真実の島へ行きましょう
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いささか、気が緩んでいたのは否めない。それでも、いつもの通りに気を配っていたはずだった。
突然背後に迫ってきた強烈な殺気は、背筋がゾクっとするほどに鋭かった。
一夜が明けて、ドークスに戻るために海岸へ出たアヴィンとミッシェルは、乗ってきた舟がなくなっている事を知った。
それをいぶかしむ間もなく、遺跡の上に一人の男が姿をあらわしたのだ。
顔を隠すように布で覆い、手に禍々しい剣を握っている。
「マドラム!」
アヴィンが叫んだ。 決して忘れられない相手だった。 妹の仇。 それだけでアヴィンには十分すぎる理由になった。
あの忌まわしき日、マドラムはアイメルに「お前は正神殿の者か?」と聞いた。
そして胸を張って「そうです。」と答えたアイメルを斬ったのだ。
神々の争いに、なぜ俺達兄妹が巻き込まれなきゃいけないんだ。アイメルは何もしなかったじゃないか。
なぜ、信じるものが異なることが殺生の理由になる。
「ボルゲイドから依頼を受けた。アヴィン、その命、貰い受ける!」
「やられるものか!」
アヴィンは剣を抜いた。
「アヴィンさん、冷静になって!」
ミッシェルの声も聞こえない。二人は間合いを計りながら対峙した。
「お前は正神殿の者だな?」
「みんな、誤解している。俺達兄妹はカテドラールに拾われて育っただけだ。正神殿の人間じゃない。」
刃がぶつかり合う。アヴィンの一振りは、がっちりとガードされる。跳び退って、また構えを取る。
「あの娘は正神殿の者だと言った。だから斬ったのだ。」
「違う!」
アヴィンは叫んだ。が、本当のところどうだったのかはわからないのだ。
アイメルと、心を落ち着かせてじっくり語り合う時間はなかった。
アヴィンは正神殿にも邪宗教徒にもなじまなかったが、修道院で育ったアイメルが教えを受け入れたかどうかまでは…。
いや、そんなはずはない。俺達をばらばらにしたこの争いの元凶に、アイメルが救いを求めるはずないじゃないか。
「何が違う。お前の心がそう思わせるだけだ。…人には怒りも悲しみも、正義も捨てなければならないことがあるのだ。貴様にそれが、わかるか!」
マドラムが斬り込んでくる。危ういところでかわし、一歩下がって、またかわす。アヴィンの方が押されているのは明らかだった。
「勝手なことばかり言って…。」
アヴィンの怒りが激しくなる。何が正しいのか、自分は正しいのか、わからなくなる。
感情に突き動かされて、アヴィンはマドラムに突きかかっていった。
「神々の争いなんかに巻き込まれてたまるか!」
マドラムが笑ったように見えた。崖の上部の優位な位置からマドラムが跳んだ。
「はっ!」
マドラムの鋭い眼光がアヴィンに迫ってきた。その瞳にこもった殺気にぞっとする。殺られるのか。
かわさなくてはならないのに、視線がはずせなかった。アヴィンは覚悟した。
しかし、マドラムの剣は振り下ろされなかった。
「!」
アヴィンに向けて振りかぶったまま、マドラムは動きを止めていた。
「アヴィンさん、剣を納めてください。この魔法は長く持たない。海に飛び込みますよ。」
「な、何で止めるんだ、ミッシェルさん!」
「冷静になりなさい。ここで命を落として良いのですか。」
アヴィンはハッとした。
そうだった。今は、必ず戻らなければならない旅の途中なんだ。俺の決着は、持ち越してもいい。
「わかった。」
アヴィンは剣を納め、マドラムに一瞥をくれると海に飛び込んだ。
「邪魔が入ったか。」
ミッシェルの掛けた魔法が解けて、マドラムは自由になった。だが、海に飛び込んだ二人は、潮に流されてもう見分けがつかない。
「生きろよ。小僧。」
剣を収め、マドラムは偽善の海に向かってつぶやいた。
波間を漂い始めて、どのくらいになるのだろう。ミッシェルは、流されていく先に、ぽつんと小さな影を見つけた。
「あれは、船ですよ、アヴィンさん。」
「どこに?」
アヴィンの声に力が入っていなかった。ミッシェルはアヴィンを見た。疲れきった顔をしている。
「つらいですか?」
アヴィンはうなづいた。
「掴まっていてもいいかな?」
「いいですよ。強行軍だったから、疲れが取れていなかったんですね。あと少しで助かりますよ。がんばってください。」
ミッシェルは片腕をアヴィンに差し出した。
『早く気付いてもらわなければ…』
ミッシェルは考えて、船に向けて一陣の風を送った。
風の動きには敏感な船乗りのことだ。おかしな風が吹けば、周囲を注意して見てくれるはずだった。
果たして、船の姿はどんどんはっきりしてきた。
ミッシェルは自分たちの居場所を伝えるために何度か風を使った。
こんな合図に逃げ出しもしないのだから、船に乗っているのは魔法をよく知っている者だろう。
おそらくガウェインなのだろうと、ミッシェルは見当をつけていた。
帆も、船体も真っ白い帆船だった。それはミッシェルとアヴィンを見つけると、すぐにボートを降ろし始めた。
「ボートが降りました。もう少しですよ。」
「ああ…」
アヴィンはミッシェルにしがみついていたが、手首に力が入らずに、もぐってしまいそうになる。
「アヴィンさん、気をしっかり持って! 力を抜いたらだめだ!」
ミッシェルが叫ぶが、浮いているだけで精一杯のアヴィンは、返事をすることもできない。
ミッシェルはアヴィンを抱えて、ボートに向かって泳いだ。
「おーい、大丈夫か?」
ボートから声が飛ぶ。
「早くこの子を引き上げてくれ。」
ミッシェルは叫んだ。ボートの動きが慌しくなる。乗ってきた船乗りたちと協力してアヴィンをボートに引っ張りあげる。
「あんた達どっから流れてきたんだ。」
「真実の島からです。」
「じゃ、アヴィンさん達だな。どうしたんだ一体、舟を無くしたのか?」
「訳あって飛び込んだんです。私たちをご存知ということは、あの船はガウェイン様の?」
「ああそうだ。ええとアヴィンって言うのは、どっちだ?」
「そちらがアヴィンさんです。」
「そうか。気を失ってるな。早くおやじさんに見せよう。」
ボートのリーダーと思しき船乗りは決断が早かった。ボートは急いで船に戻った。
「おやじさん!」
ボートの船乗りたちはアヴィンを甲板に引き上げると、待ち構えていたガウェインを促した。
「わかっとる。」
ガウェインがアヴィンの胸の上に手をかざした。暖かなエネルギーのかたまりがアヴィンに吸い込まれていく。
ミッシェルはじっとそれを見守った。回復魔法の最高位プレアラの魔法。ミッシェルの持つものとは比べ物にならない効果なのだ。
アヴィンが心なしか落ち着いたように見える。
「さあ、とりあえず命の危険はなくなった。船室で乾いた服に替えてやれ。」
アヴィンは数人に抱えられて下へ運ばれていった。
「何があったんだ?」
ガウェインがミッシェルに聞いた。ミッシェルはばつの悪い思いがした。
理由はともあれ、アヴィンを元気な姿でガウェインに会わせられなかったのは自分の失敗だと思った。
「真実の島で、暗殺者に襲われました。」
「何だと!」
「後のことを考えずに海に飛び込んでしまいました。申し訳ありません。」
「いや、貴方のせいではない。気にするな。」
ガウェインも船室へ降りていった。
「あんたも着替えなよ。」
ミッシェルに着替えの服が差し出された。
「ありがとうございます。」
「濡れた服を預かるよ。しばらく干しておけばすぐ乾くからね。」
「はい。」
ミッシェルはアヴィンが持っている大切な荷物のことを思い出した。あれをなくされては元も子もない。
男に服を預けると、ミッシェルは船室に急いだ。
ミッシェルが船室に入ると、アヴィンは新しい服を着せられたところだった。
濡れた服を、抱えていた男からあずかり、上着から布に包まれた神木の葉を取り出した。
寝台の隣の小さなテーブルに、アヴィンの荷物が広げてあった。そこへ一緒に置いてやる。これで一安心だ。
「こりゃ、もっと暖めた方がいいんじゃないか?」
手際よく手伝っていた船乗りが言った。ガウェインもうなづいた。
「そうだな。誰かに添い寝させて暖めてやれ。このままでは少しづつ体力が落ちていく。」
「んじゃ、喜んでやってくれそうな奴を呼んでくるよ。」
船乗りが出て行こうとするのを、ガウェインが呼び止めた。
「おい待て。後で面倒を起こすような奴じゃいかんぞ。」
「えり好みしている場合じゃないよ、おやじさん。」
船乗りが渋い顔をする。ミッシェルは二人に尋ねた。
「あの。私ではだめですか?」
ガウェインが目を丸くした。
「貴方にそんな事までさせられん。疲れているだろう、休んでくれ。」
「ええ。休んでいるだけですが、添い寝の役には立ちますよ。」
「おやじさん、甲板に来てください。」
ほかの船乗りがガウェインを呼びに来た。
「風が変わってきたって言ってます。」
「わかった、すぐ行く。本当によろしいのかな、ミッシェル殿。」
「はい。」
「では、アヴィンを頼む。何かあったらすぐ知らせてくれ。皆、行くぞ。」
ガウェインたちは出て行ったが、先ほどの船乗りはニヤニヤしながらまだ残っていた。
「あんた、何するか分かってて引き受けたのか?」
「身体が冷えないように添い寝してやるとおっしゃっていましたね。」
船乗りは言わんこっちゃないという顔でアヴィンの額に手を置いた。
「こんなに冷たいんだぜ。身体をくっつけて、しっかり抱きしめていてやんなよ。」
「・・・・・・・。」
ミッシェルが顔を赤らめて絶句したのを見て、船乗りは助け舟を出した。
「ははは、やっぱり誰か呼ぶかい? 男と寝るのが苦にならない奴がいるよ。まぁ、ちょっとはちょっかい出すかもしれないけどさ。そういう趣味がないなら、気色悪いことは避けるべきだと思うね。」
心底有難い申し出だと思ったが、少々引っかかるものがあって、ミッシェルは断った。
「いえ…。じぶんでやりますよ…。ただ、できれば誰も部屋に来てもらいたくないですが。」
「なんだ、あんたいけるんだ?」
相手の言っている意味がわからずにきょとんとしたミッシェルは、意味を理解してあわてて首を振った。
「いいえ!…飛び込もうと言ったのは私の方なんです。彼を助ける義務がありますからね。」
「ふうん。わかった。おやじさんはいいだろう? ほかの奴らには覗かないように言っておくよ。」
「ありがとうございます。」
本当に信じてくれたのか疑問だったが、ミッシェルは丁寧に礼を言って船乗りを追い出した。
額に触れてみると、氷のようにひんやりしている。
躊躇している場合ではないと自分に言い聞かせ、ミッシェルはアヴィンの横にすべり込む。
全身が冷たい。抱きしめると、自分まで冷え切ってしまいそうな気がする。
あまり役に立たないとは知りつつも、レアの魔法を掛けながら、身体をさすってやる。
『元気になってくださいよ、アヴィン。あなたには自分の足でヴァルクドへ帰ってもらいたいから。』