約束 異界にて
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数日前から、胸騒ぎのようなものがしていた。
それは、治まるどころが、日ごとに強くなってきていた。
『一体何だろうか・・?』
ミッシェルは誰にも告げず、心の中にその胸騒ぎを押し込めていた。
「ラップ、久しぶりだな。」
テュエールの港にプラネトスII世号が戻ってきた。
トーマス以下、乗組員の面々も元気そうである。
「どうでした? 久しぶりの故郷は?」
ミッシェルは笑顔で尋ねた。
トーマスが、今ではティラスイールを一番気に入っている事を知っているくせに、やはり尋ねずには居られない。
「変わんねえ。親父さんも元気だし、アヴィンのとこも相変わらず賑やかだったよ。」
「そうですか。」
にこやかな顔で聞いていると、不意にトーマスが言った。
「ラップ、何か考え事か?」
ミッシェルは友人の顔をまじまじと見た。
どうして、わかったのだろう。
トーマスに読心術はないはずだが、彼は時々とんでもなく鋭い勘を発揮する。
「この数日、どうも気分が晴れないんですよ。」
ミッシェルは正直に告げた。
「また何か、やばい事か?」
「いいえ・・・危険な感じではないのですが・・。」
「じゃあ、誰かとの約束をすっぽかしているとかじゃないのか?・・・フィルディンでも会いたがってたぜ?」
トーマスがわざわざ主語を省いて言った。
「皆さんに不義理をしていますから、・・・・・・。」
ミッシェルはさらりとかわしたが、急に何かに思い当たったように口をつぐんだ。
「どうした?」
トーマスが様子の変わったミッシェルに尋ねる。
「・・・わかりました。」
ミッシェルが言った。
「わかった? あんたの胸騒ぎの原因か?」
「ええ、そうです。トーマス、魔女の島まで3日で行けますか?」
「魔女の島ぁ?」
トーマスはオウム返しに尋ねていた。
「こっからどれだけ離れていると思ってるんだよ。プラネトスII世号だって一週間はかかる。」
「それじゃあ片道は自力で行くしかないですね。帰ってくる日を教えておいたら、迎えに来ていただけますか?」
ミッシェルは手近な紙にペンを走らせて、なにやら計算を始めた。
「この日と前後に一日、魔女の島の近海に居てもらいたいのですが。」
差し出された紙には、二月ほど先の日付が書かれていた。
「どういう事だ。」
トーマスは冷静に尋ねた。
「3日後に魔女の島現象が起こるはずです。私はそのときを利用して、異界へ行ってきます。」
「異界へ?」
「はい。胸騒ぎが徐々に高まっているのは、魔女の島現象が近づいているからでしょう。行きたいと思っていながら訪れていない場所は、あそこしかありません。」
「帰りがこんなに遅いのは?」
丸々二ヶ月、異界の月の覆い被さるような暗闇にいるつもりなのか?
トーマスは相手の本気を確かめたくて、じっと瞳を睨み付けた。
「時空のひずみを自力でこじ開けるのは私にも不可能ですからね。その日にもひずみが発生しますから、それを利用して帰って来ます。」
「大丈夫なのか? 向こうに長居することになるだろう。」
トーマスが異界でのぎすぎすした人間関係を言っているのだと気付く。
ミッシェルは笑顔で請け負った。
「エスフィンには近づきませんよ。・・・何事も起きていなければね。」
3日後。
予定通りミッシェルは異界の地に降り立った。
「常夜の地」と呼ばれる暗い寂しい場所である。
海の方へ行くと、わずかながら人が住んでいる。
しかし、ミッシェルが降り立った場所はずっと奥へ分け入った古い都の遺跡であった。
ここにはもう人はいない。
遺跡の奥に、たった一軒、レオーネが異界の少女を隠しかくまって住んでいるのみである。
『おかしいですね。』
ミッシェルは眉を寄せた。
以前は確かに存在していた強力な結界が、まったく感じられない。
何か、レオーネたちの身に起きたのだろうか。
はやる思いを押さえて足早に歩いていくと、遺跡のはずれに白っぽい物が見えた。
「!?」
歩調を緩め、じっくり観察すると、それは人のようであった。
とても細く、はかなげな後ろ姿。
わずかに紫がかった銀髪が、膝のあたりまで伸びていた。
『・・・あの子か。』
ミッシェルの記憶の中で、4歳になるやならずの幼児の姿が思い浮かんだ。
あの子は、年に似合わない大人びた目をしていた。
後ろを向いているのではっきりとはわからないが、他に同じような子供がいるはずもない。
「こんにちは。」
ミッシェルは少女の後ろ姿に声を掛けた。
「!!」
その刹那、背後からいきなり殺気が踊りかかってきた。
一つ、二つ・・・
ミッシェルは杖で剣を受け止め、魔法力で相手を跳ね飛ばした。
さらにもう一つ・・・。暗殺者の常として、自分の気配を殺した攻撃がミッシェルを狙う。
最初にかわした二人も、体制を立て直して飛び掛る隙を狙っている。
『・・・本気で戦えと・・?』
ミッシェルは手のひらに魔力を集めたものの、攻撃をためらった。
この三人の刺客には見覚えがある。
彼らが寝返っていなければ、攻撃されるはずはないのだが・・・。
だが彼らは本気でミッシェルを狙っているようだ。
こちらも本気にならなければ、命の保障はない。
決断が付かぬまま、ミッシェルはじりじりと追い込まれた。
「だめ!」
ミッシェルの前に、先ほどの少女が飛び込んできた。
攻撃をさせまいと両手を広げて刺客たちを阻む。
「あぶない!」
ミッシェルはとっさに少女をかばって大地に身を伏せた。
・・・・・・
「?」
いつまでたっても、攻撃は加えられなかった。
顔を上げると、三人の刺客が二人を見下ろしていた。
「失礼をした。さあ、立ってください。」
刺客の一人がミッシェルに手を差し出した。
つい先ほどまでの殺気はもうまったく感じられなかった。
「ここを訪れる者には、気を付ける事にしておりまして。貴殿は久しぶりにいらしたので、試させていただきました。」
「・・・・・・」
ミッシェルはまだ信じあぐねていたが、腕の中の少女が、するりと抜け出して刺客たちの間に立った。
「いらっしゃい、おじさん。」
体格と同じ、細い声だった。薄日も差さない常世の地で育ったからなのだろう。病的ではないが、元気一杯とは言い難い様子だった。少女は怯えても、脅されてもいないようだった。
ミッシェルは警戒を解き、少女の前で片ひざを付いた。
「こんにちは。・・・私はミッシェルといいます。前に来たときに、あなたの名前を聞きそびれてしまったのですが。」
ミッシェルが言うと、少女は一瞬悲しそうな表情を浮かべ、それから言った。
「私は、ゲルドです。」
「ゲルドさん。かわいい名前ですね。」
ミッシェルが言うと、少女は照れくさそうに頬を染めた。
『この子に変わりはないようだ。』
ミッシェルは安堵した。この少女がまっすぐに育っていることが、何より喜ばしいことだと思えた。
「ところで、レオーネ殿は?」
ミッシェルは後ろの刺客たちに向かって尋ねた。
刺客たちは目を見交わした。
「ゲルド様―」
刺客の一人が、ゲルドを促すように声を掛けた。ゲルドはわかっているという様に頷いた。
「ミッシェルさん。こっちです。」
ゲルドがミッシェルの手を引っ張った。
連れて行かれたのは、最初にゲルドが立っていた場所だった。
先ほどは気付かなかったが、真新しい土の山が盛られ、その上に石の塔が積み上げられていた。
「おじいちゃんは、ここで眠っています。」
ゲルドがミッシェルに言った。
「レオーネ殿・・・。そうだったのですか。だから・・・。」
あの胸騒ぎは、きっとこのことが原因なのだとミッシェルは思った。
虫の知らせというのだろうか。
異変を知らせてくれていたに違いない。
ミッシェルは、墓の前でしばしレオーネの冥福を祈った。
「ところで、何か御用でいらしたのでしょうか?」
刺客の一人、ツヴェルがミッシェルに聞いたのは、その日、ゲルドが眠りに落ちてからだった。
「用事ではなかったのです。ここしばらく胸騒ぎがひどくて。何か原因がないかと考えていたらこちらの事が頭に浮かんだのです。」
「予知、でしょうか?」
ノーヴェという刺客が尋ねた。
「いいえ。そんな力は持っていませんよ。ただの勘です。」
ミッシェルは答えた。
「しかし、良いときに来てくださいました。」
もう一人、クワットという刺客が言った。
「レオーネ殿が亡くなられて半月になります。ゲルド様を今のままにして置いて良いのかどうか、我らは考えあぐねておりました。」
「と、おっしゃると?」
「ゲルド様の教育は、レオーネ殿がされておりました。我らはお側でお守りしていたのみ。これから、どのように御育てしていったら良いのか、我らにはわからぬのです。」
「そういうことですか。」
ミッシェルは隣室の方を見やった。
確かに、いいかげんこのような人気のないところで育てていくには難しい年頃だろう。
だが、ゲルドをエスフィンに連れて行くわけにはいかないのだ。
三人の悩みは尤もなことに思えた。
「一番安全なのはここにいらしてくださることなのです。ですが、たった御一人でこんな人外の地で生きてゆかれるなど、お気の毒でなりません。」
「それは言わないことだ、ノーヴェ。ここから出て行ったら、お命の保障は出来ぬ。」
ツヴェルがやんわりと仲間を制した。
「女王宮は、まだあの子を探しているのですか?」
ミッシェルは聞いた。
「ここは隔離された土地です。リコンヌの港に船が着くことさえ滅多にない。エスフィンの動向はわからないといっていい。ですが、千年のおきてを早々簡単にくつがえすとも思えぬのです。」
「女王にとって、レバス家の託宣は絶対です。レバス様のご意見は固かった。危険な道を歩むことはありますまい。」
「しかし、ツヴェル。人を殺める術ばかり修めてきた我らに、ゲルド様を導くことなど出来はせん。」
「そんな事はあるまい。人を殺めるは、人を生かす道にもつながるはずだ。我らを反面教師として、健やかに・・・。」
ツヴェルが言葉に詰まった。
何事かとツヴェルを見ると、隣室の扉を凝視していた。
「ゲルド様・・・。」
いつの間に起き出したのか、ドアを半分ほど開けてゲルドがこちらを覗いていた。
大の男4人に見つめられて、ゲルドは縮こまってしまった。
「ご、ごめんなさい・・・。」
「うるさくしてしまいましたか。さあ、もう遅いです。お休みなさいませ。」
クワットが優しく言う。だが、ゲルドはそこから動かなかった。
「ゲルド様?」
「お話をして欲しいの・・。」
ゲルドはミッシェルを見つめて言った。
「だめですか?」
ミッシェルはツヴェルたちを見た。三人はうなずいてくれた。
「わかりました。でも、少しだけですよ?」
「はい!」
素直に答え、ゲルドは寝室に引き下がった。