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古式の巡礼 第7話:ミッシェルさん捏造企画

最終更新日2013年7月4日

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古式の巡礼

第7話

アンデラの町には三日間滞在した。
初日の大騒ぎの後、ラップは丸一日寝込んでしまったのだ。
普段は先を急ぎたがるジャックも、今回はゆっくり休めと言ってくれた。
それに甘えてもう一日大事を取り、四日目の朝にアンデラを出発した。
町を出るときには、あの警備隊の魔法使いジーノが見送ってくれた。
杖を持っていないと兵士には見えなかったが、魔法を使う兵士が実際にいるのは驚くべきことだった。
『この国は、魔法使いの扱いが他の国と違うんだな。』
ラップはそんな感想を持ってアンデラの町を後にした。

次のシャリネのあるウドル国のシフールまでは、かなりの距離だ。
ラップとジャックは、毎日長い時間歩いた。
まず西へ進み、アンビッシュの国境を越えてからは進路を北に取った。
シフールの手前には高地があり、イグニス山ほどではないが、岩がむき出しの険しい道を歩いた。
シフールが近づくにつれて、ラップには一つ気がかりが浮かんできた。
シャリネに居るモーリスとレオのことだ。
二人はラップのことをヘブンと呼んでいた。
シフールを発つ直前にラップの名前は明かしたが、彼らは今使っているミッシェルという名前は知らないのだ。
同様に、ジャックはヘブンという名前のことを知らない。
皆が一堂に顔を合わせたら、どういう結果になるかは、火を見るより明らかだった。

モーリスはラップが偽名を使った理由を知っているが、ジャックにはそのあたりの事情を話していない。
『また、テグラのときのように、言い訳をすることになるのかな。』
心苦しく思いながらも、ラップの考えはそこへ落ち着く。
だが、三つ目になる名前のことを、どういう風に説明したら納得してもらえるだろう。
元はといえば、ラップが本当の名前を名乗らないのがいけないのだ。
胸を張ってラップですと言えれば良いのだが、テュエールの事件の後は、そうする勇気が起きない。
あの事件のことを話すのも避けたいのだ。
魔法使いだと話した途端に人の対応が変わるのをたくさん見てきた。
テュエールの事件のときには化け物だと言われ、懐いていた子どもに怖がられた。
ラップは目の前を歩くジャックの背中を見つめた。
ティラスイールを半分ほども一緒に旅をしてきた。
ジャックは、人を殺したなどと打ち明けたら、どんな風に振舞うだろう。
まだ信じてくれるだろうか。
それとも、テュエールの人たちと同じようにラップを避けるだろうか。
考えれば考えるほど、悪い方に想像してしまう。
『うまく説明できる方法がないかな。』
ラップは遠い目で空を見上げた。

数年ぶりのシフールの町並みは、何も変わっていなかった。
見覚えのある商店が並び、人々が行き交っていた。
だが、それらの商店の間を歩いていくうちに、ラップは、すれ違う人たちが自分を避けて通っていくことに気が付いた。
『マントを着ているから、か。』
少し気を付けて観察すると、視線の合った人は慌てて顔を反らすし、道の反対側まで避けていく人もいる。
『モーリスと一緒に歩いたときでも、こんなにあからさまに避けられた事はなかったのに。』
ラップの魔法の師モーリスは、いつもマントを着け、杖を携えていた。
それでも人々と穏やかに接していたのだ。
何か魔法使いを避けたくなるような事件でも起きたのだろうか。
モーリスはさぞかし心を痛めていることだろう。
「ミッシェル、お前、避けられてないか?」
ジャックがラップの脇腹をつついた。
「そうみたいだ。」
ラップは相づちを返した。
「前に来たときはこんな風じゃなかったよ。なんだか、変わってしまった。」
ラップはジャックに聞こえる程度の小声で話した。
「シャリネの場所、知っているんだよな。さっさと行こうぜ。」
ジャックが言った。
「あ…、うん、そうだね。」
ラップは少し言葉に詰まり、結局ジャックに同意してしまった。
名前のことを、あらかじめ伝えておく最後の機会を逃してしまった。
二人は町の西口から出て、シャリネに向かう道へ進んだ。

木々の間を抜け、視界の開けるところへ出て、ラップの足が止まった。
「これは、一体……。」
ジャックが不思議そうな顔でラップを振り返った。
「どうしたんだ?」
「シャリネがない!」
ラップは目の前に見えてきた空き地を見て叫んだ。
「何だって?」
ジャックが目を丸くする。
「もっと、先の方じゃないのか?」
「違うよ。ここに建物が建っていたんだ!」
ラップは空き地へ走った。
地面は茶色の土がむき出しで、ところどころに雑草が生えている。
居間も台所も、ラップが寝泊りしていた小部屋も跡形なく消えていた。
『一体、何があったんだ。モーリスは、レオはどこに行ったんだろう。』
ラップは顔を引きつらせて辺りを見回した。

「なあ、これがシャリネなんじゃないか?」
後から歩いてきたジャックが言った。
「え?」
ラップはジャックの声がした方を見た。
ジャックは少し離れた場所に立っていた。
そこは、土ではなく石畳が敷かれていた。
四本の柱が、真ん中の大きなつるりとした石を囲むように建っている。
ラップは駆け寄った。
「鏡の部屋だ……。」
ラップはひときわ大きい石の前でひざまずいた。
中央に穴が開いている。穴の中は真っ暗だ。
「これが鏡なのか?」
ジャックが覗き込んで尋ねた。
ラップは頷いた。
「ここも、ちゃんとした建物だったんだ。どうして壊してしまったんだろう。」
「さあな。」
ジャックはラップの問いを受け流した。
確かに、答えられることじゃない。
「で、ここに銀の短剣を置いたら、お告げは見られるのか?」
ジャックがラップに聞いた。
「わからないよ。」
ラップは首を横に振った。すっかり混乱していた。
「じゃあ、試してみるか。」
ジャックが言って、懐から銀の短剣を取り出した。
「お告げが見られればそれで良いし、見られなかったら、町の人に聞いてみるしかないよな。」
確かにジャックの言うとおりだった。
建物は跡形もなかったが、鏡は残っていた。
銀の短剣に反応してくれるなら、巡礼の目的は達せられる。
ラップは鏡の手前、銀の短剣を置くための台座を指差した。
「ここが剣を置く場所だけど……」
呟きながらも、ラップは到底この事実を受け入れることが出来なかった。

「よし、剣を置くぞ。」
ジャックがきっぱりと言ったので、ラップは立ち上がってジャックの隣へ並んだ。
魔法の力が沸き起こるのが感じられた。
『ちゃんと動いた。』
ラップの視界を、白い雲のようなものが覆った。
すぐにそれが晴れると、ラップは再び建物の無いシャリネの前に立っていた。
『あれ、お告げは?』
変だと思って左右を見て、ラップはぎょっとした。
すぐ隣に立っていたジャックの姿が見えなかった。
さわやかな風が吹いてきて、ラップのマントを揺らした。
どこから飛んできたのか、綺麗な羽をした蝶がひらひらと舞い、森の方へ飛んでいった。
つられて視線を上げると、暖かな日差しが心地良く感じられた。
『これは、お告げなのか?』
まるで、この風景が正しいのだと告げられているようだった。
ラップは口をぎゅっと閉じた。
『シャリネにモーリスがいないなんて!』
修行から開けて3年、会うのを楽しみにしていたのだ。残念でならなかった。
そんなラップの気持ちに呼応したのか、お告げの風景が変わった。
強い風が気まぐれに前から後ろから吹き荒れた。
真っ黒な雲が空を覆い、流れるような早さで動いた。
気味の悪い天候だとラップは思った。
光の差さない暗闇にすべてが飲み込まれ、闇が消えたときにはまたシャリネの前に立っていた。
横を見る。今度はちゃんとジャックが立っていた。

「終わったんだ。」
ラップはつぶやいた。
「シャリネが壊れたわけじゃないんだな。助かったぜ。」
ジャックがそう言って、銀の短剣を拾い上げた。
「町に知り合いはいないのか? 何が起きたか聞いてみればいいだろ。」
ラップの表情が暗いのを見たのだろう、ジャックが提案してきた。
「うん……。」
ラップは生返事を返す。
シャリネが無くなったからには、モーリスとレオはシフールの町に引っ越したのだろう。
だがその場所を、どうやって探したらよいのか。
ラップがシフールで知っているのは、せいぜい市場くらいだった。
他にはモーリスが使っていた仕立て屋くらいだ。
『そうだ。仕立て屋の子どもはレオの友達だった。』
ラップは二人が森の中へ迷い込んだことを思い出した。
『あそこで聞けば、何か分かるかもしれない。』
「一箇所あった。行ってみてもいいかな。」
ラップはジャックに言った。
「ああ、行こうぜ。」
ジャックは明るく答えた。

シフールの町へ戻り、それほど長く歩かずに仕立て屋へ着いた。
以前と変わりなく店の前で風に揺れている鮮やかな色の布が、店の生業を示していた。
「こんにちは。」
ラップが先になって店へ入った。
他に客はいなかった。
「はい、いらっしゃい。」
見覚えのある主人が顔を上げた。
その表情が一瞬不愉快そうにしかめられ、それからハッと何かに気付いたようだった。
「あの、ちょっと伺いたいんですが……。」
ラップは主人に話し掛けた。
「ちょっ、あんた。ちょっと待ってくれ。」
主人は慌てたようにラップの言葉を遮ると、店の奥へ引っ込んでしまった。
ガタガタと、階段を登るような音がした。
「騒々しいおっさんだな。」
後ろでジャックが呟いた。
ラップは天井を見上げた。
どうやら覚えていてくれたらしいが、主人がなぜ奥に行ってしまったのかは分からなかった。
足音はしばらく止んでいたが、今度は足早に駆け下りる音がした。それも複数だ。
主人が再び店へ戻ってきた。
息を弾ませている。
ラップは後ろを伺ったが、誰も現れる様子はなかった。
「いや、悪かった。すぐに……」
「ヘブン!」
後ろから大きな声がした。
振り返ったラップは、外から駆け込んできたレオに飛び付かれた。
「レオ?!」
今までの不安が吹き飛んだ。
ラップはしがみついているレオを覗き込んだ。
少し背が伸びていたが、三年前の面影はまだ強く残っていた。
「ここにいたのか、レオ。シャリネへ行って驚いて、ここで尋ねてみようと思ったんだ。」
ラップはレオに説明した。
「ヘブン。モーリスが、モーリスが……。」
レオの目に涙が浮かんだ。
ラップは顔をしかめた。何か良くない事があったに違いない。
「レオ、それにあんたも、上でゆっくり話しな。」
主人が二人に向かって言った。強い口調だった。
「あ、はい、親方。」
レオが素早く答えた。
「ヘブン、裏から入れるよ。こっちへ付いてきて。」
レオはラップの袖を引っ張った。
そこで一緒にいるジャックに気付き、ラップを見た。
「この人は、お友達?」
ラップは奥歯を噛み締めた。
ジャックの表情が硬くなっている。
だが、今ここで言い訳をするわけにはいかなかった。
「そうだよ。」
ラップはレオに答えた。
「それじゃあ、一緒に来てください。」
レオは何も気付かず、ジャックに一声掛けると先に立って店の外へ出て行った。
「ジャック、一緒に来て欲しい。」
ラップはジャックの不信をたたえた目から視線をそらさずに言った。
「……ああ。」
しぶしぶという様子でジャックが答えた。
ラップは申し訳なさで一杯になりながら、レオを追って店の外へ出て行った。

店の横に細い路地があり、そこを通っていくと、店の裏口へ入ることができた。
そこは作業場になっていて、おかみさんとお針子がせっせと手を動かしていた。
「こっちです。」
レオは先に立って二階へ上がった。
廊下の両側にいくつか扉が並んでいた。
レオはその一つを開けてラップとジャックを通した。
「椅子がないから、寝台へどうぞ。」
こじんまりとした部屋には、小机と椅子、寝台とその下に納まったチェストがあった。
ラップは勧められた場所に腰を下ろした。
一瞬躊躇したジャックが、他に座る場所がないと気付いてラップの隣へ座った。

「レオ、全部話してくれるかい。シャリネのこと、それにモーリスのことも。」
ラップはレオに言った。
「うん。」
レオはそう言ったものの、ジャックの方をちらりと見た。
「こいつ、シャリネが無いって大騒ぎだったんだ。説明してやってくれよ。」
ジャックがレオに言った。
ラップはびっくりしてジャックを見た。
てっきり名前のことを持ち出されるかと思ったのだ。
ジャックはちらりとラップを見た。
その視線は鋭くて、ラップは一言も話すことができなかった。
ジャックはすぐにレオの方を向き、話を促すように見つめた。
レオは二人の様子をじっと見ていたが、一息つくと話し始めた。

「ヘブンが旅に出た年に、お城の偉い役人が替わったんだ。」
レオは視線を少し下に向けて話し始めた。
「お城に勤めていたモーリスは、だんだん仕事が無くなって、シャリネに居ることが多くなった。モーリスは、僕が大人になるための修行だって言って、この店で働けるようにしてくれたんだ。モーリスは、どんな事が起こるか、わかっていたのかもしれない。」
レオはそこで言葉を切った。
「それはシャリネの事かい?」
ラップは尋ねた。
レオはこくりと頷いた。
「次の年に、お城の人たちが来て、シャリネは建物が無いのが本来の姿だって言われたんだ。お城にある古い本にそう書いてあったんだって。元の姿に戻すから出て行ってくれって言ってきたんだ。」
レオは悔しそうに言った。
「僕は町へ住もうよって言ったんだけど、モーリスはだめだって。今のシフールでは、魔法使いと一緒に居てはいけないって。そう言って、また旅に出て行ったんだ。」
「旅に……。」
ラップは拳をぎゅっと握り締めた。
レオの様子から薄々予想はしていたが、言葉で説明されるとやるせない気持ちになった。
「僕はシフールの子どもだから、この町にいなさいって言われた。連れて行ってくれなかった。」
レオの目に涙が浮かんだ。
「そうだったのか。」
ラップの心も痛かった。
「レオ、教えてくれてありがとう。」

コンコンと扉を叩く音がした。
「はい?」
レオが驚いた顔で扉に向かって言った。
「邪魔するよ。」
入ってきたのは店の主人だった。
裁縫道具の入った箱を抱えている。
「あんた、最初は分からなかったよ。ずいぶん背が伸びたなあ。」
店の主人はラップに向かって言った。
「モーリスさんのことは残念だった。今じゃお城の方針に合わせるしかなくてな。冷たい町になってしまった。」
主人は小さな声で残念そうに言った。
「先程シャリネに行って、本当に驚きました。でもこうしてレオに会えて良かったです。」
ラップは主人に言った。
「あの、昔のシャリネに建物が無かったというのは、事実なんですか?」
ラップは疑問に思ったことを尋ねた。
「うーん、滅多に行く場所じゃないからねえ。でも、あの柱が森の中に立っていたような記憶はあるな。若い頃、子どもの頃だったかもしれないがね。」
主人はそう答えた。
「誰が建物を建てたかは知らないが、町と離れているせいで、これまでも魔法使いが住んだり、町を追い出されたようなのが住んだりしてはいたんだよ。肝心の巡礼は殆ど来やしないしね。城でも厄介に思っていたかもしれん。」
主人は話し終えると、裁縫道具の箱を床におろした。
「あんた、もし良かったら、そのマントを直させてもらえないか。」
主人がラップに言った。
「え?」
ラップは突然の申し出に首をかしげた。
「作ったときのままだろう。背が伸びたから折り返しの位置を変えた方が見栄えがいいぞ。」
主人はラップを立ち上がらせた。
そう言われれば、マントの裾はいつの間にか膝の辺りまで上がっていた。
それだけ背が伸びたのだ。
「折り返しを減らすと落ちやすくなるからな。この伸びる生地を当てて肩を落ち着かせるんだ。」
主人は裁縫箱から赤味のある布を取り出して、ラップの肩に掛けた。
力を入れて引っ張ると、生地が伸びてマントを体に押さえつけてくれる。
「全部で300ピアほど掛かるんだが、どうだ?」
主人は自信たっぷりに言った。
「そうですね……。」
ラップは主人の商売の上手さに感嘆した。
確かに、背格好に合った長さにしてもらえば、この先ずっと使えることだろう。
ラップは手持ちがいくらあったかと考え、懐から小袋を取り出した。
「ゴアがいくらかあるんですけど、足りますか?」
袋を開けて中身を取り出す。
「1ゴア15ピアだが、いいか?」
「はい。それだと20個ですね。」
魔獣から得たきれいな石を数えて主人に渡す。
「確かに頂いた。出発は明日か? 今日はシフールに泊まるのだろう?」
主人が言ったので、ラップはジャックを見た。
用事は済ませたから、今日のうちに出発するつもりかもしれない。
「シャリネの鏡はもう見たからな。俺は出発したい。でもそっちは、久し振りに会ったんだよな。」
ジャックがレオの方を見て言った。
レオがこくんと大きく頷いた。
「鏡! お前さんたち、巡礼か。銀の短剣を持っているのか。」
主人が勢い込んで尋ねた。
「あ、ああ。そうだけど。」
ジャックが答えた。
ジャックの片手が、銀の短剣を確かめるように腰の辺りにそっと置かれた。
「だったら、知り合いの宿を使ってやってくれないか。うちのお得意さんなんだが、何年も巡礼を泊めていないってよく嘆いているんだ。」
主人が言った。
マントの事といい、抜け目の無い人だとラップは思った。
ジャックが少し迷惑そうな表情を浮かべた。
「次はチャノムへ行くんだろう。関所までの道は森が続く。魔獣も強い奴が出るからな。明日の朝出発した方が安全だぞ。」
主人は重ねて言った。
「このあたりの魔獣は怖いです。今日はシフールに泊まってください。」
レオも真剣な顔で言った。
「うーん、じゃあ、そうするか。」
二人の勢いに押された様子でジャックが言った。
「俺は宿へ泊まる。ミ…そっちはどうする?」
ジャックが名前を言い換えてくれた事に、ラップは心の中で礼を言った。
「出来ればレオと一緒にいたい。」
ラップが答えると、ジャックはうなずいた。
「じゃあ別々だな。おじさん、後で場所を教えてください。」
「おお、連れて行ってあげるとも。じゃあマントを預かろう。朝までに仕上げるからな。」
主人は上機嫌でラップからマントを受け取った。
「レオ、道具箱を持ってきてくれ。」
「あ、はい親方。」
レオが裁縫道具の箱を抱えた。
「ちょっと待っててくれるかな。」
ジャックに言うと主人は部屋を出て行った。レオが後に付いていった。

「ジャック、気を使ってくれてありがとう。」
ラップは寝台へ腰掛けているジャックに言った。
ジャックはじろりとラップを見上げた。
「俺はもう、ミッシェルを信じられない。」
非難するような鋭い視線と共に、ジャックは言った。
ラップは何も言い返せなかった。
とうとうこの時が来てしまった。
「ミッシェルっていうのも、ラップっていうのも、偽物の名前なんだな。」
ジャックは追及してきた。
「違う! ラップは本当に僕の名前だ。」
ラップは慌てて言い返した。
「じゃあ俺も、あの坊主も、デタラメな名前を教えられているんだな!」
ジャックが我慢出来ないといった顔で言い放った。
「……う……、それは……。」
ラップは言葉に詰まった。
ちゃんと説明するには、ラップの犯した罪を話さなくてはいけなかった。
話して理解してもらえるのか。
それとも、今以上にもっとあきれて、非難されて、避けられてしまうのか。
ジャックの反応を知るのが怖くて言葉を発することが出来なかった。
「図星か。おまえ、あっちこっちでデタラメな名前を名乗って、相手を傷付けているって思わないのか。平気なのか。」
ジャックは本気で怒っていた。
ラップは何も言わずに逃げ出したかった。
こうなったのは何もかも、自分がいけないのだ。
事情を説明しようにも、言葉が全く浮かんでこない。
それでも何とか説明しようと、ラップは口を開いた。
「平気じゃない。だけど僕はこうするしかなかったんだ。」
「嘘を付いて良い訳がないじゃないか!」
ラップの要領を得ない言い訳は、即座にジャックに否定された。
ラップは辛い思いでジャックを見つめた。
魔法を見ても驚かない、得がたい存在だった。
彼の村も、一時的とはいえラップを受け入れてくれた包容力のある村だった。
だがもう限界だ。
他に方法はなかった。
「これ以上迷惑を掛けないよ。ここで巡礼をやめる。」
ラップはジャックに宣言した。

ジャックは目を丸くしてラップを見つめた。
ラップも歯を食いしばったままジャックを見返した。
しばらくの沈黙の後、押し殺した声でジャックが言った。
「駄目だ。逃げ出すなんて許さない。」
「えっ。」
それはラップの予想しない言葉だった。
「な、どうして!」
ラップは焦った。
もう見捨てて欲しいのに、なぜジャックは反対のことばかり言うのだろう。
「巡礼は村長たちとの約束だ。村から出発して、村へ帰るんだ。」
ジャックは先程に比べると、だいぶ落ち着いた声で言った。
「おまえ、俺だけじゃなくて村の人たちも裏切るつもりか。」
言葉にも、じっと見つめてくる視線にも、重いものを感じた。
「それは……。」
ラップは唇を噛んだ。
確かにそういう約束だった。
巡礼に参加するなら、最初から最後までやりぬくと村長に約束したのだ。

階段を上がってくる足音が聞こえた。
落ち着いた歩調は店の主人のものだろう。
「明日の朝、迎えに来るからな。」
ジャックはラップの腕を軽く叩き、明るく言うと、自分から扉を開けた。
「やあ、待たせたね。」
扉の外で店の主人の声がした。
「お願いします、おじさん。」
ジャックが後ろ手でパタンと扉を閉めた。
二人の足音が遠くなっていく。
ラップは寝台にどさっと座り込んだ。
膝に肘をつき、両手に顔をうずめた。
逃げ道が無くなってしまった。
「どうしたらいいんだ……。」
放心した声でラップは呟いた。

しばらくして、レオの軽い足音が聞こえてきたとき、ラップは少なくとも見た目は落ち着きを取り戻していた。
「ごめんなさい。食事の支度を手伝っていたんです。」
レオは手に提げていたバスケットを机に置いた。
「今日はもう上がっていいって言われたので、いっぱい話が出来ますね。」
バスケットから香ばしいパンの匂いが漂っていた。
「そうか。レオは料理が得意だったね。」
ラップは思い出して言った。
「おかみさんが作るから、僕は手伝いだけですよ。」
レオはパンで蓋をした小ぶりの壺を二つ取り出した。
まだ熱いのだろう。壺の周りには厚手の布がぐるぐると巻きつけてあった。
「冷めないうちに食べましょう。」
スプーンを渡される。
「ありがとう。」
ラップは礼を言い、壺を一つ手に取った。

「こうしていると、あの頃を思い出すね。」
食事が済んだころに、ラップは言った。
「そうですね。三人で暮らして楽しかったですよね。」
大人びた口調でレオは言ったが、その表情は寂しそうに見えた。
『レオをここへ残して、モーリスはどこへ行ったんだろう。』
モーリスとレオは、シャリネで二人で暮らしていた。
それは雇い主と使用人というよりも、家族のような、理解と信頼に根ざしたものだった。
一年で修行を終えたラップと違い、レオと離れるつもりは無かっただろうにと思う。
レオも、保護者に頼るようにモーリスに接していた。
「あの、ヘブン?」
ラップが考え事に集中していると、レオがおずおずと言った。
「ん?」
ラップは顔を上げた。
「もしかして、ヘブンって呼んじゃいけなかった?」
レオは心配そうな顔をしている。
ジャックがヘブンという呼び方を知らないことに気付いたのだろう。
レオは賢い。
何度もモーリスが言っていたことを思い出した。
「大丈夫。説明すればジャックは分かってくれるから。」
ラップはレオを安心させようと、なるべく穏やかな表情で答えた。
心の中で、どう説明するか迷いに迷っていたけれど、それを表情に出さないように気を付けた。
「それなら良かった。本当の名前も聞いたのに、とっさに言えなかったんだ。」
レオは安心した様子で、食べ終わった壺をバスケットへ戻した。
ラップも自分の分を空いたところへ入れた。
「ごちそうさま。美味しかったよ。」
ラップは心をこめて言った。
レオが嬉しそうに笑った。
「片付けてきますね。」
レオが急ぎ足で出て行くのをラップは座ったまま見送った。
自分が偽った名前のせいで、レオにまで気を使わせている。
情けなさが胸から溢れ出しそうだった。

その後は、お互いがどんな暮らしをしていたか語り合い、モーリスの思い出を語り合って過ごした。
話す事はいくらでもあり、そのおかげでラップはジャックとの一件を心の片隅に追いやることができた。
ラップは殆ど眠らなかった。
さすがにレオには眠るよう言い聞かせたが、自分は椅子に座ったままうつらうつらとしただけだった。

朝になると、マントが直ったと声が掛かった。
店へ降りていくと、主人がさっそく着せかけてくれた。
肘まであった折り返しはずっと短くなり、襟のように肩に広がっていた。
マントを落ち着かせるために付けた伸縮のある赤い布は、上手い具合にラップの肩を覆って前に垂れていた。
その布をきゅっと結ぶ。
腕を動かしても、マントは簡単に外れなかった。
足元を見ると、くるぶしの少し上にマントの裾があった。
これだけ長ければ見苦しくは無いだろう。
満足する仕上がりだった。
「うむ。似合っているぞ。」
店の主人も満足そうだ。
「大人っぽく見えるよ、ヘブン。」
奥から出てきて、レオが言った。
「ありがとう。」
ラップは答えた。
「これ、二人のお弁当。おかみさんからです。」
レオが包みを差し出した。
受け取ると、まだ温かい。
「いいんですか?」
ラップは店の主人を見た。
「商売をさせてもらったからな。遠慮せずに持っていけ。」
主人は機嫌が良かった。
「ありがとうございます。」
ラップは丁寧に頭を下げた。
「あの子が迎えに来るんだろう? 奥で朝食をとっておきな。」
主人が言ったので、ラップはもう一度会釈をして奥へ行った。

台所の一角で、ラップはレオと一緒に朝食を食べた。
「ヘブン、もしどこかでモーリスに会ったら、僕は元気にしているって伝えてね。」
レオが言った。
ラップはレオを見た。
昨日のように辛そうな表情ではなかった。
「わかったよ。」
ラップは答えた。
「それじゃ、モーリスがレオに会いに来たときは、僕も元気だと言ってくれるかな。」
ラップが言うと、レオは一瞬困ったような顔をしたが、次に笑顔を浮かべてくれた。
「うん、きっと伝えるよ。」
店の方から声が聞こえた。
主人と話をしているのは聞きなじんだ声だ。
『ジャックだ。』
ラップはパンの残りを口に放り込んだ。
「友達が来たみたいだね。」
レオが言った。
「うん。」
胃袋が急に縮こまったようで、ラップはパンを飲み込むのに苦労した。
冷たいミルクで流し込むようにしてパンを食べ終え、ラップは礼を言って立ち上がった。
「それじゃあ、出発するよ。」
ラップはレオに言った。
「……うん。」
レオは少し寂しそうだったが、涙を見せたりしなかった。
「僕も仕事を頑張る。立派な大人になって、シフールを元に戻したい。」
声は控えめだったが、レオはきっぱりと言った。
「頑張って、レオ。いつかまた会おう。」
ラップはレオの肩にそっと手を置いた。
レオは嬉しそうに頷いた。
「またね、ヘブン。」
ラップは笑顔で頷き返し、裏口から外へ出た。

通りへ出ると、ジャックは店先で主人と話し込んでいた。
どう声を掛けたものかと思案しているうちに、ジャックが気付いてこちらを見た。
「おはよ……う」
ジャックの声が尻すぼみに小さくなったので、ラップはどうしたのだろうといぶかしんだ。
「おはよう、ジャック。」
普段どおりの挨拶をしたかったが、自分の声が硬くなっているのが分かった。
「マントを変えただけで、だいぶ大人っぽくなるな。」
ジャックが言った。
戸惑っていた理由はラップの外見だったらしい。ラップはホッとした。
「それに、前より魔法使いらしく見えるぞ。」
「えっ。」
ジャックは何気なく言ったようだが、ラップは強く反応した。
予想外だったのだろう。
ジャックが目を丸くした。
『魔法使いらしく見えるのか。』
ラップは気をつけようと思った。
この姿で残りの巡礼を乗り切らなくてはいけないのだから。
「そりゃ、修行を受けた証のマントだからな。なあ坊主。」
店の主人が横から口を出した。
「へえ。」
ジャックが興味深そうにラップを見た。
ラップは小さくうなずいた。
「準備ができているなら、出発するか。」
ジャックが言った。
「レオと挨拶したかい。」
店の主人が言った。
「はい、済ませてきました。そうだジャック、お弁当をもらったよ。」
ラップは先程もらった包みをジャックに見せた。
まだほんのりとぬくもりがあった。
「ありがとう、おじさん。」
ジャックが嬉しそうに言った。
「なにこちらこそ。お客に喜んでもらえてこちらも有難かったよ。」
主人は笑顔で言った。
「お世話になりました。」
ラップはもう一度礼を言った。
「ああ。気をつけてな。」

仕立て屋を後にして、ラップはジャックの少し後ろを歩き始めた。
巡礼に出てからずっと、こうして一歩控えて歩いてきたのだが、今日は何だか普段より二人の間が離れているような気がした。
通りの交差している場所でジャックが立ち止まり、振り向いた。
ラップはどきりとした。
「どっちへ行けばいいんだ?」
ジャックの表情は今までと変わらないように見えた。
ラップは町の東へ出る道を指差した。
「東の街道へ出ると、風谷の関所へ行けるよ。」
「そうか。」
ジャックは指差した方へさっさと歩き始めた。
いつものジャックのようでもあるし、いつもより素っ気ないようでもあった。
これ以上信じられないと言われたことが、ラップの心に重くのしかかっていた。
無心に足を進めることが出来ず、頭の中をジャックへの反発や、自分への後悔の念が渦巻いていた。

程なく、シフールの東の出口に着いた。
道の向こうはいきなり深い森になっていた。
日差しもまばらに差し込む程度で、動物や魔獣が好みそうな様子だった。
「なあミッシェル、俺に話すこと、何も無いか?」
街道へ出たところでジャックが急に振り向いて言った。
ハッとしたラップは、ジャックが町の中で話を持ち出さないようにしていたのだと気が付いた。
多分、名前を呼ぶのも控えていたのだろう。
その配慮には感謝したが、だからといって、すらすらと話せることでもなかった。
「最後まで聞いてくれる?」
ラップは確認した。
ジャックは面白くなさそうな顔をした。
「聞いてやるよ。」
投げやりにも聞こえる返事がかえってきた。
「歩きながら、な。」
ジャックが再び歩き出す。
ラップは今度はその横に並んで歩き始めた。

「僕は5歳で家族と別れたんだ。ラップという自分の名前以外は、殆ど何も覚えていない。」
ラップは話し始めた。
「5年間はオルドスのシャリネのある館で魔法を習っていた。10歳のときに旅に出て、村を回って家族を探したんだ。最初のうちはラップって言っていたし、魔法使いだと話していた。」
昨日言い争いになってから、ジャックには打ち明けるしかないと決めたのだ。
話すことと、話さずにおく事を整理して、準備していた。
「でも、魔法使いだと言うと、話を聞いてくれなかったり、追い返されることが多かった。だから、そのうち魔法使いと言わなくなって、名前も、別の名前を名乗ることを覚えたんだ。」
そこまで話して、ラップはジャックの表情を伺った。
腑に落ちないという表情をしていた。
「僕がラップと名乗って『昔この村に住んでいませんでしたか』って尋ねたら、魔法使いが戻ってきたって分かってしまうだろう? だから、ミッシェルとか、サムとか、ヘンリーとか、別の名前で聞いていたんだ。魔法使いだと知られなければ、色々なことを教えてもらえたからね。」
「ふーん。」
ジャックが納得したのか、しなかったのか、どちらとも取れるように頷いた。
偽名を使っている理由は分かってもらえたとラップは思った。
あと、もう一つだけ、説明しなくてはいけない。
「3年前、テュエールで他の魔法使いと争いになってしまったんだ。それで……。」
ラップは一度言葉を切った。
「それで、シフールまで逃げてきた。」
事実には違いない。相当いろいろな事を省略しているけども。
ジャックが鼻で笑った。
「こてんぱんにやられたんだろ。」
ラップはあいまいに笑って、肯定も否定もしなかった。
「そんなときに限って、ラップと名乗っていたんだ。反省して、それからは本当の名前を使っていないんだ。」
ラップはジャックを見た。
「ふーん、お前もいろいろあったんだな。」
ジャックが言った。
良かった。話した甲斐はあったとラップは思った。

「でもさあ、ミッシェル。」
ジャックがこちらを向いて言った。
ラップはジャックを見た。
「お前、結局逃げているだけじゃないか。」
「えっ!」
ラップは思わず立ち止まった。
ジャックは数歩進んでから足を止めた。
「逃げている…だけ?」
ラップはジャックに聞き返した。
自分の顔が石のように固まった気がした。
「そうだろ? 魔法使いって知られるのが嫌で隠してて、本当の名前も使っていないんだろ。それなら楽だよな。人に陰口を叩かれずに済むし、何かあっても他人の振りが出来るじゃないか。」
ジャックはそう言った。
「そんな……。魔法使いだってことがどんなに辛いか。ジャックみたいに分け隔てなくしてくれる人は滅多にいないんだよ。」
ラップは勢い込んで話した。
「普通に話していても、魔法使いと分かった途端に冷たくされる。人でなし扱いされる。避けられる。そんな扱いを毎日受けていたら、こっちが壊れてしまうじゃないか!」
吐き出すようにラップは言った。
「自分を守るために、たった一つの大事な名前を守るために、僕はこうするしかなかったんだ。」
ジャックが一歩、近づいてきた。
「そんなのお前だけじゃない!」
ジャックの瞳に怒りがこもっていた。
「俺は祖母ちゃんに連れられてラグピック村へ行った。村の人はみんな、俺が山賊の砦で暮らしてたって知ってたんだ。疑われるし、口を聞いてくれない奴もいたし、村はずれの小屋に住まわされるし。しかも逃げられなかった! あんな山の上に逃げ場所なんか無かった! お前の方が、よっぽど楽だったんじゃないか!」
ラップは驚いて、なにも言い返せなかった。
「我慢するしかなかった。小屋に閉じこもっていると悪いことばかり考えてしまうから、外へ出て行くしかなかった。狩りの腕を認めてもらうまで、すごく時間が掛かったんだぞ。」
ジャックは恨みがましい目でラップを見た。
「お前は逃げ回っているだけじゃないか。」

睨み合ったまま、二人はその場に立っていた。
「まあ、話してくれたから、そこんとこは認めてやる。」
ジャックが言った。
「ジャックがそんなに辛い思いをしてきたって知らなかった。」
ラップは申し訳なく思った。
「今更いらないよ、そんな言葉。」
ジャックは切り捨てるように言った。
「俺は苦しくても、頑張って耐えてきた。お前も同じだと思ったのに、違ったなんて。」
ジャックの言葉が胸に突き刺さった。
「昨日も言ったけど、俺はもう、お前を信じられないと思うから。さっさと巡礼を終わらせちまおう。」
ジャックは話を切り上げると、街道を歩き始めた。
一瞬、付いて行くのをやめようかとラップは思った。
感情は乱れたままでジャックへの反抗意識が燃え盛っていた。
だが、心の奥の方で、一人になってはいけないと、冷静に判断を下す自分があった。
ラップは感情を押さえつけてジャックの後を追った。
言いたい事はある。
だが、これ以上感情に任せて言葉を放ったら、取り返しのつかない結果になりそうだった。

その日の夕方、風谷の関所へ着いた。
チャノム側へ通ってから尋ねてみると、町までしばらく掛かると言う。
二人は関所の側でテントを張ることにした。
テントを張るのも食事の仕度も、もうお互い慣れていて、大して言葉を掛け合わなくても済ませられた。
「おやすみ。」
ジャックが自分から声を掛けてきたのは、横になったときだけだった。
「おやすみ、ジャック。」
ラップは静かに挨拶を返した。

眠れない。
眠れるわけがない。
昼間ジャックとかわしたやり取りを、ラップは頭の中で思い起こした。
自分のしてきた事を、逃げていると断言されてしまった。
しかも咄嗟に言い返せなかった。
『毎日のように傷ついて、終わりが無くて、他にどんなやり方があるって言うんだ。』
旅に出てすぐ痛感したことだった。
魔法使いは盗賊や山賊と同じだと思われている。
警戒するのが当たり前で、心安く話せる機会など殆ど無いのだ。
『ジャックは村の中だけじゃないか。旅をしていたら毎日なんだ。新しく人に会うたび自分が魔法使いだってことを思い知らされるんだ。』
とても辛くて、そうならずに済む方法を編み出さずにはいられなかった。
正しい事じゃないのは分かっている。
それでも、必要だと考えていたのだ。
逃げているなんて、これっぽっちも思ったことはなかった。

『……さみしい……。』
感情に任せて自分の意見を主張しても、あとに残るのは空しい気持ちだけだった。
怒っているのに心の中が隙間だらけのようだ。
『せっかくここまで仲良くやって来れたっていうのに。』
旅に連れがいるのは初めてだった。
いつの間にか、ジャックの存在に慣れて安心しきっていたと今更気付いた。
そしてこの関係を嬉しく頼もしく思っていたということも。
『このまま仲たがいしていたくない。どうすればいいだろう?』
ラップは思った。
あれだけ話しても理解してもらえなかったのだ。
今すぐに解決するのは無理だろう。
これ以上言葉を重ねても、ほころびが目立つだけだ。
ラップにはまだ黙っている事があった。
ジャックに伝えるつもりのない事だ。
それをうっかり露呈しないためにも、時が来るのを待つ必要があった。

 

(2013/7/4)

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