約束 異界にて
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ミッシェルは、椅子を持ってきて寝台の横に座った。
「どんなお話をしましょうか?」
ゲルドはちゃんと布団をかぶって横になり、瞳を輝かせて言った。
「ミッシェルさんの住んでいる所のお話をして。」
「ああ、そうですね。」
ミッシェルはちょっと考えてから話し始めた。
「私の世界はティラスイールという名前です。この異界の祖先の人たちが、巡礼に訪れていた世界ですよ。」
「巡礼?」
「ええ。自分たちが昔住んでいた世界を知るために、時空のゆがみを利用して渡っていたんです。」
「ゆがみ?」
ゲルドは次々に疑問を口にした。
「今日、私がここに現れたとき、遺跡のあたりも時空のゆがみが出来ていたんですが、わかりましたか?」
「あ・・はい!」
ゲルドは思い当たる節があるようで、元気良く答えた。
「ここが異界の都だった頃には、あのゆがみを利用して、たくさんの人がかつての故郷へ渡っていたのです。でも、ここが日の差さない土地になってしまったので、都はエスフィンに移り、魔女の巡礼は途絶えました。」
ミッシェルは、エスフィンの女王宮で聞いたことを話した。
「故郷に行った人たちはどうしたの?」
心配そうにゲルドが聞いた。
「ほとんどの人は、こちらの世界へ帰ってきたと思います。もちろん、中にはティラスイールを気に入ってくれて、移り住んだ人もあると思いますが。」
それはミッシェルの想像・・・というよりも、願望であった。
生まれつき魔法を操る異界の人たちを見たとき、身体の芯から震えたものだ。
自分には、彼らの血が入っているのではないかと思わずにいられなかった。
そして女王宮で、異界とティラスイールの交流を知ったとき、その思いは確信にまで強まっていた。
「私も行ってみたいなぁ。」
ゲルドが言った。
何気ない憧れの言葉だったのだろうが、ミッシェルは胸がふさがる思いがした。
「今は・・・。今のティラスイールは、異界の皆さんには居辛い場所かもしれません。」
「?」
急に顔をしかめたミッシェルを、ゲルドは不思議そうに見つめた。
「魔女の巡礼が途絶えたあと、何故か人々は魔女を恐れるようになってしまったんです。魔法を操ることが出来る人は、ティラスイールでは歓迎されないんですよ。」
「・・・ミッシェルさんも?」
不思議そうにゲルドが聞いた。
「ええ、私もです。何とか皆が手を取り合っていけないかと、努力はしているのですが。」
ミッシェルは小さなため息をついた。
「こんなお話は楽しくありませんね。もっと他に聞きたいことはありませんか?」
ミッシェルは気を取り直して言った。
ゲルドはしばらく考えていたが、やがて恐る恐る尋ねてきた。
「ミッシェルさんは、いつ帰るの?」
「!」
寂しさと気丈さの交じり合った瞳が、ミッシェルを射抜いていた。
思考が止まった。
視線をそらす事も出来なかった。
『帰りたくなんか・・・』
こののどかな場所で緊張のない暮らしが出来るなら。
自分の生まれた世界に見捨てられた、この子を守っていけるなら。
レオーネがこの子の未来を自分に託してくれたのなら。
一瞬、様々な思いが、ミッシェルの脳裏を駆け巡った。
『いや・・・、甘んじて生きていくことは簡単だ。だが・・・。』
ミッシェルには心に誓った願いがあった。
かつてここで、この地で決意したことだった。
それを果たさずに安穏とした暮らしを送ることは出来ない。
ミッシェルは努めて笑顔で答えた。
「今度また時空のゆがみが出来た時に帰ります。」
悲しむかと思っていたゲルドの顔が、パアッと明るくなった。
「今度って、まだたくさん先でしょう? それまでずっとここに居てくれるの?」
「ええ。」
「毎日お話してくれる?」
「ええ、いいですよ。」
「嬉しい。」
「私も嬉しいです。さあ、もう今日はお休みなさい。」
「はーい。」
ゲルドは素直に目をつぶった。
ミッシェルは、ゲルドの柔らかな髪をそっと撫ぜ、音を立てないように部屋を出た。
「ミッシェル殿。ここまで聞こえてきたのだが、当分こちらにいらっしゃるのか?」
隣の部屋に戻ると、刺客たちが聞いてきた。
「はい。私の力で元の世界に戻るのは難儀ですから。次の機会を待ちたいと思います。」
「では、ここにいる間だけでも、ゲルド様を導いてはくださらないか。」
「私にそんな大役は・・・。」
ミッシェルは驚いて言った。
魔法の修行ならともかく、ミッシェルは子供を育てた事などありはしなかった。
「教えるなどと思わなくてよいのです。未熟な者を、道を過たぬように見ていて下されば良い。それに、よその世界の事も話してあげてください。」
「構わないのでしょうか?」
「レオーネ殿も、故郷のお話をされておりましたよ。確か貴方は、幾つもの世界の仲間とここへいらしたのでしたな。」
ツヴェルが記憶をたどって言った。
「そうです。三つに分かたれた世界の仲間とここへ来ました。・・・そうですね、わかりました。あの子に話せることはたくさんありそうです。」
ミッシェルは答えた。刺客たちは安堵したようであった。
楽しい時間は、過ぎるのが早かった。
ゲルドは聡明なこどもだった。
三つの世界の事を話し合ったり、ヴェルトルーナで起こった異変がどう解決したのかを聞かれたり・・・。
相手がまだ10歳のこどもだという事を、ミッシェルはしばしば忘れてしまった。
そして、ミッシェルの記憶では、もうまもなく時空のゆがみが生じる頃となった。
この数日、ゲルドが目に見えて意気消沈している。
彼女も同じことを考えているのだろうとミッシェルは思った。
『他人との交流が少なかった分、別れる時はつらいでしょうね。』
ゲルドのことを思ったはずが、いつの間にか自分の辛さに思いを馳せている。
やはり、長い滞在の間に生まれた愛着は、ミッシェルをも苦しめていた。
『一向に学習しませんね、私も・・・。』
エル・フィルディンやヴェルトルーナで、何度親しい人たちと別れてきたか。
決して、二度と会えないという訳ではないのに、寂しくてたまらない。
『あのことを、提案してみましょうかね・・・。』
ミッシェルは心に温めていたことを言おうか、それともやめようか、いつまでも逡巡していた。
その日の午後、ゲルドがレオーネの墓参りに行きたいと言い出し、ミッシェルはゲルドに付き合って遺跡へと赴いた。
「!」
遺跡のそばへ着いた時、ミッシェルは覚えのある妙な感覚に気が付いた。
ゲルドは口元をぎゅっとつぐんで、辛そうな顔をしている。
「時空のゆがみが生まれそうですね。」
ミッシェルは言った。
「・・・ごめんなさい。」
小さな声でゲルドが言った。
「どうしてあなたが謝るのですか?」
「何日も前からわかっていたの。でも・・・私、ミッシェルさんが帰ってしまうのがいやだったから、言わなかったの。」
「そうですか。」
ミッシェルは穏やかに答えた。
非難するでなく、むしろ、深い慈愛の海に受け止めてやりたいという思いだった。
「怒らないの?」
ゲルドが聞いた。
「怒ることなどありませんよ。まだ、ゆがみが開いてしまったわけではないでしょう?」
「ええ。きっと明日の朝くらいです。」
「そう。時間を無駄に出来ませんね。」
「ミッシェルさん、どういう事?」
「小屋に戻ったらお話します。レオーネ殿にお参りしましょう。」
ミッシェルは先に立って、遺跡に入っていった。
小屋に帰ると、ミッシェルは三人の刺客たちも呼んだ。
「明日の朝、帰ることになりそうです。」
ミッシェルが告げると、三人は名残惜しそうな顔をした。
「黙って帰るべきかもしれませんが、一つ提案させてもらっていいでしょうか?」
ミッシェルは4人に言った。
「何でしょうか。」
ツヴェルが聞いた。
ゲルドも少し首をかしげて聞いている。
ミッシェルは思い切って言った。
「ゲルドさんを、私の世界に引き取ることは可能でしょうか?」
「え?」
「何ですと!?」
刺客たちは思いがけない言葉に戸惑いを隠せなかった。
「ゲルドさんには、同年代の友だちもありませんし、この先、同性の話相手も必要になってくるでしょう。私には家族はありませんが、今、志を同じくしている仲間たちと、一緒に暮らしています。そこには子供もたくさんいますし、なにより、身の危険がありません。どなたかが一緒に来てくださることも可能です。」
ミッシェルはよどみなく話した。
しばらく前から、最良の選択を考えてきた結論だった。
「ここを空にしてしまうと、いなくなったことが知れてしまいますから、どなたかに残っていただかなくてはなりませんが・・・。」
ミッシェルは刺客たちを見回した。
「確かに、異世界ならば安全だ。」
「一人お側に付いていれば、残る二人で追っ手を欺いてやれるだろう。」
「ゲルド様、ミッシェル殿に付いていけば、のびのびと暮らせますよ。」
ノーヴェがゲルドに声を掛け、一同は彼女を見守った。
ゲルドは、信じられないという顔をしていた。
無理もない。
彼女はこんな提案を予想さえしていなかったに違いない。
「あの、私・・・。」
ゲルドはミッシェルに向かって言った。
「はい?」
ミッシェルは優しい声で先を促した。
ゲルドは口を開きかけてはつぐんだり、ミッシェルや刺客たちを見たり、目まぐるしく考えていた。
だが、やがて落ち着いて、深呼吸をして言った。
「私、ほかの世界には行かない。」
「えっ?」
ミッシェルは耳を疑った。
何故? 自分はゲルドの信頼を得ていなかったのだろうか?
「私はここで生まれたんだもん。この世界のこどもだもん。・・・人がいなくて寂しいところでも、ここが私の家だもん。」
ゲルドは両目に大きな涙の粒を浮かべて訴えた。
「ミッシェルさんの世界に行って幸せになっても、わたし嬉しくないもん。どこにも行かない・・・。」
「ゲルドさん・・・。」
ミッシェルは自分が恥ずかしくてたまらなくなった。
守ってやりたいと言いながら、ゲルドに、自分の世界から逃げ出すことを勧めてしまった。
生まれた世界を捨てようと言ってしまったのだ。
『恥ずかしい・・。』
ミッシェルは唇を噛んだ。
「わかりました。」
ミッシェルはゲルドに言った。
「あなたの気持ちも聞かずに、勝手なことを言ってしまった。許してください、ゲルド。」
ゲルドはホッとした顔になり、にっこり笑って頷いてくれた。
「ゲルド様、本当にここで暮らしていて良いのですか?」
刺客たちが尋ねた。
「うん。私、ここが大好き。」
ゲルドが笑顔で答えた。もう、議論の余地はなかった。
次の日の朝、遺跡にやってきたミッシェルは、ゲルドに暇乞いをした。
「昨日のあなたの言葉に、いろいろと考えさせられました。」
ミッシェルの掛ける言葉は、こどもに対する口調ではなかった。
「幾つもの世界を行き来して、世界中を知った気持ちになって、私は大事なことを忘れていたかもしれません。」
ミッシェルの言葉を、ゲルドは静かに聞いていた。
「いつの日かあなたが訪れた時、だれもが喜んで歓迎してくれるような世界にティラスイールを変えたい。そう思いました。」
ミッシェルのまなざしはこの上なく優しい。
「だから私は帰ります。ゲルドさん、いつかまた会いましょうね。」
「うん。元気でね、ミッシェルさん。」
少女は目をうるませながら頷いた。
きっぱりと、大きく頷いた。
「では・・・。」
ミッシェルはゲルドと後ろに控える刺客たちに会釈すると、くるりときびすを返し、故郷へとつながる時空のゆがみに躍り込んだ。
こちらの空間に現れ出たミッシェルは、空中にとどまって周囲を見渡した。
どこまでも青い海、青い空。
身体を吹き抜けるような風。
異界の重苦しい空気とはまるで違う爽やかな世界。
『ティラスイール・・・私の故郷だ。』
これほど、この世界に愛着を持って眺めたことがあっただろうか。
意にそまぬ生い立ちに、迫害に、暮らしに、不満を持っていなかっただろうか。
私だって、自分の世界で生きていけるじゃないか。
ほかの世界にも安らぎはある。多くの友、仲間がいる。
でも、故郷はここ・・・。
よりよく変えていきたいと願う世界はここなのだ。
『これから・・・忙しくなりますね。』
二ヵ月分の溜まった仕事に忙殺されるだろうが、それさえも楽しいことに思えて、ミッシェルは苦笑した。
もう自分は、迷わないだろう。
『ありがとう、ゲルド。大事なものを気付かせてくれたね。』
海面のきらめきの中に、見覚えのある白い帆を見つけ、ミッシェルはゆっくりと降りていった。
終わり
今まで書いた話の中で、いちばんジュブナイル(少年少女冒険小説)っぽいのではないかしら。
ゲルドって、どんな子だったんだろう? 割と元気一杯な子を書いてしまいましたが・・・。
おとなしくなるのは、成長してからでも良いかなって考えちゃったんですけど。
ミッシェルさんは・・・やはり、ちょっと、思考が柔軟なのでは?と思いました。