カヴァロ解放
day11-1
カヴァロの市民たちは広場を動こうとしなかった。
霧雨はうずくまる市民たちの上に音もなく降り、人々の体温で蒸発していった。
アヴィンやロッコたちは交代で眠り、おぼろげに人の姿が見えだした頃、広場へ再集合した。雨は上がっていた。
「市庁舎の連中も寝ていないようだ。」
グレイが言った。
暗闇の中、市庁舎のカーテンの隙間からは細い明りが漏れ出ていた。
「こちらが突っ込む事も予想しているかもしれない。防御をおろそかにしないでくれよ。」
ロッコが皆に言った。
「ウェンディの歌は止んでしまいました。彼女も眠ったんだと思います。」
ラテルが言った。
「これから市庁舎へ侵入する。先に囮役が反対側で騒ぎを起こしてヌメロス軍の注意を引き付けるんだ。その間に救助役が窓を破ってウェンディを救出する。」
「囮はいつ撤退すればいい?」
アヴィンが尋ねた。
「救出に成功したら知らせるよ。そうしたら引き上げてくれ。」
「わかった。」
アヴィンが頷いた。
「この二人が救出役だ。マイルとトムソンさん。頼むよ。」
ロッコが二人を紹介した。
「囮は残り全員だ。グレイとドルク、アヴィンにレイチェル、シャオさん。それに俺も加わる。」
「ねえ、みんな。」
マイルが控えめに呼びかけた。
「ん? どうした、マイル。」
皆の目がマイルを注目した。
「この間もそうだったんだけど、雨の後の朝、霧が立ち込めることが多いよね。今日はどうかな?」
「ああ、可能性は高いな。」
すかさずトムソンが答えた。
「霧か。もし視界が悪くなれば好都合だが。…しばらく待ってみるかい?」
ロッコが皆に聞いた。
「あまり明るくなってからでは、奇襲の意味がないな。」
グレイが言った。
「うん…。半時間だけ待ってみよう。霧が出ても出なくても、半時間後に決行する。」
囮になるアヴィンたちは、市庁舎の東側の高架水路の下に身を隠した。
ちょうどパン屋の隣を通っている水路の下である。
香ばしいパンの焼ける匂いがあたりに漂っていた。
「なんだかお腹が鳴っちゃいそう。」
レイチェルが惜しげなく晒したへそのあたりを手で押さえた。
「今のうちに食事をしたら良いよ~ん。」
本気なのか冗談なのか、シャオが答えた。
「おいおい、一人だけ抜け駆けはなしだ。ひと働きするまで我慢しろよ。」
アヴィンが苦笑しながら二人に言った。
(やっとここまでたどり着いたのですね~感無量(^^))
市庁舎内は戦時さながらの様子だった。
ヌメロス兵士は皆鎧を着け、兜をかぶった。
机やテーブルの類は部屋の隅へ追いやられ、兵士たちは床に座り込んで休息を取った。
「出来んと言うのか!?」
ゼノン司令が小声で叱咤した。
一般兵と隔離された、ゼノン司令の執務室である。
司令の前には、カヴァロの留守を預かる中隊長が身を縮こめて立っていた。
「わしと護衛兵がカヴァロの南へ抜ける道を作れと言っているのだ。」
「しかし、今広場には市民が一杯いて…。」
「生ぬるい手ではカヴァロの連中は黙らん。抵抗する者に容赦は要らん。」
ゼノン司令は中隊長に意味ありげに笑って見せた。
「!!」
中隊長の顔が恐怖に彩られた。
「そんなことっ! し、市民を切るなんて!」
狼狽した様子の中隊長を見て、ゼノン司令は舌打ちした。
この男では任せられない。
「司令官殿。そのお役目、私にやらせてください。」
そのとき、後ろに並んでいた小隊長の一人がおずおずと申し出た。
ゼノン司令はじろりと相手を見た。
「お前、名はなんと言う。」
「小隊長のワリスです、ゼノン司令殿。」
ワリスの目がギラギラと光った。
総司令官の目に留まったという栄誉に酔いしれているような目つきだった。
ゼノン司令は目を細めた。
『こういう奴でなくてはいかん。』
「そうか。ではワリス。わしはこれから新たな作戦に赴く。市庁舎前から南口まで、わしらを援護して無事に通せ。邪魔をする市民に手加減は無用だ。」
「はっ!」
「沼地にわが旗艦が来る手はずだ。わしが援軍を連れて戻るまで、カヴァロを死守せよ。首尾よく出来たあかつきには…。」
ゼノン司令はにやりと口元を吊り上げた。
「お、お任せくださいませ!」
褒美をちらつかされ、ワリスは口から泡を飛ばさんばかりにして答えていた。
空が白むのに合わせるように、街はぼんやりとした霧に包まれた。
「マイルの予想が当たったな。」
アヴィンがあたりを見て言った。建物も、広場に座る人々も、細かな粒子の向こうにかすんでいた。
「そろそろ、時間だ。」
ロッコが言った。
囮は音を消す必要もない。
アヴィンたちは霧にまぎれて水路を越えると、建物の一番東側の部屋の窓を叩き割った。
「なんだ!?」
市庁舎の中でも、広場の人々もハッとして耳を側だてた。
「大丈夫、味方がウェンディを助け出すんだ。」
ラテルが街の人々に説明した。
「浮き足立つなよ。俺たちがあわてると邪魔になっちまうからな。」
スタンリーが中腰になった市民に声をかけた。
「始まったみたいだ。」
マイルとトムソンは頷き合った。
霧にまぎれて、二人は水路を飛び越えた。
ウェンディが捕らわれている資料室は、建物の西の端にあった。
裏側の肩の高さに窓があった。
資料を日光から守るために、分厚いカーテンが引かれていた。
マイルは油断なく構えながら、窓の格子をトントンと叩いた。
ウェンディが起きているなら何か反応があるだろう。
しかし、兵士が一緒にいる可能性もあった。
トムソンは愛用のナイフを剥き出しにして握っている。
もし兵士が顔を覗かせたら、すぐに攻撃に移れる構えだった。
カーテンが揺れた。
「!!」
緊張して見守る二人に、細いしなやかな手が見えた。
続いて恐る恐る外を眺める一対の瞳。
「ウェンディ!助けに来たんだ。ここを開けて!」
マイルが叫んだ。
一瞬信じられないように見開かれた瞳が、次の瞬間には笑みをたたえ、涙に潤んだ。
鍵がはずされ、ウェンディが顔を覗かせた。
「助けに来てくださったの?」
「うん。何か踏み台になる物があるかい?」
マイルが尋ねるとウェンディは首を振った。
「いいえ。テーブルはあるけれど、とても持ち上がらないわ。」
「・・・そうか。」
二人は部屋の中を覗き込んだ。
テーブルは部屋の入口際にあって、引きずってくるのは大変そうだった。
書類棚も窓から離れていて、棚板を踏み台にする事も出来なかった。
「マイル、窓に乗って、ウェンディを抱き上げてくれ。」
トムソンが言い、腰をかがめて壁際で踏み台になった。
「うん、わかった。」
マイルは躊躇せずにトムソンの背中を足がかりにして窓枠の上に移動した。
「ウェンディ、思いっきり飛び上がって。」
「え、ええ。」
ウェンディは窓枠を掴み、反動をつけて精一杯飛び上がった。
マイルが体を支え、上に引っ張り上げる。
口で言うほど簡単ではなかったが、ブーメランを受け止めるマイルの腕力は、見かけほどやわではない。
なんとかウェンディの上体を窓に引っ張り上げる事に成功した。
マイルは先にトムソンの背中に降りた。
「しばらくの辛抱だよ、トムソンさん。」
「おお、大丈夫だ。」
「さ、ウェンディ、僕につかまって。こちらへ降りるよ。」
「ええ。」
ウェンディはマイルに支えられて身体を引き上げた。
窓枠に座り、片足づつ外へ出す。
そして、思い切ったように地面へ飛び降りた。
市庁舎へ突入したアヴィンたちは、ヌメロス兵から、まるで待ち構えていたような反撃に遇っていた。
「どういうことだ?」
ドルクが剣をかわしながら叫んだ。
「こいつらも、でくの坊じゃないって事かな。」
グレイが言い返した。
「必死にもなるだろう。外にあれだけ市民が押し寄せているんだ。」
アヴィンが言った。
「でも何かな…、指揮系統がちゃんと生きてる感じだぜ。」
グレイは言った。
「俺たちが突入するのを知っていたとでも言うのか?」
「ま、人質を取ってるんだから予想はするだろうがな。」
必死の兵士たちと違い、争うつもりのないこちらは冷静なだけ有利だった。
分断されないように固まって、兵士の剣をかわしていると、建物の真ん中の方で呼子が鳴った。
「?!」
ギョッとしたのは、アヴィンたちも兵士たちも同じだった。
「あ、退却していきやがる。」
ドルクが思わずつぶやいた。
その通りだった。
アヴィンたちを警戒しつつ、兵士たちは徐々に後ろへ後退していった。
「どうしたんだ。マイルたちは成功したのか?」
ロッコがいぶかしげに眉を寄せた。
「うわあーっ!」
「きゃーっ」
「兵士が、兵隊が-っ!」
表の方から、街の人と思しき絶叫が聞こえてきた。
「なにっ?!」
アヴィンたちは一瞬顔を見合わせた。
背中に冷たいものが流れた。
「大変!兵士が橋を越えて、広場に突入しているわ!」
しんがりを務めていたレイチェルが叫んだ。
「まずい、市庁舎の正面にはラテルしかいない!」
ドルクが叫んだ。
「戻れ!」
ロッコの叫び声を聞くまでもなかった。
アヴィンたちは、突入してきた窓から建物の外へ飛び出していった。
「ありがとう、二人とも。」
市庁舎の中から助け出されたウェンディは、マイルとトムソンに頭を下げた。
「ううん。しっかりしてたよ、ウェンディ。怪我はなかったかい?」
マイルは彼らしい言い方でウェンディを気遣った。
「さあ、さっさと水路を渡っちまおう。」
トムソンが先に水路を飛び越え、ウェンディに手を差し出した。
あたりはやっと足元が見えるように、明るくはっきりとし始めていた。
ウェンディは思い切って飛んだ。
「ああ…」
ウェンディは安堵して小さく息をついた。
「ウェンディ!」
「ウェンディ!」
「メリトス社長、テオドラ、みんな…!」
救出を今か今かと待っていたメリトスたちが、ウェンディを取り囲んだ。
「皆さん、私の勝手な行動でご迷惑をかけて・・・ごめんなさい。」
「…いいのよ、ウェンディ。あなたの熱意に気付かなくてごめんなさい。あなたの気持ちはみんなに伝わったわ。街の人はみんな、あなたを救いたくてここへ集まってくれたのよ。」
そう言われて、ウェンディは初めて広場に目をやった。
「まあ!」
広場を埋めるたくさんの人のシルエットに、ウェンディの目が大きく見開かれた。」
「皆さんが私を…心配して?」
「ええ、そうよ。」
「ゼノン司令に二度も君を解放しろって要望書を出したんだよ。向こうは聞かなかったけどね。」
バルタザールが訳知り顔で言った。
「さあ、少し休みましょう。」
メリトス女史がウェンディを伴ってホテル・ザ・メリトスの方へ歩き出した時だった。
市庁舎に面した広場の正面から、市民たちのうろたえた叫び声が聞こえてきた。
「!!」
皆の足が止まった。
「ヌメロスが動き出したんだ!マイルさん、トムソンさん、行って下さい。ウェンディは僕たちで連れて行きます。」
「大丈夫かい?」
マイルはバルタザールとヴォルフに尋ねた。
「大丈夫。無茶はしません。」
頼もしい返事があった。
「オッケー。トムソンさん、行こう!」
マイルは身を翻して市庁舎正面に向かった。