に知らせるようにと、それはそれは強く申し渡されました。」
「ええ。適切に動いてくれました。」
バートンは所長をねぎらうように言った。
「恐れ入ります。」
所長が頭を下げた。
二人の力関係が見えるやりとりだった。
「我々は真実を知りたかった。君に、グリムゾンを倒した魔法使いに会いたかったのだ。まさか当時子どもだったとは思わなかった。」
バートンは強いまなざしでラップを見た。
「親の気持ちというのは、私には分かりませんが。」
ラップは言った。
「事実を無視したり、見ない振りをしていても、辛さが溜まっていくだけではありませんか。」
トンプソンの行動が事実から逃げているように感じられたのだ。
バートンに言っても仕方のないことだろうが、ラップは言わずにいられなかった。
「私は事件を起こしてから、どこに行っても、仲の良い知り合いが出来ても、楽しい事などありませんでした。」
4年間のさまざまなことが脳裏をよぎった。
「心を開いて話せる相手でも、事件を隠そうとついた嘘のために仲が壊れてしまいました。」
辛くてたまらなかった巡礼の旅を思い出した。
「逃げるのはもうやめようと思って、ここへ来たんです。」
ラップは姿勢を正し、バートンと所長の両方に向かって言った。
「グリムゾンを殺した罪を償わせてください。牢に入るのでも、懲役を受けるのでも何でもします。」
バートンはラップを見たまま、何も言わなかった。
長く感じる時間が過ぎた。
「あの、どういたしましょう。」
痺れを切らした所長が、バートンに伺いを立てた。
「君は手配書の犯人ではない。だから罪を償う必要はない。」
バートンが言った。
「えっ……。」
所長とラップの驚きの声が重なった。
ラップは目を見開き、所長は心外な様子で頬を引きつらせた。
「バートン様、殺人には違いございません。」
所長が異議を唱えた。
「こんな若さで人殺しをするなど、放っておくのは危険です。」
所長の言葉がラップの心に重く響いた。
「君は、殺すつもりだったのかね?」
バートンがラップに尋ねた。
ラップはすぐには答えられなかった。
だが、頭の中で言葉を紡いでいる間にも、無意識に、首を横に振っていた。
「いえ、いいえ、私は自分の魔法がどれだけ危険なものか分かっていなかったんです。殺すつもりなんかありませんでした。」
ラップは言った。
言ってから、自分の保身を真っ先に考えてしまった気がして、動揺した。
「グリムゾンが生きていれば、謝ることも出来たかも知れません。その可能性を奪ってしまったことは過ちだったと思っています。」
「あの男が目の前に生きていたら、私が引導を渡していたかも知れん。」
バートンが苦々しい顔で言った。
「旦那様も黙ってはおらなかっただろう。どの道、グリムゾンの命運は尽きたはずだ。」
バートンの言葉には、強い怒りがこもっていた。
「君は私たちのしたかった事を代わりにしてくれたに過ぎん。牢に入る必要はない。」
そう言ってバートンはラップを見た。
ラップは返す言葉が見つからなかった。
「バートン様!」
所長がたまりかねて叫んだ。
「トンプソン様のご意向だとしても、それだけは受け入れられません。この者は殺人を犯したのです。」
「13歳だったと言ったではないか。子どもの罪だ。」
「幼くても、魔法使いです。」
所長は食い下がった。
「テュエールの警備を担う者として、殺人者を見逃すわけには参りません。ご理解ください。」
「むう。」
バートンは所長の勢いに押されるように、背もたれに身を預けた。
所長とラップを交互に見る。
「では、旦那様にお決めいただこう。手配書を出されたのはトンプソン様なのだからな。」
バートンは所長に向かって言った。
それは二人の、いや、警備隊とトンプソン家の力関係を知らしめる言葉だった。
ラップがちらりと見ると、所長は苦々しい表情を浮かべていた。
一行は、そのまま馬車を走らせてトンプソン家に向かった。
先程までの激しいやり取りから開放され、ラップは緊張を解いて背もたれに身を預けた。
罪を償おうと思ってテュエールへ来たのだが、待ってたのはラップの予想とは違う展開だった。
そもそも、ラップは追われていなかったのだ。
『この人達は、息子の敵討ちをしたと思ってくれている。』
トンプソン本人がそう言った訳ではない。
だが、バートンとの会話からはそういう印象を受けた。
詰め所に張り出された手配書は、真実を知るために無理やり作り上げたものだった。
トンプソンは手配書を出すことで、行方をくらませたラップを探していたのだ。
ラップは目の前に手を広げた。
この手から発した炎の魔法がグリムゾンを焼いた。
ラップの犯した事実に変わりはない。
だが、この過ちを違う形で捉えていた人があったのだ。
ひょっとしたら、牢屋で長い人生を送ったり、人を避け、ひっそりと隠れるように生きる事にはならないかもしれない。
淡い希望が沸くことは抑えられなかった。
トンプソン家の大きな屋敷に馬車が到着すると、所長とラップはすぐに2階にあるトンプソンの書斎へ案内された。
自ら案内に立った執事のバートンは、書斎の扉をゆっくりと開いた。
「旦那様、警備隊所長様と、魔法使いのラップ殿がお越しです。」
真正面の大きな机の向こうに、がっしりした体格の男が座っていた。
バートンは先に主人に近寄ると、二言三言言葉を交わした。
所長は威厳を保つように大股で入っていき、ラップは緊張しながら後に続いた。
「テュエール警備隊所長であります。」
所長が改まって挨拶をした。
「お勤めご苦労。よく見つけてくれた。」
トンプソンが言った。
ラップは所長の隣に進み出た。
「はじめまして、トンプソンさん。ラップと言います。」
「おお…」
トンプソンの表情が、笑顔に変わった。
「君がエドガーの仇を討ってくれたのだな。」
トンプソンは立ち上がり、ラップに握手を求めた。
「君は私の救いだ。裏切り者を始末してくれた。」
ラップの手を強く握ったままトンプソンは言った。
「私の大事な一人息子を、あの裏切り者がそそのかした。人買いの片棒を担がせようとしたんだ。可哀想なエドガー。何も知らないで騙されていたのだ。」
トンプソンは切々と語った。
「何か、覚えていないかね。あの日、息子はどうしていたのだろう。」
トンプソンにすがるような目で見られて、ラップは戸惑った。
彼の息子のことは、殆ど気に留めていなかったのだ。
何かなかったか、ラップは必死に記憶を探った。
「あ、そういえば……。」
ふと、甦ってきたものがあった。
「私がグリムゾンと戦っている最中に、息子さんが言ったんです。子どもまで手に掛けてはいけない、と。」
「おお!」
「グリムゾンはその言葉に気を取られて、それで私は、彼の隙を突くことができたんです。」
「そうか、そうだったのか! 息子は君を助けていたんだな。いい子だ、ありがとう。」
トンプソンはラップの手を握り締めて強く振った。
所長がトンプソンの気を引くように咳払いをした。
「こちらのバートン殿と話し合いを持ちましたが、この少年に罰を与えるつもりが無いとおっしゃる。」
所長は傍らに控えるバートンを睨んで言った。
ラップが見ると、バートンはそ知らぬ様子で控えていた。
たちまちトンプソンの顔から興奮した様子が消えた。
「それはそうだろう。この子に罪は無いのだ。」
トンプソンはやっとラップの手を開放した。
胸を反らし、両手を背中に回す。
元々の体格の良さと相まって、威圧感が増した。
「罪の無い者を牢屋に入れるわけにはいかんだろう。」
所長に言い返す。
「いえ、この者は人を一人殺したのです。罪を償いたいと本人が言っております。どうぞ御一考をお願いします。」
所長は簡単にあきらめなかった。
トンプソンがラップを見た。
「わざわざ、必要のない罪をかぶるつもりなのかね、君は。」
「必要がない、とは、思っていません。」
ラップは考えながら答えた。
「なんと。」
トンプソンはあきれ声を上げた。
「グリムゾンを殺してしまって、テュエールから逃げ出して、それからの私は良い思い出が殆どありません。」
ラップは言った。
「追われていると思って名前を偽り、偽っていたことが知られて居場所がなくなって……。そんなことの繰り返しでした。街になじめないことも多かったです。でも、人がたくさんいる中で暮らしたいんです。自分を偽ることなく生きたいんです。その為に、4年前の罪を償いたい。反省したと認めていただいて、やり直したいんです。」
「トンプソン様、どうぞ、この少年の真摯な思いをかなえてやってください。」
所長がご丁寧に言い添えた。
ラップは不快な思いがしたが、ぐっとこらえた。
「私は、あのような手配書は作らせたがね。逃げ出した少年に本当に罪をかぶせようとは思っていないのだよ。」
トンプソンはラップの言葉に、苛立ちを隠せずにいるようだった。
「あんなろくでなしを殺した事を償いたいなら、それは君の自由、君の意思だ。しかし、それは私が望む事じゃない。テュエールで牢に入るのはやめてもらいたいところだね。」
トンプソンは言った。
ラップは失望を感じた。
トンプソンにとって大切なのは、あくまで彼の意向に沿って行動することなのだ。
きっとこうやって多くの人達を動かしているのだろう。
「では、ネルバの牢へ送りましょうか。」
所長が抜け目なく言った。
「それはならん。」
トンプソンがきっぱりと言った。
「この件、街の外へ持ち出すことは許さん。うわさでも広まろうものなら商売に支障が出る。」
「それではやりようがありませんな。」
所長もトンプソンも引かない様子だった。
最早、ラップの意思など関係ないところでの駆け引きになっていた。
ラップはいくらか失望して二人のやりとりを聞いていた。
ふと、恩師のモーリスに言われた言葉が思い出された。
人と共に生きても、我々に望まれる事はそれ以上だぞ。
悪人を捕まえるだけではない。裁く事を求められることもある。
このテュエールの人買い事件が、シフールへ伝わったときに聞いたのだ。
あのときには、いつかそんな事が起こるかもしれないと思っただけだった。
まさか、グリムゾンの件で、自分が彼を裁いたと受け止められているとは思わなかった。
『罪が消えるわけではないけど。』
ラップが背負うものは変わらない。
けれど、魔導師として、街の中で起こるいざこざを解決する力として、受け入れてもらえる可能性はある。
人の中で生きられる可能性が、ずっと高くなる。
力を私欲に使ったりせず、あまねく平等に接する努力は必要だろうけれど。
『そういう生き方が出来るかもしれない。』
簡単に成し遂げられる事ではないかもしれない。
だが、何も希望がないよりはずっとましだった。
「牢に入れるなとおっしゃるのでしたら、いっその事、テュエールから追放しましょうか。」
所長とトンプソンの駆け引きはまだ続いていた。
「よその街で、ある事ない事話されては迷惑だ。」
トンプソンが言った。
「自分から罪人であると言い触らす馬鹿者はおりません。魔法使いですし、街とのかかわりもさして深くはないかと。」
言いたい放題に言われていた。
ラップは再び二人の会話に意識を集中した。
「ふむ……。」
トンプソンは所長の提案を受けて思案を巡らせているようだ。
「君は、この事を他言しないと誓えるか?」
やがてトンプソンがラップに尋ねた。
「これまでも、極力話さないようにしていました。これからも、そうするでしょう。」
ラップは答えた。
「そうか。」
トンプソンは頷いた。
「警備隊に依頼した手配、あれは今後も残しておく。」
「はい?」
「取り下げると、誰が犯人だったか憶測を呼んでしまうからな。」
「……承知しました。」
所長はしぶしぶ頷いた。
「この少年は、適当な期間、テュエールから出て行ってもらうようにしてくれ。君、君はあの手配書の罪をかぶるのではないからな。あの事件に関して、私は全く君を責めるつもりはない。君の良心が咎める事に対して償いをしなさい。」
トンプソンがラップに言った。
自分勝手な振舞いではあったが、グリムゾンの事件に関しては、ラップは大いに救われた。
「はい。ありがとうございます。」
ラップは深く頭をたれた。
「では、5年だ。いいか、5年間テュエールに足を踏み入れる事を許さん。」
所長が言った。
「5年ですね。」
今年17歳だから、22歳になるまでだ。
長いような、そうでもないような気がした。
ラップは、一度警備隊の詰め所に連れていかれた。
そこで人相書きを書かれた。
街の出入りの際に、見逃さないためであった。
空を飛べるラップには効果の無い物であったが、そんな事をわざわざ教えるつもりはなかった。
それに、追放の刑は甘んじて受け入れようと思っていた。
もとよりテュエールに家もなければ仕事もない。
追放されたところで、殆ど支障はないのだった。
「今日中にテュエールを離れるように。」
所長は厳しい顔でそう言うと、さっさと自分の机に戻っていった。
警備兵が一人、街の外れまでラップを連れて行くことになった。
街から離れた事を確認するためだった。
「どちらへ行くんだ。」
テュエールには大きな出入り口が2箇所ある。
警備兵に聞かれて、ラップは迷わず答えた。
「チャノムへ行きます。」
巡礼の際、癒しの館で一つ約束をしていた。
行くべき場所があることは有難かった。
街外れに来ると、ぽつんと人が立っているのが見えた。
「バートンさん?」
トンプソンの屋敷で別れたバートンだった。
「ああ、良かった。会えましたな。」
バートンは小さな包みを一つ、ラップに押し付けた。
重みがある。
「厨房で包ませました。持っていってください。」
中身は食料らしい。
「ありがとうございます。」
ラップは礼を言って包みを受け取った。
「牢屋に入らずに済んだ上に、こんなにまでしていただいて。」
ラップが言うと、バートンはかぶりを振った。
「旦那様は、久しぶりに意気揚々としておられました。あなたのおかげです。」
バートンの言葉にも明るさがあった。
『この人達の力になれたんだな。』
ラップは素直にそう思えた。
この思いを大切にして、日々を過ごしたいと思った。
「どうぞ、お元気で。」
バートンが言った。
「バートンさんも。トンプソンさんにも感謝していたとお伝えください。」
ラップは言い、バートンと警備兵に一礼すると、街道に向かって歩き始めた。
「そうだ。」
ラップは足を止めて振り向いた。
バートンはまだそこにいた。
「グリムゾンの墓は、どこにありますか。今度来た時に詣でたいと思います。」
ラップが尋ねると、バートンの顔つきが変わった。
「あれに墓などない。」
言い捨てるようにバートンが言った。
「え?」
「焼けた屋敷のそばの海に、放り込まれた。君も忘れることだ。」
ラップは驚いて言葉を失った。
バートンは軽く会釈をすると、近くで待っていた馬車に乗って去っていった。
警備兵がずっと立っているのに気付いて、ラップは再び街に背を向けた。
「海に、捨てた?」
街道をしばらく歩いて、やっとラップは言葉を吐き出した。
道を外れ、潅木を掻き分けて、海の見える崖で立ち止まった。
テュエールの海は深い。
『こんなところに亡骸を捨てたのか。』
大地に還ることもなく、冷たい海の中をいつまでも漂っているのだろうか。
込み上げて来る思いのまま、ラップは右腕を前に突き出した。
右手に魔力が集まり、一本の凍った槍が出来ていく。
ラップはそれを力任せに大地に突き刺した。
涙がこぼれて、止まらなかった。
今まで、恐怖や反省で泣いたことはあったが、グリムゾンの最期に哀れみを感じて泣いたことはなかった。
『あなたは悪事を働いていた。そのことは許せない。』
人として、彼の行為は許せない。
だが、その命を奪ってしまった者として、同じ魔法使いとして、その最後は安らかな眠りについていて欲しかった。
『あなたにも安らぎがありますように。』
ラップの祈りは、長く続いた。
涙が枯れてから、ラップはにじむ目で少し離れたテュエールの街を見た。
夕闇が街を包み始めており、柔らかな家々の明かりがとても暖かく見えた。
『あそこには、行けないんだ。』
改めて思った。
与えられた罰を、はじめて罰として意識した。
追放されるというのは、あの暖かさを望めないということだ。
「…………」
虚しさがこみ上げて、ラップはマントを掻き寄せた。
「こうやって、はぐれ者になって、山賊になっていくんだ……。」
人々の暮らしから切り離されて。
野山に、荒地に、たった一人で生きる事を強いられて。
自分の命運を呪いたくもなるだろう。
人々の暮らしにねたましさを覚えることも、容易に想像が付いた。
ラップはため息をつき、ゆっくり顔を左右に振った。
「一人でいてはいけない。闇に吸い込まれてしまいそうだ。」
チャノムの癒しの館に行けば、古い知人たちがいる。
その前に、国境の砦、小さな集落もあるだろう。
『出入を禁止されたのが、テュエールだけでよかった。』
何処か、人のいる場所へ行こう。
もう手配書を気にすることもない。
はるか遠くでも、別の町なら大手を振って歩けるだろう。
溶け始めた氷の墓標をあとにして、ラップは暗闇の覆う森へ入っていった。
(2016.2.14)