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紺碧の揺り籠にて:ミッシェルさん捏造企画

最終更新日2018年4月23日

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紺碧の揺り籠にて

-1-

プラネトス号の船長室は甲板上にある。
船の中央、一段高くなった場所の操舵輪の後方だ。
場所柄、航海長をはじめとする船員たちの出入りも多い。
プライベートの守れるような部屋ではなかった。

書き物机の奥に、カーテン一枚で仕切られた寝台がある。
ラップはそこを自分の寝台として提供されていた。
客人を泊める場所が他に無いとの話だった。
事実そうなのかどうかは、判然としない。
船尾に、本来の船長室と思しき部屋はあるのだが。
つまりはラップが、そこを使うまでの賓客ではないという事なのだろう。

ラップに寝台を明け渡した船長のトーマスは、同じ部屋にハンモックを吊って寝ている。
最初はとても恐縮したのだが、そのうち、ハンモックを吊るす金具が年季の入ったものだと気が付いた。
今回のために作りつけた物ではなさそうだった。
尋ねてみると、昔、ガウェインから船長としてのあれこれを学ぶ際に、このハンモックを使って同居していたそうだ。
船の中で、あるいは港に着いた時に、船長としてなすべき事を、見て聞いて覚えたという。

「あんたも覚えてくれるといいんだが。」
感心していたラップに、トーマスが言った。
「私が? 船長の仕事をですか?」
疑問に思って聞き返すと、トーマスは頷いた。
「ガガーブを越えるまでに、俺と同じ事を考えられるようになってくれると有り難い。」真面目な顔で言う。
「嵐の中で相談しているようじゃ、あれは越えられないだろう?」
最後は口の端を上げ、ニヤッと笑う。
ラップも小さく笑った。
「そういうことですか。」
プラネトス号のことも、海についても、ラップは素人同然だ。
船でガガーブを越えるというトーマスの夢を叶えるため、現役の船長から学び取って欲しいというのだ。
理にかなっている。
トーマスから学べることは多いだろう。

ラップからも提案することが多くある。
魔法をどう使ってプラネトス号を進ませるのか。
ただ話すだけでなく、どう使うか、何故そうするのか。
トーマスにも熟知してもらい、いざという時に役立てて欲しい。
互いに生徒であり、先生でもあるというわけだ。

「わかりました。勉強させてもらいますよ。」
ラップが言うと、トーマスは満足そうに笑った。

-(ここまで前置き)-

 

-2-

ばたんという音と共に、冷たい風が吹き込んだ。
その音と冷気で目を覚ましたラップは、入ってきた人の気配に意識を向けた。
慣れた動きでランプに明かりがともされ、椅子を引いて座り込む音がした。
船長のトーマスだ。
肩の力を抜いて、ほうっと息を吐く。
その音に気付いたか、カーテンが細く開いた。
「悪い、起こしちまったか。」
身を乗り出して、トーマスが覗き込んでいた。
「いえ、丁度目が覚めたところです。」
ラップは無難に答えた。
船長室を間借りしている身として、彼に気を使われるのは肩身が狭い。
「そっか。」
トーマスは安心したように答え、それからひとつ、大きなくしゃみをした。
「大丈夫ですか?」
ラップは尋ねた。
「今夜は風が冷たくてな。」
トーマスはそう答えてから、またひとつくしゃみをした。
「よかったら寝台を空けましょうか。」
ラップは言った。
まだ夜中だけれど、どうせ目が覚めてしまったのだ。
朝まで本でも読んでいればいい。
だが、トーマスはとんでもないという風に手を振った。
「大丈夫。ラップさんはしっかり休んでくれよ。」
「ですが……」
ラップは口ごもった。
トーマスがラップを気をつかっているのか、それとも本当に大丈夫なのか、判断がつかなかった。
「あなたが風邪を引いたら、皆さんが困るでしょう?」
ラップは常識的な問いを投げかけてみた。
「いや、このぐらいで風邪なんか引きやしないって。」
トーマスは面食らったように答えた。
どうやら本気のようだ。
「そうですか、分かりました。」
トーマスの反応を見て、ラップは自分の主張を取り下げた。
船に慣れていないラップを気遣ってくれる、その気持ちを素直に受け取ろうと思った。

「でもまあ、そこまで言ってくれるなら……」
航海日誌を開き、ペンを弄びながら思案顔をしたトーマスは、やがてニヤッと笑ってラップを見た。
「あんたは俺が冷えたままなのが嫌、俺はあんたを寝台から追い出すのが嫌だ。だったら、俺をその寝台へ入れてくれるっていうのはどうだい?」
「は?」
今度はラップが面食らう番だった。
さすがにこれは悪ふざけだろう。
『大体、この寝台にもう一人入れるのは無理でしょう?』
船というのは限りある空間に大勢の乗組員を乗せているものだ。
もちろん人だけでなく、船を維持する数多くの物が積み込まれている。
従って、部屋も寝台も、必要最低限の大きさしかない。
多分陸の一番安い宿酒場だって、この船長室より幅広の寝台を置いているだろう。
そんなことを考えていると、トーマスがため息をついた。
「わかった。嫌だよな。俺が調子に乗りすぎたな。」
がっかりした様子でカーテンを閉めようとするトーマスに、ラップは思わず声を掛けた。
「あ、ちょっと……」
「ん?」
トーマスは手を止めてラップを見る。
目を見開いて、ちょっと期待をにじませている顔を見て、ラップは腹をくくった。
「どうぞ。構いませんよ。」
多少声が引きつっていたが、努めて冷静に言った。
一瞬間が空いてから、トーマスが噴き出した。
「ラップさん! 本当にいいのかい?」
トーマスの反応に、ラップは言葉も出なかった。
やはりからかわれていたのだろう。
今不愉快だと言えば、悪ふざけはおしまいになるに違いない。
だが、好奇心の方が勝った。
「一度言ったことは、取り消しませんよ。」
ラップは挑戦的に言った。
トーマスは笑うのをやめた。
「そりゃあ良い心掛けだ。」
トーマスは急いで航海日誌を書き上げると、パタンと閉じた。
「んじゃ、気が変わらないうちにっと。」
立ち上がったトーマスが、カーテンの後方に消えた。
聞こえてくる音から察するに、着替えをしているようだ。
彼には悪ふざけを降りる気はないらしいと察して、ラップはため息をついた。

「お邪魔するぜ。」
程なく、トーマスが毛布を抱えて現れた。
ラップは自分の肩幅ほどしかない寝台の上で、もう一人分の隙間を作るために身体を横に向けた。
背中を壁に押しつければ、何とか半分くらいの空きを確保できた。
「どうぞ。」
ラップが言うと、トーマスは空いた場所へ毛布を広げた。
ランプの明かりを消し、それからごそごそと横になる。
「んー、温かいなー。」
真っ暗になって何も見えなかったが、満足そうな声がすぐそばから聞こえた。
トーマスの気配が近い。
ふいに、胸を締め付けられる感覚を覚えて、ラップは息を呑んだ。
「それは良かったです。」
半ば上の空で言った。
壁に当たった背中が冷たかった。
これは少々分が悪い駆け引きだったかもしれない。
「ラップさん、あきれてるだろう?」
トーマスが言った。
「そんなことはないですよ。」
ちゃんと言葉通りに聞こえていれば良いが。
そう思いながらラップは答えた。
「……そういうのは声で分かる。」
トーマスは言った。
少し笑いを含んだ声だった。
「そうですか。」
ラップはため息をつくと、誤魔化すのをやめて発言を訂正した。
「正直に言うと、少々あきれました。」
「そうか。」
トーマスが言った。
納得したというような響きだった。
「ま、ここまで悪ふざけに付き合ってくれるって分かって、俺は嬉しいぜ。」
「途中で笑い飛ばしてくれるかと思ったのですが。」
ラップは不満げに言った。
「まあ、それでも良かったんだが、限界を知っておきたくてさ。」
「限界?」
「あんたが、何をしたら怒るか、あきれるか、そういうのを知りたかった。」
トーマスの返事は淡々としていた。
「そんなこと、これからいくらでも機会はあるでしょう。」
思わず言い返してしまったのは、背中にこびりつく冷気のせいかもしれなかった。
「あんまり悠長にもしていられなくてね。」
トーマスの返事は、ラップの問いをはぐらかしているように聞こえた。
こういう人なのか。
ラップはもたげてきた不満を頭の中で分析する。
確かにトーマスは積極的な人だ。
初対面でガガーブを渡ってきたと言った途端、熱烈な歓迎を受けた。
それからも、彼の夢、船でガガーブを越えることを熱心に語られ、誘われ、今に至る。
少々強引だと感じたのは、今が初めてではない。
『いや、おかしいのは彼じゃない……』
たぶん。
ラップが人との付き合いを知らないだけだ。
限られた、魔法使いや魔法を理解する人たちとの付き合いしか知らない。
普通の人々と共にありたいと願いつつも、それには遠く及ばない生き方をしてきた。
ここ、エル・フィルディンに着くまでは。
魔法使いへの対応が全く違うこの世界で、ラップは初めて穏やかな日常を味わった。
魔法が、剣やその他の武器と並んで重宝される恩恵にあずかった。
そして誰からも遠巻きにされず、話の輪に入り、自分の言葉に耳を傾けてもらった。
『故郷へ帰ることが、私を不安にさせているのだろうか。』
あまりにも異なる二つの世界を知ってしまったから。
トーマスが魔法使いを虐げるなど有り得ない。
多少のすれ違いは仕方ない。
わかっていても、過去に味わった人の変貌が甦ってきて、いつか差別を受けるのではないかと怯えている。
だからさっき、胸を締め付けられた。
こんなに近くにいるのに。
いや、こんなに近くにいるからこそ。

「怒ってるのかい?」
トーマスが聞いてきた。
ラップはハッとした。
黙り込んでしまっていた。
「いいえ。考え事をしてました。」
「へえ、なんだい?」
さり気なく聞き返された。
多分トーマスも、内心では気をもんでいるのだろう。
「私の故郷のことです。向こうに着いたら話しますよ。」
ラップは答えた。
「そりゃ、当分お預けじゃないか。」
「先の楽しみにしておいてください。」
心地良い話ではないが。
あちらに着いたら、避けて通れる話ではないだろう。
「そっか。」
そう言って、トーマスはあくびをした。
「俺は夜明け前には起きるから。」
「はい。お休みなさい、トーマス。」
「お休み。」
それきり声が途絶えた。
暗闇の中で、自分とトーマスの息遣いだけがする。
『不思議だ。』
人とこれほど近く寄り添うのは。
嬉しいのに、未来を思うと悲しい気もする。
『長く、付き合いたいものですが。』
また胸がチクリとした。
人付き合いを望んでいながら、いざ手に入るとなると尻込みする。
そんな自分が歯がゆくて、ラップはなかなか寝付けなかった。

(2018.4.23)

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