カヴァロ解放
day8-1
「なんで今日も俺が休まなきゃいけないんだ。交代で休むって言っただろう?」
身支度をしているマイルを横目で見ながら、アヴィンが不機嫌そうに言った。
「なぜって、自分の胸に聞いてごらんよ。心当たりがあるだろう?」
マイルはアヴィンに言い返した。
「…俺の方が疑われているからか?」
アヴィンは上目使いにマイルを見た。いかにも認めたくなさそうな口調だった。
マイルはにこっと笑った。
「わかっているなら良いんだよ、アヴィン。」
「今日、ロッコたちが返事を持ってくるかもしれないだろう?俺もその場に立ち会いたいよ。」
アヴィンは納得できないという顔で言った。
「皆のいる所なら大丈夫さ、会議が開かれるなら呼んであげるよ。ともかく、一人であちこち動き回らないで。これ以上街の人を刺激しないことだよ。いいね。」
「俺は何も悪いことをしてないんだぞ。」
アヴィンは強い口調で言った。
「ちゃんとわかってるよ。彼らに会った時にはミッシェルさんが一緒だったんだし、僕は全然疑っていないよ。ただ、それを街の人には言えないからね。」
「ああ…、そうだよな。」
アヴィンが肩を落としてため息をついた。
マイルはやれやれといった顔でアヴィンを見つめた。
マイルが見張りに出ていったあと、アヴィンは食堂へ下りていった。
「どうしたんだ?あんたがサボりとは珍しいじゃないか。」
バーテンが、わざわざ自分で注文を取りに来て聞いた。
「ずっと休みなしだったから、たまには休んでくれってさ。」
アヴィンは投げやりに言った。
バーテンの好奇心は承知していたが、取り繕って説明する気にならなかった。
「そうか。あんたには、やる事がないのは堪えるみたいだな。」
バーテンはずばりと言った。
「ああ。退屈だよ。」
アヴィンも正直に答えた。
「そうだ、この間珍しい話を聞いたんだ。」
皿を下げに来たときバーテンが言った。アヴィンは何かと思って顔を上げた。
「道具屋がね、魔法力を回復させる薬があると言っていたんだ。前にあんたがヌメロス兵を魔法の攻撃でやっつけただろう。その話をしていたら、店に置いてあるって言うんだよ。」
「へえ…。」
アヴィンは心が動いた。
「誰がそんな物買うんだって聞いたら、旅芸人なんだそうだ。自分で身を守らなくちゃならないから、魔法の修行をした人が多いんだとさ。…最近だいぶ売れちまったみたいだが、まだ売れ残っているかもしれないぜ。」
「そうなのか。・・・行ってみようかな。」
どうせ何も出来ないなら、いざという時の準備をしておくのも手だ。
アヴィンがその気になったのでバーテンは嬉しそうな顔をした。
「やっぱり関心があるか。俺から聞いたと言えば道具屋も出してくれるだろう。役に立ててくれよ。」
「ああ、ありがとう。」
アヴィンはバーテンの言葉を背中に受けて、食堂を出ていった。
「こんにちは、アヴィンさん。」
道具屋で目的の物を買い揃え、戻る途中で、アヴィンは後ろから呼びとめられた。
振り向くと、ヴァイオリンのケースを下げたアルトスが足早に寄ってきた。
「やあアルトス。どこへ行くんだ?」
「ホテル・ザ・メリトスです。ウェンディさんと音合わせなんです。」
「何だ、俺も戻るところだよ。ふーん、毎日練習するんだな。昨夜はうまく演奏していたのに。」
アヴィンが言うと、アルトスは笑った。
「カヴァロは耳の肥えたお客さんがすごく多いんです。それに、何よりウェンディさんが厳しいですからね。」
「そうなのか?俺にはわからないぞ。」
アヴィンが言うと、アルトスは少し考えてから言った。
「剣術にも似たような所があるんじゃないですか?同じ構えをしても、人によって全然違ったりしますよね。」
「ああ、そういう事ならわかる。」
「昨晩のウェンディさんは、特に厳しかったですけどね。」
アルトスの言葉に、アヴィンは会議で一人息巻いていたウェンディのことを思いだした。
「ふーん。」
アヴィンはあいまいに答えた。
「昨日の会議には、アヴィンさんもいたんですよね。」
アルトスが声を潜めて聞いた。
「ああ、いた。」
「マシュー親方、帰ってきたら保存用の固焼きパンを焼き始めたんです。何か、あったんですか?」
「……。」
アヴィンはすぐに言葉が出てこなかった。
『そうか、もう動き始めた人もいるのか。』
やはり、昨日の会議を境に、街の何かが変わったのだ。
今までのような、ヌメロスを半ば受け入れた生活は、もう崩壊していくに違いない。
アヴィンは答えなかったが、その真剣な表情を見て、アルトスは合点がいったようだった。
二人は無言でホテル・ザ・メリトスに向かった。
「お帰り。どうだった?」
食堂に戻るとバーテンが声を掛けた。
朝食の客はいなくなり、ウェイトレスが床掃除をはじめていた。
「ああ、あったよ。」
アヴィンは道具袋を振ってみせた。
続いて入ってきたアルトスが大きな声であいさつした。
「おはようございます。ステージで練習させてもらって良いですか?」
「おやアルトス、こんな時間から練習かい?親方が許してくれたかい?」
「はい!ウェンディさんも来るはずです。」
「そりゃいいや。いくらでも使ってくれて構わないよ。」
バーテンは嬉しそうに答えた。
アルトスはテーブルにケースを置いて支度をはじめた。
「あら、アヴィンさん、お仕事はよろしいの?」
練習にやってきたウェンディは、アルトスのバイオリンに耳を傾けているアヴィンを見つけて言った。
「今日は休みなんだ。」
アヴィンは答えた。少々皮肉が入っているような気がしたが、女性に上手く切り返せるような話術をアヴィンは持ち合わせていなかった。
「そうですの。」
アヴィンのぶっきらぼうな返事にあきれたのか、ウェンディはそれっきりアヴィンのことは目に入らないようだった。
「おはよう、アルトス。始めましょう。」
「はい、よろしくお願いします。」
歌とヴァイオリンが素朴な音楽を紡ぎはじめた。
ふと、故郷の村の事を思い出す。アヴィンはテーブルの一つを占領したまま、じっと耳を傾けていた。
「大使のことを一般市民の前で公表することは出来ず、昨日の話し合いはそこまででした。」
ヌメロス帝国の大使館では、ロッコが駐在大使と密会していた。
「ふむ…。そうか、いたし方あるまい。まだ我々の動きをゼノン司令に察知される訳にはいかんからな。では、カヴァロの者たちは立たないのだな。」
「昨日の段階では、まだ。しかし、エキュルの人形細工の事が気にかかっている様子でした。もし人形の技術が盗まれ、木人兵がさらに強力になると知れば、一刻も早く街を取り戻すために動き出すと思います。」
「そうか。」
駐在大使はロッコの一言一言をうなずきながら聞いていた。
「その後エキュルの情報は何か?」
ロッコは尋ねた。
「まだ何もないのだ。こちらからも探りを入れているが、あまりしつこくては疑念を抱かせるのでな。」
「そうですね…。」
ロッコはうなだれた。
自分たちはこんな事しか出来ないのか。パルマン隊長にカヴァロを頼むと言われた時には、街の人の先頭を切って戦う自分たちの姿を脳裏に描いた。それなのに、現実は何一つ思い通りに動かす事すら出来ないのだ。
「あせるな、ロッコ。圧政に耐えてきた時間を思えば、これ位の待つ事などどうともない。たとえカヴァロがあちらの手に落ちたとしても、我々は忍耐せねばならんのだ。」
「大使!隊長が命じられたことは、カヴァロを救うと…。」
ロッコが声を高くすると大使は目線でそれを咎めた。
「もちろん、可能な限りの事はしよう。だが、これは大きな賭けだ。カヴァロもあの方も共にお守りする勢力が我々にあれば別だが…。」
大使の言葉には、あきらめの表情がにじんでいた。
「カヴァロを救えない我々に、祖国を救うことが出来るのでしょうか。」
ロッコは感情にまかせて口を滑らせた。
「……」
大使は深く眉を寄せた。
「はっ、し、失礼しました!」
失言に気づき、ロッコはあわてて自分の口をふさいだ。
「いや、良い。…そうだな。守りになってはいかんな。」
大使は腕組みをして目を閉じた。
「連絡を密にしよう。エキュルの情報は入手次第連絡する。我々もそろそろ決断をせねばなるまい。・・・よもや先陣を切るのが、国外にいる私の役目になるとは思わなかったがな。」
昼近く、ホテル・ザ・メリトスの食堂がまた人々でにぎわい始めた頃、スタンリーがやってきた。
「アヴィンさん、連絡だ。」
疑いを解いていない固い表情で、スタンリーはアヴィンに声を掛けた。
「何か情報が入ったのか?」
非番のヌメロス兵も来ている。アヴィンは声を潜めたが、うんざりしていた顔に輝きが戻ってくるのは止めることが出来なかった。
「ああ、連絡が入った。食事の後でこの間の場所へ集まってくれ。」
そう答えながらも、スタンリーの目はアヴィンの一挙一動を観察している。
仲間と思っている相手に疑われるというのは、きわめて辛い事だった。
アヴィンはともすれば攻撃的になる自分を抑えてスタンリーを見返した。
「わかった、ありがとう。必ず行くよ。」
「こんなところでぼんやりしているのは性に合わないんだろう?」
スタンリーがにやっと笑った。
「…せっかく休ませてもらっているんだ。のんびりするさ。」
アヴィンは軽く唇を噛んだ。
スタンリーは、自分の街がこんな具合だから、過敏になっているだけだ。自分だって、昔はまわりを冷静に見ることなんて出来なかった。自分のとらわれた感情に振り回されていたじゃないか。
アヴィンはそう考えることにした。
「それって、昨日の続きがあるということですの?」
二人の会話が耳に入っていたらしい。突然後ろからウェンディが割り込んできた。
「そう。向こうの見解が聞けるらしいよ。」
スタンリーが言った。そんな事、アヴィンには一言も言わなかったのに…。
「ぜひ、私もお伺いしたいですわ。」
「本気かい、ウェンディ?」
思わずアヴィンは言った。昨日のように闇雲に反対されるのはかなわないと思ったのだ。
「いけませんの?」
ウェンディがアヴィンを睨みつけた。
「昨日も聞いたんだ、来れば良いじゃないか。」
スタンリーはウェンディの味方をした。
「…好きにすれば良いさ。」
居たたまれなくなって、アヴィンは食堂を出ていった。
街へ出ても、どこにも行く当てはなかった。マイルに会いに行けば、いらいらの原因を話さなくてはいけないし、かといって一人で気晴らしするような場所はなかった。
街の出入り口も、高架水路の取り入れ口も、ヌメロス兵が立っていた。
がっかりしたアヴィンは、空腹を覚えてマシューズベーカリーの扉をくぐった。
「おや、久しぶりだな。食堂のメニューに飽きたかい?」
マシュー親方がアヴィンに話し掛けた。客商売のマシューは人を覚えるのが早い。アヴィンはとっくに顔を覚えられていた。
「まあね。」
アヴィンは小さくため息を付いた。
「そう気に病むなよ、傭兵さん。」
マシューが言った。アヴィンははっと顔をあげた。
まるでアヴィンの気持ちがわかっているような言葉だった。マシューは言った。
「ここは街中の人が来るからな。何でも耳に入ってくるのさ。何だかぎくしゃくしているらしいが、お互い様だろう。」
マシューは焼きたての暖かいパンをアヴィンに勧めた。
「お互い様?」
「わしらは自分の街を守りたくて精一杯だし、あんたは…あんたたちかも知れんが、ただの傭兵ではなさそうだしな。腹を割って話せない以上、どこかであきらめる部分も必要さ。」
「べ、別に俺は…。疑われているようなやましい事はない。」
アヴィンはあわてて答えた。
「そうか…。それならいいんだ。」
マシュー親方はそれ以上詮索してこなかった。アヴィンはホッとして温かなパンをいくつか買い込んだ。
「親父さん、アルトスから聞いたんだ。保存用のパンを焼き始めたって?」
アヴィンは他の客に聞こえないよう、小さな声で尋ねた。
マシューはこれも小さく頷いた。
「備えあれば憂いなし、と言うからな。わしは剣を振ることは出来んが、皆の腹を満たすことは出来る。あんたも、何でも上手く運ぼうとはせずに、自分の役割の部分だけを考えればいいんだよ。」
マシューはじっとアヴィンを見て言った。
「あ、ああ・・・。そうだよな。」
アヴィンは胸がじわっと熱くなった。こんな心細いときに気持ちを汲んでもらえるのは何よりありがたいことだった。
「今日はアルトスが戻るまで店を離れられん。あんたはちゃんと行くんだぞ。」
「ああ、もちろん。・・・ありがとう、親方さん。」
「おやすいご用だ。」
アヴィンは店を出た。幾分気持ちが軽くなっていた。