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癒しの館 第3話:ミッシェルさん捏造企画

最終更新日2009年10月18日

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癒しの館

第3話

朝食を済ませた子どもたちは、癒し手とそうでない者に分かれて魔法の講義を受ける。
癒しの魔法を使う子どもは館の二階へ行き、実際に患者と相対しながら癒し手としての経験を積んでいく。
大人の癒し手が患者に施す魔法を間近に見、薬の与え方を学び、時には手伝ったりするのだ。

食事の支度や掃除、薪の調達、野菜の手入れは、癒し手でない子どもたちの仕事になっていた。
野や山で薬草を摘み、干したり煮出したりして薬を作ることを学ぶのも、癒し手でない子どもたちの大事な勉強であり、館の収入源でもあった。
ラップのように小さい子どもも、それぞれが出来ることをして働いた。

遠出をしない日の午後には、薬師が攻撃魔法の先生となって魔法の指導をした。
薬師になるのは癒し手よりも攻撃魔法の使い手が多く、薬草類の扱いに精通することで館に残ることのできた人たちだった。
彼らは緑色の腰紐を巻いていた。
腰紐の色は大人たちの役柄を表していると、ラップは他の子どもから教えてもらった。
青は癒し手、赤は癒し手のまとめをする偉い人、紫は館の主だけが付けているのだそうだ。
ラップたちが世話になるのは、もっぱら緑色の腰紐を巻いた薬師たちだった。

「さて、君はどんな魔法を使うのかな。」
ユベール薬師は他の子どもたちに一通り指導をした後、ラップに声を掛けた。
「風とか、水とか……、火も。」
ラップは思い切って火の魔法の事も言ってみた。
「火を出せるのかい?」
ユベール薬師は疑わしそうにラップを見た。
こんな小さな子に扱えるはずが無いと思っている様子だった。
「うん。……じゃないや、はい。出せます。」
ラップは薬師に言った。
「じゃあやってみて。」
ユベール薬師は、半ば好奇心ののぞく表情でラップを促した。

ラップは片手を前に突き出し、人差し指を立てて爪の先に意識を集中させた。
夜の闇を照らすろうそくのように…。
じっと心で念ずると、ポッと小さな炎がともった。
ラップはホッとした様子で薬師を見あげた。
「これは驚いた。君は、何も詠唱をしていないのかな。」
ユベール薬師は真顔でラップに尋ねた。
「えいしょう?」
「魔法を起こすために唱える言葉のことだよ。誰かに教わったんじゃないのかい?」
ユベール薬師が言うと、ラップは首を横に振った。
「教わってないよ……ないです。」
「それではどうやって魔法を使うようになったんだい?」
「え…えっと…。」
ラップは返事に詰まった。
心の動揺を映したかのように、指先の炎が揺れた。
誰にも魔法を教わった覚えはない。
どんな言葉を呟けばいいのかも知らなかった。
心の中で強く願えば、ラップは言葉がなくても魔法を使えるのだ。
「わからない…です。」
ラップは観念してそう答えた。
「ふーむ。」
ユベール薬師はしばし考え込む表情になった。
「うん、まあいいだろう。君が覚えていないなら仕方ない。」
ひとりで納得すると、薬師は次の指示をラップに与えた。
「それじゃ、その火を引っ込めてごらん。」
「え?」
ラップはきょとんとして薬師を見返した。
「そのまま指先で燃やしている訳にはいかないだろう?」
ユベール薬師は言った。
ラップはあせった。
引っ込めるやり方が分からなかった。
「捨てちゃ、だめ?」
炎のともった人差し指を、くるくると回してみる。
「だめだめ。」
薬師は勝手に炎を投げないように、ラップの手首をそっと押さえた。
「火は燃え移るからね。やたらと投げ付けてはいけない。わかるね? 本当ならもっと大きくなってから教える魔法なんだよ。」
ユベール薬師はラップに並ぶように膝をついた。
ラップの手首に両方の手を添えて支える。
「今、君の魔法の力がこの炎を生み出しているんだ。燃え続けているのは君の身体から魔力が指先に送られているからなんだよ。」
ラップは黙って頷いた。
「魔法の力を自分で意識して出し入れ出来るようになるといい。そうだな。もう少し炎を大きくしてごらん。」
「うん。」
ラップは再び指先に意識を集中した。
ボワッと炎が一回り大きくなった。
「よーし、それでいい。今、君はこの指に向かって魔法の力を送った。」
ユベール薬師は自分の指先をラップの手首から人差し指の先へ向かってなぞった。
「今度は逆の流れにするんだ。炎の力を指先から身体の中へ向かって吸い取ってごらん。」
そう言いながら、今度は指先から手首に向かって指を下ろす。
「私の指の動きに合わせて。息を吸い込むような感じでやってみるんだ。」

ラップはこくりと頷いた。真剣な表情だった。
薬師の指の動きに合わせて、心の中で力を引き寄せる。
そうすると、無意識に炎に向けて流れ続けている魔法の力と逆の流れになり、指の中で力と力がぶつかった。
無意識だった魔法力の流れが、意識して感じられるものになった。
まだ炎に変化は現れなかった。
ラップは大きく息をつくと、先程まで無意識に指先へ向けて送っていた魔法の力を止めた。
炎が少し小さくなった。
ラップは息を吸い込みながら、薬師の指の動きに合わせて、指先の炎の力を身体の中へ引き込んだ。
一度、二度、炎は小さくなっていき、三度目に消えた。
「できた!」
ラップは笑顔で薬師を見た。
「ようし、上出来だ。」
薬師は感心した様子でラップの肩を叩いた。
「魔法の出し入れをもっと練習しなさい。炎じゃなくて、水がいいな。手にすくった水を球にしたり元に戻したりしてみなさい。」
「はい。」
ラップは手の平を少しくぼませて、魔法を掛け始めた。
何もない空中に白い霧のようなものが現れた。

「………!」
ユベール薬師はそれを見て息を飲んだ。
てっきり水を汲んでくると思ったのに、この子は魔法で水を溜めるつもりだ。
見ている間にも、ラップの手の平には霧状の細かな水粒が付き、少しづつ粒がくっついて目に見える水滴になっていった。
『この子はとんでもない魔法力を持っているんじゃないか。』
背丈はユベール薬師の腰ほどしかない。まだ5歳の子どもだ。
しかし詠唱もせずに炎を呼ぶし、空中から水を取り出す。
ラップの使う魔法は一人前の魔法使いに引けを取らなかった。
『正しく導いてやらないと。』
攻撃魔法しか使えない魔法使いは、世の中にあまり居場所がない。
ユベールのように薬師としての知識を蓄え、癒し手を支える存在として生きられる者は極わずかだ。
この館から独り立ちした子どもも、魔法を隠して平凡な暮らしを得るか、もしくはつまはじきにされて山賊や海賊、ならず者に身を落としてしまうか、大きな選択を迫られる。
あるいはまた、平凡な生き方が出来ないことを恨み、世の中に背を向けて自然の中に潜伏している者もあるという。
ラップが大きな魔法力を持っているなら、秩序の外側に行かせてはならなかった。
『だが、私にちゃんと教えることが出来るだろうか。』
ユベール薬師は嘆息した。
薬師の逡巡も知らず、一心に魔法を使うラップの手の平には、ビー玉ほどもある水の塊が出来あがっていた。

夜になって部屋へ戻ると、アロンとダニーが机に向かって一緒に何かを書いていた。
「おかえり、ラップ。ちょっとおいで。」
アロンがラップを手招きした。
ラップが側へ寄ると、ダニーがラップを抱き上げて自分の膝に座らせた。
視線が高くなって、二人が書いていたものが見えた。
紙いっぱいに曲がりくねった線が引いてある。
「これ、なあに。」
ラップが聞くとアロンが答えた。
「ティラスイールの地図だよ。」
「……?」
理解できない様子のラップを見て、アロンは紙の一番上に何やら字を書いた。
「ティラスイール。僕たちが住んでいる世界の名前だよ。世界にはいくつも国があって、癒しの館があるのはこのチャノムだ。」
アロンは地図の真ん中あたりに丸い印を付けた。
「ラップ、自分の村の名前を覚えているかい?」
アロンはじっとラップを見た。
ラップは首を横に振った。
「それじゃあ、国の名前は?」
「知らない。」
「メナートとか、フュエンテとか、聞いたことないかい?」
「ううん。知らないよ。」
ラップは身じろぎした。
「ちょっと我慢だ、ラップ。今、君の出身地を探そうとしているんだよ。」
ダニーがラップに言い聞かせた。

「ラップ、何日くらい旅をしてきたか覚えている?」
アロンは尋ねた。
「たくさん。」
ラップは答えた。ダニーが苦笑した。
「それじゃあ、山は越えた? 坂になっている所をずっと登ったり降りたりしたかい。」
アロンが聞くと、ラップは首を横に振った。
「そうか。それなら大分範囲が狭くなるぞ。」
アロンは癒しの館の印の右上と右下、それに左の上の方にもX印を書き加えた。
「船には乗ったかい?」
ダニーが聞いた。
「ふね?」
ラップは振り返ってダニーに尋ねた。
「水の上を進む乗り物だよ。海や川を渡るのに使うんだ。」
ダニーが答えた。
「ううん。乗ってない。」
ラップは首を振って答えた。
「じゃ、この島は違うな。」
アロンが右上の端に書かれたいびつな丸にXを付けた。
「あとは、…砂漠は通ったかい?」
「それなあに?」
「ん~、暑くて木がなくて、地面がさらさらしてて歩きにくいところらしいよ。」
アロンが言った。ダニーが笑いながら補足する。
「実は行った事がないんだ。俺たちも。」
ラップは首をかしげた。
「あのね、ずっと荷車を引いてた。さらさらの道は通らなかったよ。」
ラップが覚えているのは、ぬかるみについた轍の跡だけだった。
「そうか。それじゃあ。」
アロンは地図の左端の方にもX印を付けた。

「よし。大体出来たぞ。」
アロンは満足そうに言った。
「ラップ、このXを付けた所は、多分君は通っていない。山脈と砂漠の向こうには、君の故郷はないと思う。」
アロンはいくつも付いたX印を指して言った。
「君の故郷があるとしたら、このチャノムの南部、ウドルの南部、フュエンテ、アンビッシュの火山の手前。このあたりにあると思う。」
アロンはそれぞれの国の名前を地図に書き込んだ。
それから、顔を上げたアロンは気遣うような口調でラップに尋ねた。
「ラップ、自分の家族の名前を言えるかい?」
「………」
ラップは頭の中を探ってみたが、名前は出てこなかった。
「母さんと、大きい父さんと、大きい兄弟。」
「兄弟は何人もいた?」
「うーん、二人くらい…」
荷車に、腰を掛けていた様子が頭に浮かんだ。
まだ日も経っていないのに、それはずっと前の光景のように感じられた。
「お兄さんが何歳だったかわかる?」
「わかんない。」
アロンはそっとため息を付いた。
ほかの子どもとは、別々に育てられたのかもしれないなと思った。
ラップは自分の生まれについて知らない事が多かった。

アロンは地図の余白にラップの家族構成と、館へ引き取られた日付を書き込んだ。
「ラップ。これを君にあげる。」
アロンは書き上げた地図をラップの方に向けて置いた。
「いつか故郷を探したいと思う時が来るかもしれないからね。国も村もわからないから、簡単な事じゃないだろうけど。しまっておくといい。」
アロンは地図を畳んでラップに持たせた。
「ありがとう。」
ラップは唯一の荷物である布袋にその地図をしまった。
国も世界も、今のラップには漠然としていてよくわからなかった。
ただ、この地図がかけがえのない大切な物だということは理解できた。

ユベール薬師は、館の書庫を訪ねていた。
書庫の主オズワルドは、ユベール薬師の魔法の教師だった人物だ。
ユベールが館に残ることが決まったとき、子どもたちの教育係を押し付けて自分は書庫に篭って古文書を漁る日々を選択したのだ。
今やオズワルドは館の知識の源と言って良かった。
「この間やってきた子どもが、とても大きな魔法力を持っているんです。」
ユベールはオズワルドに言った。
「ほう?」
オズワルドは白髪の混ざり始めたあご髭をなでながら、ユベールの話を聞いた。
「まだ5歳ですが、火を扱えます。それどころか、魔法の詠唱をしないんですよ。念じるだけで使っている様子です。こんな子は初めてで、どう導いたら良いか分からないんです。」
「それは珍しいな。」
オズワルドは興味を示した。
「一度見てやっていただけますか。」
「館の教育係は君だろう、ユベール。」
渋そうな顔をするオズワルドを見て、ユベールはいささか腹が立った。
「ほかの子どもたちを見ながら片手間に育てても良いかどうか、それだけでも判断してくれませんか。」
愛弟子の真剣な訴えを聞いて、オズワルドはしぶしぶ頷いたのだった。

次の魔法修行の時間に、ユベール薬師はオズワルドを呼びに行った。
庭へ戻ってくると、ラップはダットンにかまいたち勝負を持ちかけられているところだった。
ほかの子どもたちは興味深そうに二人を見ている。
最年長のアロンまでが、止めもせずに見学を決め込んでいるのを見てユベールは肩を落とした。
「あーあ、勝手なことを。」
止めようとするユベールを、オズワルドは引き止めた。
「丁度いい。見せてもらうとしよう。」
オズワルドもこの状況を楽しんでいる様子だった。
「はいはい、わかりました。」
ユベールは教師の姿を見つけて表情を硬くしたダットンに歩み寄った。
「勝負だって? ダットン。」
なるべく気さくな声を出す。
いいの?と尋ねるような表情のダットンに向けて、笑顔を作ってやる。
「かまわんよ。その代わりみんなで見学させてもらうからね。」
「やった! 見ててください!」
ダットンは得意そうな表情になった。
一方のラップは迷惑そうな顔をしていた。
「ところで坊主、こっちのチビさんはかまいたちを使えるのかね?」
オズワルドが二人に向かって尋ねた。
「ええっと……。」
ダットンが明らかに狼狽した顔でラップを見た。
『ラップは知らないんじゃないか?』
ユベール薬師は思った。
『勝てる勝負だと踏んで吹っかけたな、ダットンの奴。』
ここにいるのは真正直な子どもばかりではない。
ダットンは人の弱みに付け込むのを好む子どもだった。
「このあいだ、見たよ。」
ラップはダットンをじっと見て答えた。
「ふむ。」
二人の間にいささか不穏な気配が流れるのを、オズワルドは見て取った。
「練習しなくても良いのかな、チビさん。」
「はい。」
ラップは自信を持って答えた。
オズワルドは目を細めた。

ダットンは野菜畑の手前に立った。
畑にはトマトが植わっていて、濃い緑色の葉の間には赤く色づきはじめた実や、小さくて青い実、星型の黄色い花がたくさん付いていた。
「トマトの葉をたくさん切り落とした方が勝ちだ。」
ダットンはラップに言った。
「うん。」
ラップも頷いた。
「それじゃ、俺からやります。」
ダットンが宣言した。
ダットンは右手に左手を添えるようにして魔法を詠唱した。
それからおもむろに右手を掲げ、畑に向かって振り下ろした。
ヒュンヒュンと風を切る音が聞こえ、数枚の葉が切り裂かれて地面に舞い落ちた。
「おーっ。」
子どもたちから歓声が上がった。
「3枚切ったぞ。」
ダットンが得意そうに言ってラップと交代した。

ラップは畑の前に立つと、しばらくの間右手の甲をかばうように、もう片方の手で包んでいた。
目は閉じていた。
口元は一直線に引き結ばれていた。
やがて目を開けると、ラップは右手を一杯に前へ伸ばした。
そして人差し指でトマトに狙いを定めると、手首をひねって一振りした。
ヒュッと鋭い音と共に、トマトの茎が途中で切れて地面に転がった。
「あああーっ。」
「すごいーっ。」
子どもたちから非難と感嘆の声が同時に上がった。
ラップはしまったという表情で地面に落ちたトマトを見つめていた。
ダットンはこぶしをぎゅっと握り、ラップを睨んだ。
「ふむ。これは面白いな。」
オズワルドがつぶやいた。

「トマトの『葉』を切る勝負だぞ。茎ごと切ってどうするんだ。」
ユベール薬師が前へ進み出て言った。
「勝負はダットンの勝ちだ。ラップ、トマトの実を摘んで厨房に持っていきなさい。酢漬けにすれば食べられるだろう。」
「はい。ごめんなさい。」
ラップは自分が切り落としてしまったトマトの茎を拾い上げた。
赤い実や青い実を手当たり次第に摘み取った。
「待てよ!」
ラップが厨房へ行こうとすると、ダットンが声を荒げた。
「お前、かまいたちなんて知らないって言ったじゃないか。嘘付いてたのか。」
ラップが足を止めて振り返った。
「僕に使ったじゃないか! かまいたちを教えたのはダットンだよ!」
ラップは叫ぶように言い捨てると、厨房に向けて駆け出した。
「一度見ただけで覚えたのかよ……」
ダットンはつぶやいた。
「勝負は君の勝ちだけどね、ダットン。」
ユベール薬師はダットンの後ろに立って声を掛けた。
ダットンがビクッとして振り返った。
「ラップがかまいたちを知らないと思って勝負を申し込んだんだな。そういうやり方は卑怯だって、何度も教えていないかい?」

厨房にトマトを持っていったラップは、半端物をこしらえたとひとしきり怒られたあとで開放された。
庭へ戻っていく途中、人気のない館の廊下で、ユベール薬師の隣にいた年かさの男に呼び止められた。
「見せてもらったよ、おチビさん。なかなか強い魔法力を持っているじゃないか。」
「あ、はい…。」
ラップは用心して答えた。
「私は館の書庫を預かるオズワルドだ。昔はユベールの先生だった。」
「先生の、先生?」
「そうだ。」
オズワルドが頷くと、ラップの表情から硬さが取れた。
「強い魔法力を持っている者は、よくよく自分を律しなくてはいけない。」
オズワルドはラップに言った。
「え?」
ラップは眉を寄せた。
「難しいか。そうだな。他の者から争いごとを吹っかけられても、感情に任せてやりあってはいかん。」
「……はい。」
ラップは思い当たったようで小さく頷いた。
「ユベールからたくさん魔法を学びなさい。そのうちに力加減も自分のものになるだろう。」
オズワルドはラップの肩を軽く叩いた。
「困った時には書庫へおいで、おチビさん。」
「はい。…僕、ラップです、先生。」
ラップはおずおずと言った。
「おお、そうか。ではまたな、ラップ。」
オズワルドは階段を上っていった。
不思議な人だとラップは思った。

(2009/10/18)

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