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古式の巡礼 第8話:ミッシェルさん捏造企画

最終更新日2013年7月4日

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古式の巡礼

第8話

チャノムの国は、のどかで、穏やかな雰囲気だった。
都会と言えるほど大きな町はなく、勤勉な人たちが畑で働く姿をあちこちで見ることが出来た。
オルドスの祠のある癒しの館は、チャノムの南部にあった。
そこまでの道のりに太い街道はなく、ラップは度々地図を取り出して分かれ道を確認した。
出発した頃に比べると秋は深まり、樹木は紅葉し始めていた。
時折り冷たい雨が降った。
雨宿りをしているときにも会話はなく、ラップは何とも言えない寂寥感を味わっていた。
ジャックはラップと話そうとしない。
必要なやり取り以外、ほぼ無言の行程がずっと続いていた。
その事が、心に重くのしかかっている。
やはり自分は弱いのだろうとラップは思った。
自分から明るく振舞ってみたり、積極的に声を掛けてみたりすれば、事態に変化を与えられるかもしれなかった。
だが、そこで無視されたらどうなる。
また口論になったりしたら、さらに傷つく。
先回りして悪い結果ばかりが思い浮かんで、何も行動に移せないのだった。
このままではいけない。
だが、どうしたら良いかわからない。
焦る気持ちが、一層ラップを暗くさせていた。

何日か歩いて、うっすらと見覚えのある風景にたどり着いた。
「もうすぐ分かれ道があるんだ。そこを曲がったら、あとはシャリネのある館までまっすぐだよ。」
ラップは仲違いしていることも忘れてジャックに話し掛けた。
「そうか。」
ジャックはこちらも見ないで、ぶっきらぼうに答えた。
ラップは小さなため息をついた。
この風景が懐かしいのはラップだけだった。
はしゃいでしまった自分が滑稽に思えた。
そのとき、ジャックがぼそりと言った。
「お前、そこで育ったんだって?」
久し振りに、本当に久し振りに、挨拶や返事以外の言葉をジャックから聞いた。
ラップは、その一言を聞いただけで気持ちが明るくなるのを感じた。
「うん。5年くらい住んでいた。」
「じゃあ、ミッシェルって呼ばないほうが都合がいいだろ。」
ジャックがラップの方を向いて言った。
ラップはドキリとしてジャックを見つめた。
「俺は、なにもお前を困らせたいと思っているんじゃないからな。それとこれとは別だから。」
ジャックが言い添えた。
「ありがとう。」
ラップは素直に礼を言った。
「ミッシェルって呼ばないでくれると、とても助かる。」
「わかった。」
ジャックは小さくうなずくと、また前を向いた。
先を歩く姿に、久し振りに頼もしさが感じられた。
『まるで、ジャックの方が年上みたいだ。』
ラップはそう思った。
喧嘩をしていても、必要なときは相手に配慮をしてくれる。
そんな公平さを自分も持ちたいとラップは思った。

癒しの館が近づくと、道のあちこちに雨水が溜まっているのを見るようになった。
雨が降ったのは数日前だったのに、まだ乾かずに残っているのだ。
『こんなに水捌けが悪かったかな。』
久し振りに通るからか、以前には気付かなかった事が目に留まった。
やがて、ぐるりと塀に囲まれた大きな館が見えてきた。
「あそこだよ。」
ラップは言った。
返事はなかった。

二人は開きっぱなしの門をくぐった。
大きな建物と、庭一面の野菜畑。
ラップが住んでいた頃と変わらない館の風景だった。
「これがシャリネか?」
ジャックが館の大きな建物を見上げて、疑い深そうに言った。
「違うよ。オルドスのシャリネは庭の奥の方にあるんだ。」
勝手に入っていくのはどうかと思い、ラップは辺りを見回した。
運悪く、誰も居なかった。
「人を探そう。」
ラップはそう言って、建物の中へ入っていった。
奥の方に、赤ん坊を抱いて歩いている女性がいた。
白い服に青い腰紐を巻いている。癒し手だ。
「あの、すみません。」
ラップは大声を出した。
女性が立ち止まった。顔を上げてこちらを見る。
「どちらさま?」
遠くて表情は分からなかったが、声に若干警戒の響きがあった。
「シャリネの巡礼に来たんですが。」
ラップは用件を言った。
「ああ、ようこそ。ご案内しますね。」
そう言って、女性はこちらへ歩いてきた。

「へえ、美人だ。やっぱり魔法使いなのか?」
後ろでジャックがつぶやいた。
口論をする前の、少し粗野で真正直な言い方だった。
ラップは苦笑いして答えた。
「ここにいるのは、患者のほかは全員魔法使いだよ。」
確かにその女性は美しいと形容して差し支えなさそうな人だった。
どこか見覚えのある気がしたが、こんな若い年の癒し手を知らない。
ラップより少し背が低く、腕に小さな赤ん坊を抱いている。
「あら、貴方……。」
二人のそばまで来た女性が、ラップを見て顔をほころばせた。
「え?」
今度はラップがいぶかしがる番だった。
顔を合わせたことがあっただろうか。
「やだ、分からないのね。このバンダナは誰にもらったの?」
女性が手を伸ばしてラップの額をちょんとつついた。
ラップは思わず額に巻いたバンダナに手を当てた。
「まさか。エリザ?」
ラップは驚いてまじまじと女性を見つめた。
館を離れた時、ラップはまだエリザを見上げていたのだ。
それが、今はラップの方が背が高くなっている。
それに今のエリザは、大人びた雰囲気を放っていた。
気付かないのも無理は無かった。
「そのまさかよ。良かった。生き延びたのね、ラップ。こんなに大きくなって。」
エリザはにっこりと笑った。
「村に住んでいるの? 巡礼って成人の年の子どもが行っているんでしょう?」
エリザがしゃべると、胸に抱かれた子どもが興味深そうにその口元を見つめた。
これほど小さいうちに館の住人になるなんて、気の毒な子だとラップは思った。
「住んでいるわけじゃないんだ。たまたま縁があって、巡礼に加えてもらったんだよ。」
ラップは答え、それから後ろにいるジャックを振り向いた。
「こちらはラグピック村のジャック。」
ジャックは少し照れた様子で頭を下げた。
「はじめまして。じゃあ、祠に案内するわね。」
エリザは先に立って歩き始めた。

「この建物がオルドスのシャリネよ。」
庭の隅にある、百年、いや、ひょっとしたら何百年も経っていそうな小さな祠の前でエリザは立ち止まった。
「この先は巡礼の方だけでお入りください。」
誰にでも型どおりの言葉を掛けているのだろう。
だが、ジャックはもちろんのこと、ラップもシャリネの建物を見たまま足が動かなかった。
石組みの壁は長い間風雨にさらされてでこぼこしており、素人目に見ても修繕が必要だと思われた。
「これ、今迄の中で一番古いな。」
ジャックがつぶやいた。
「そうだね。」
ラップも心から同意した。
館に住んでいた頃は気付かなかった傷み方だった。
木の扉も歪んでいて、ラップは力を込めて扉を引っ張った。
キーっときしむ音と共に扉が開いた。
ジャックが慎重な足取りで中に入る。
ラップはエリザに会釈すると、扉を閉めた。

祠の中は薄暗かったが、所々に日光が細く差し込んでいた。
石壁に隙間が開いているのだった。
ピチャンと水音がした。
「おい、雨漏りしてるぞ。」
ジャックが奥を覗き込んで言った。
ラップも奥へ回ってみると、木桶が三つも置かれていた。
「雨が降ったのは何日も前だったのに。」
ラップは天井を見上げた。
「水が溜まっているんだろ。」
ジャックは肩をすくめて祭壇に向き直った。
「変わった形だな。」
ジャックは祭壇に置かれたオルドスの鏡を見て言った。
三角形が三枚合わさった形をしている。
ジャックは懐から銀の短剣を取り出した。
「置くぞ。」
ラップは急いでジャックの隣に立った。

魔法の力が祠に満ち、ラップの目の前に映し出されたのは一組の親子だった。
母親が小さな男の子の手を引っ張って、この館の門をくぐっていく。
『ああ、預けに来たんだな。』
ラップは眉をひそめて思った。
館で暮らす間に何度もそんな光景を見ていた。
庭で館の大人と話す母親のそばで、男の子は興味深そうに畑の方を見ていた。
畑仕事をしているほかの子どもたちが気になるのだろう。
男の子が他の子どもたちの方へ歩き出したとき、母親が慌てた様子で男の子の肩を掴んで引き止めた。
「え……」
ラップの脳裏に、映像と同じ記憶がよみがえった。
館へつれてこられたときの記憶だった。
後ろから母親に引き止められたのだった。
『この子どもは……僕?』
急に胸がどきどきと鳴り出した。
男の子はびっくりした様子でもがいていたが、母親が腰をかがめると大人しくなった。
シャリネが見せる光景に音は無かったけれども、ラップは親子の会話を思い出すことが出来た。
『ラップ、ここが好き?』
『すき!』
『ここで役に立つ魔法をたくさん覚えるんだよ。』
小さな男の子は母親の手を離れて、他の、魔法使いの子どもたちの中へ走っていった。
後ろを振り返りもしなかった。
『覚えていた!』
先程の会話、つい今しがたまで思い出すことすらなかったけれど、シャリネが記憶の底から引っ張り出してくれた。
『僕に残されているのは、名前だけじゃなかった!』
母親の声、語ってくれた言葉、そして、知るすべの無かった母親の姿。
あの時ラップは魔法を使う仲間に会えて嬉しくて、母親のことなどすっかり忘れてしまったのだった。
気付いた時にはもうその姿はなく、二度と会うことはかなわなかった。

ラップはぽつんと立っている母親を見た。
その姿は疲れているように見え、どことなく寂しそうだった。
いつの間にか涙がこみ上げてきて、母の姿を歪ませた。
ラップは口をぎゅっとつぐみ、手の甲で涙を拭った。
しばらくの間そこに佇んでいた母親は、やがて館の大人に一礼すると、振り返ることなく門をくぐって去っていった。
その姿は、重荷を下ろして安堵しているようにラップには見えた。
「…………さようなら。」
ラップは誰もいなくなった門に向かってつぶやいた。
捨てられた悲しさよりも、自分が彼女の負担だった悲しみの方が大きかった。
『ありがとう。もう追い掛けません。これで十分だ。』
ラップの想いを映したのか、どこからともなく真っ白な雲が沸いてきて一面を覆った。
それはまるで、ラップの泣き顔を隠してくれるようだった。
一瞬、雲の切れ目から、広大な町並みが見降ろせた。
街区を区切るのは豊かな水を湛えた水路で、日を受けてきらきらと輝いていた。
『知らない街だ。』
ラップは目を細めた。
今は何を見ても、美しく見えた。

映像が消えて、薄明るい祠に戻ってからも、ラップはしばらくの間余韻に浸っていた。
『ここまで来て良かった。』
シャリネの見せる映像は、後味の悪いものや、わけの分からないものもあったが、それらへの不満も、今見た映像が掻き消してくれた。
ここしばらくのジャックとの仲たがいで感じていた心の隙間も、あたたかな思いで満たされている。
『シャリネ。本当に不思議なものだな。』
ラップは祭壇に置かれている三角に尖った鏡を見た。
映像を見せてくれる間に働いている強い魔力は、今はもうすっかり消え失せていた。
銀の短剣を持って訪れる一人一人に、その人にしかない過去や未来を見せる。
『どんな仕組みなんだろう。どんな魔法が掛けてあるんだろうか。』
ラップの視線が目の前に捧げられている銀の短剣へ落ちた。
ずっとジャックが持っているため、ラップはその短剣をじっくり観察したことはなかった。
ラップは銀の短剣を注意深くつまみ上げ、手のひらへそっと置いた。
普通の短剣だ。
魔法が掛かっているとしても、触れただけではそれが分からない。
封印を施してあるのだろうか。
どうやって調べればいいのだろう。
ラップはそちらの方面の知識はあまり持ち合わせていなかった。

「おい、返せよ。」
横から声を掛けられて、ラップは顔を上げた。
ジャックが、催促する形で片手を前に出していた。
その声音の冷たさもさることながら、声に涙が絡んでいたことにラップは驚いた。
「ああ、悪かった。返すよ。」
ラップは素直に謝り、差し出された手の上に銀の短剣を置いた。
ジャックは意外だという顔をして銀の短剣を受け取り、いささか乱暴な手つきで懐へしまうと、大きくしゃくりあげた。
『どうして涙を……?』
ラップはジャックの様子が気に掛かった。
『見たくないものを見てしまったのかな。』
ラップは祭壇の鏡を見やった。
鏡は決して楽しい事ばかりを見せてくれるのではなかった。
イグニスのシャリネで自ら体験した事が思い出された。
一番思い出したくない物を見せられたのだった。
あの時、ジャックは心配してくれたが、何があったか尋ねたりしなかった。
だったら今、自分も聞くべきではないのだろう。
「外へ出ても良いかな。」
ラップは同意を求めて聞いた。
「ああ。」
投げやりな言葉が返ってきた。
ラップはそっとジャックの表情を伺った。
ジャックはまだ息が荒く、込み上げてくるものを押さえようとしているように見えた。

二人が祠の外へ出ると、エリザが待っていてくれた。
「お疲れさま。」
軽く会釈した彼女は、ラップに向かって尋ねた。
「今日は泊まっていくでしょう?」
「あ、ええと。どうだろう、ジャック。」
ラップはジャックを振り返った。
まだ夕方には少し早かった。
ジャックはすぐに出発したいと思っているかもしれなかった。
「好きにしろよ。」
ジャックが即答した。
「え?」
ラップは耳を疑った。
今までずっと、先を急ぐ事を第一にしてきたジャックなのに、返事からは急ぐ様子が全く感じられなかった。
「いいのかい?」
ラップは確認した。
「構わねえよ。」
ジャックが乱暴に答えた。
『おかしい。どうでもいいと思っているみたいに聞こえる。』
ラップは怪訝に思ったが、表情に出さないように気をつけた。
「それじゃ、一晩泊めて貰えますか。」
ラップはエリザに答えた。
「わかったわ、こちらへどうぞ。」
エリザは先に立って歩き始める。
ジャックの様子を心配しながら、ラップはエリザの後に続いた。

「知り合いに挨拶してくるよ。」
案内された部屋で、ジャックが疲れた様子で椅子に座り込むのを見て、ラップは席をはずそうと決め、言った。
「そうか。」
あまり元気のない返事が返ってきた。
「少し休むといいよ。じゃあ。」
ラップは部屋を出て、その足で書庫へ向かった。
食事の当番から外れた子どもたちが、本を読んだり、調べ物をしていた。
彼らの好奇の目を浴びながら、ラップは奥へ向かった。
書庫の一番奥、古代文字で書かれた本が多く並ぶ一角に、調べ物をするオズワルドの姿があった。
それはラップが出て行った頃となんら変わりない姿で、ラップは思わず笑みを浮かべた。
「ご無沙汰しています、オズワルド先生。」
ラップはそばへ寄って声を掛けた。
「うん?」
古文書から目を上げたオズワルドは、ラップを見てしばらく考え込んでいた。
「どなたでしたかな?」
やがて、姿勢を正してオズワルドが発したのは礼儀正しい問いだった。
ラップはいささか面食らった。
オズワルドは大人に話し掛けるように接してくれている。
子どものような応対をしてはいけない気がした。
「先生、私はラップです。6年前に館を離れました。」
かしこまってラップが言うと、今度はオズワルドの顔がほころんだ。
「おお、君か。見違えた。」
オズワルドは立ち上がって握手を求めた。
「先生はお変わりなくて。」
ラップは恩師の手を握り返した。
「いかにも魔法使いらしくなったな。修行を積んだかね?」
オズワルドは向かいの席をラップに勧め、自分も座り直した。
「はい。一年ほどですが、教えを受けることが出来ました。」
ラップはシフールで師に恵まれた事を話した。
「今日はオルドスのシャリネを訪ねて来たんです。不思議なものを見ました。」
ラップが言うと、オズワルドは目を細めた。
「中へ入ったのかね。」
「はい。巡礼に参加させてもらえたんです。」
「そうか。大分酷くなっておっただろう。」
オズワルドは同意を求めるように言った。
「は?」
一瞬、オズワルドの言っている意味が分からず、ラップは首をかしげた。
「シャリネだよ。雨漏りがするようになってしまった。」
「ああ。」
ラップは祭壇の奥に置いてあった木桶を思い浮かべた。
「古い建物なのは知っていましたが、改めて見ると修理をした方が良さそうでしたね。」
ラップは言った。
「そうだな。だが、勝手に手を付けるわけにもいかん。」
オズワルドは持て余したような顔をした。
「どうしてですか?」
「あれは館の物ではないからな。掃除などはしてやっているが、それ以上の事をしてやる責はないのだよ。」
「そうなんですか。」
ラップは、オズワルドの言葉を意外に思った。
自分たちの物ではないとは、どういう事だろうか。
確かに館の人たちはシャリネと無関係に暮らしていた。
だが、シャリネは館の中に建っているのだ。
何らかの関係がある方が自然ではないだろうか。

オズワルドはそれ以上シャリネについて話さない様子だった。
もう少し話を聞きたい気もしたが、ラップには自分の用事もあった。
少しためらってから、ラップは書庫へ来た用件を切り出した。
「先生、ここにはシャリネや封印の技術について書かれた本はありますか?」
「封印?」
オズワルドが聞き返した。
ラップは頷いた。
「シャリネには、何かのきっかけで働く力が眠っているように思うんです。」
「それは巡礼が持っている短剣の力ではないのかね。」
オズワルドは言った。
「はい、もちろん銀の短剣も力を持っています。でも鏡や、祠全体にも、何か力が施されていると思うんです。」
それはラップの推測に過ぎなかったが、オズワルドは思案顔になった。
「ふむ。調べてみたら良いだろう。ここにあるかどうか、思い出せんが。」
オズワルドは書庫を見渡した。
ラップもつられて視線を上げた。
「封印の技術については、いくつか薦められる本がある。読んでみるかね?」
「はい。」
ラップは数冊の本を渡されて、オズワルドの向かいで読み始めた。

そのうちに、部屋の入口の方にいた子ども達が次々と席を立ち始めた。
「そろそろ夕食だな。」
オズワルドが広げていた書物を閉じた。
ラップは本から顔を上げた。
久し振りの文字と魔法の世界に、いつの間にか没頭していた。
ラップは軽く頭を振った。
一読しただけで覚えられそうな簡単な内容ではなかった。
「ありがとうございました。」
ラップは丁寧に本を重ね、オズワルドに返した。
「今晩は泊まるのだろう。部屋へ持っていっても構わないぞ。」
オズワルドの申し出を、ラップは断わった。
「いいえ結構です。連れが居ますから。」
ラップは様子が変だったジャックを思い浮かべた。
あまり自分のことに構っていてはいけないと思った。
「そうか。」
オズワルドは本を手に取った。
「巡礼が終わったら、また読みに来てもいいですか。」
ラップは訊ねた。
「構わんよ。それならシャリネの本があるかどうか、気に掛けておこう。」
「ありがとうございます。では一度部屋に戻ります。」
礼を言って、ラップは書庫を離れた。

部屋に戻ってすぐ子どもがやってきて、二人を夕食に案内してくれた。
ラップたちが座ったのは癒し手や薬師と同じテーブルだった。
先程会ったオズワルドや、薬草の知識を教えてくれたユベール薬師が近くにいた。
向かい側にはエリザが赤ん坊を抱いて座っていた。
エリザの隣に座っている男性が、じっとラップを見ていた。
視線が鋭い。
すっかり大人になっていたが、自信に満ち溢れたその風貌には忘れられないものがあった。
「お久し振りです、ルイス。」
ラップが言うと、男性は待っていたようにうなずいた。
「巡礼に来たそうだね、ラップ。元気そうで何よりだよ。」
口元には笑みを浮かべていたが、目が笑っているようには見えなかった。
「おかげさまで。そちらもお元気そうですね。」
ラップは当たり障り無く答えた。
ルイスは満足そうに笑顔を浮かべて言った。
「ああ。3人とも元気そのものだよ。」
隣のエリザも微笑んだ。
「えっ、3人……って……」
ラップは小声で呟いた。
ルイスが苦笑し、エリザは目を真ん丸くしてラップを見つめた。
「やだ、気付いてなかったの、ラップ。」
エリザは赤ん坊を抱いたまま立ち上がり、ラップに見せるように腕を伸ばした。
「私たちの赤ちゃんよ。」
赤ん坊は目を閉じて、眠っているようだった。
男の子なのか女の子なのか、さっぱり見当がつかなかった。
館に引き取られた子どもだろうと思っていたが、そんな事を言葉に出せるはずも無い。
恥ずかしさで頬が熱くなった。
「ごめん、気付かなかった。結婚したんだ。」
ラップはエリザとルイスを見て言った。
「おめでとう。」
「どうも。」
ルイスは薄く笑った。
「ありがとう、ラップ。」
エリザもにっこりと笑った。
ルイスに自分の勘の鈍さを笑われたような気がして、ラップは居心地が悪かった。

食事の席でもジャックは無愛想だった。
こんなに長時間引きずるようなものをシャリネで見たのだろうか。
さすがに気に掛かって、ラップは部屋に戻ると声を掛けた。
「嫌な事でもあった?」
椅子に座り込んでいたジャックが、ハッと顔を上げた。
口元が何か言いたげにピクピクと動いたが、言葉に出さずにジャックは顔を逸らした。
「お前には関係ない。」
その声は、決して冷たい声ではなかった。
むしろ誰かに悲しみを分かって欲しいというような、心の叫びがこもっているような気がした。
話したくても話せない。そんなもどかしさを感じさせた。
無理矢理に聞きだせることではないし、そんな事をしたらジャックの心に傷を残しそうだった。

「最後まで巡礼を続けるように言ってくれて、ありがとう、ジャック。」
ラップは姿勢を正して言った。
ジャックの傷を詮索する気はなかった。
別の事で、気持ちが晴れるように手助けできたら良いと思った。
「はあ?」
ジャックが意外そうな顔をこちらに向けた。
なぜ感謝されているのか、分からないといった顔だ。
「さっきのシャリネで、ずっと見たいと願っていたものを見たんだ。途中で諦めていたら、一生見られなかった。ジャックのおかげだよ。」
ラップは心をこめて言った。
「そ、そうか。」
ジャックは、ばつが悪いような、照れくさいような顔をした。
『これでいい。』
ラップは笑顔で小さく頷き、マントを外して丁寧に畳んだ。
ひとつ伸びをして寝台に横になる。
充実した一日だった。
五つのシャリネの巡礼は終わった。
後はひたすら、フォルティアのラグピック村を目指すだけだ。
ラップは天井を見つめ、目まぐるしかった一日を思い起こしていた。

「ミッシェル、聞いていいか。」
しばらくしてジャックが声を掛けてきた。
ラップはハッとして体を起こした。
名前を呼ばれたのはどのくらいぶりだろう。
ジャックはいつに無く真剣な顔つきでこちらを見ている。
「何?」
ラップは促した。
ジャックは少しためらってから口を開いた。
「シャリネのお告げが、間違いだったことがあるか?」
「間違い……?」
ラップは顔をしかめた。
「今日見たことが、どうしても信じられないんだ。」
ジャックは訴えるような表情をしていた。
ラップは今までシャリネで見た事を思い起こした。
海や遺跡、見たことのない風景、過去の出来事。
ラップの見たものは、事実の再現や、まだ現実では出会っていない物ばかりだった。
「間違いっていうのは、見ていない……な。」
ラップは自信なさげに答えた。
「俺、村へ帰るところを見たんだ。」
ジャックが話しだした。
「村長のところに皆集まっててさ。俺たちを祝ってくれたんだ。」
ジャックは言葉を探しながら話した。
「それで、その中にばあちゃんが……、立って、歩いてたんだよ。そんなわけないんだ。お前も見てるだろ。ばあちゃんは歩けないんだ。体を起こすのも辛いんだ。」
ジャックの言葉は熱っぽく、必死だった。
「あれは昔のばあちゃんだ。村へ来た頃のばあちゃん。何でそんなのが出てくるんだ?!」
ジャックはそこまで一気に言うと、視線を床に落とした。
「おかしいよ。……もしかして、もう死んじまったのか。だから昔のばあちゃんが出てきたんじゃないか。」
ジャックは唇を噛んだ。

それで塞ぎこんでいたのかと、ラップは納得した。
お告げの内容は、確かに事実と違いそうだ。
ジャックの祖母は寝たきりで、それは体の衰えから来るものだった。
体を起こす程度はともかく、立って歩けるようになるとは考えにくかった。
だが、ジャックの推論も飛躍しすぎているように思えた。
「巡礼をやり遂げたことを、一緒に祝いたかったんだよ。その気持ちが強くて、皆と一緒にいたんじゃないかな。」
ラップは言った。
「……そうかな。」
ジャックが信じられなさそうに言った。
「出発のとき、外まで出てきてくれたじゃないか。お元気そうだったよ。」
ラップは言葉に励ましの思いを込めた。
「そうならいいけど。俺、お告げを見てて怖くなっちまったんだ。急いで帰っても、もう間に合わないと思って。」
いつものジャックと違って、気弱な、年相応の少年に見えた。
「きっとまた会えるよ。」
少し自信がなかったが、ラップは強く言った。
心を込めれば、願ったことが事実になるといわんばかりに強く願った。
「うん……。ありがとな。」
ジャックが言って、辛さの残った顔で笑顔を作った。

「明日から帰り道だね。」
ラップは言った。
「いいのか。ここ、懐かしい所なんだろう?」
ジャックが聞き返した。
「また、いつでも来られるよ。」
書庫の本を読む約束もしてある。
それに、迷うほどの未練も無かった。
「そっか。」
ラップの返事を聞いたジャックは、まじめな顔でラップを見た。
「ミッシェル、お前の世界ってすごく広いな。」
「え?」
突然言われてラップは目をしばたたいた。
「世界中に知り合いがいるって、凄いことだぞ。」
「そ、そうかな。」
ラップはまごついた。
全く自覚の無かったことだった。
「そうだよ!」
ジャックがあきれたといった様子で言った。

「あと半分だ。」
ジャックはそう言って立ち上がり、寝支度を始めた。
さっきより元気が出たようだ。
ラップはホッとした。
「あと半分、だね。」
ラップも自分に言い聞かせるように言った。
この先は、一度ならず訪れたことのある場所が多い。
道のりが半分も残っているようには思えなかった。

次の朝、館で朝食をとった後、二人は帰り道についた。
帰り道といっても、来た道を戻るのではない。
最初に使った定期船は、冬を控えて休止してしまうのだ。
フュエンテを横切って砂漠の国ギドナへ入り、北上してフォルティアへ向かう。
ティラスイールの残り半分を、ぐるりと回る帰り道だった。

数週間後、ラップとジャックは国境を越え、フォルティア領内へ入った。
北上して首都のルードへ入ったのは、さらに何日も後のことだった。

「でかい町だな。」
城下へ入って早々にジャックが言った。
ラップは頷いた。
街は活気があって、人々の往来も多かった。
マント姿のラップを人々が避けて通るのも相変わらずだった。
「ここも魔法使いはのけ者か。」
ジャックが小さな声で言った。
「前からそうだったよ。」
ラップは答えた。
オルドスのシャリネを出発してから、ジャックとは再び言葉を交わすようになっていた。シャリネで見たお告げの事を話し合ったのが、きっかけになっていた。
話ができるのは素晴らしい事だった。
気持ちが落ち着いて、毎日張り合いがあるとラップは感じていた。
「何か食べようか。」
「ああ。市場は近いのか?」
ラップは頷き、勝手を知った足取りで、街路を進んでいった。

「ん?」
最初に気付いたのはジャックだった。
「なんだろ、人だかりが出来てる。」
ジャックは前方をじっと見た。
前方に目をやったラップは、道一杯に広がった人垣に気が付いた。
皆、前を見ようと背伸びしたり、飛び跳ねる者さえいた。
人々の頭越しに、とがった槍の先端がいくつも見えた。
ラップは顔をしかめた。
吟遊詩人や物売りの人だかりではなさそうだ。
「やっと安心できるわ。」
周りの人々の話し声が聞こえてきた。
「とうとう捕まったか。」
「こんな昼間に出てくるなんて、兵隊も舐められたもんだ。」
ラップとジャックは顔を見合わせた。
「別の道から行こうか。」
ラップが提案した。
兵隊のいるそばを通りたくなかった。
「そうだな。」
ジャックも頷き、二人は人だかりに背中を向けた。
そのとき、ラップは背後に魔力を感じた。
「ん?」
立ち止まって振り返る。
「どうしたんだ。」
ジャックも立ち止まった。
「今、魔法の力を感じたんだ。」
ラップは小声で言った。
嫌な感じがした。

いきなり、獣の雄叫びのようなものが聞こえた。
それと同時に膨れ上がる魔力を感じた。
まるで嵐のように風が起こって、人々を翻弄した。
たちまちその場は叫び声やうめき声で一杯になった。
ラップは自分の周囲に結界を張って風の直撃を避けた。
すぐ横では、ジャックが体を伏せて風をやり過ごしていた。
「魔法かっ!」
ジャックが毒づいた。
ラップはぎゅっと口を結んで風の来た方を見つめた。
再び強い風が吹き、兵士が一人吹き飛ばされてきて、尻餅をついた。
「きゃーっ!」
こどもが泣き叫んで親にしがみついた。
兵士は鎧をガチャガチャ言わせながら立ち上がった。
「逃げろ! ここから離れるんだ!」
大きく手を振って兵士が怒鳴った。
その間にも混乱に陥った人々が我先に逃げてきて、二人にぶつかった。
「おい、逃げよう!」
ジャックがラップの袖を引いた。
「え?」
ラップはジャックを見た。
声を掛けられるまで、逃げるという選択肢が思い浮かばなかった。
「巻き込まれたら危険だぞ。」
ジャックはもう一度袖を強く引っ張った。
ラップはさっきまで人だかりのあった方を見た。
数人の兵士が、誰かを取り囲んでいるのが見えた。
その後ろに、見物していた人だろうか、何人もの人が倒れていた。
「見過ごせないんだ。」
ラップはジャックに言った。
「何言ってんだ!」
ジャックが怒鳴った。
ラップは、袖を掴んでいるジャックの手を、反対の手で掴んで離させた。
「先に街道へ行ってて。後で追いかけるから。」
ラップが言うと、ジャックは信じられないという顔をした。

ラップはジャックの返事を待たずに走り出した。
兵士が取り囲んでいる男が見えた。
汚れた衣服に、ぼさぼさした長髪で、右手に木の枝のように細く短い杖を持っていた。
『グリムゾンが持っていたような杖だ。』
緊張感が走る。
兵士たちの後ろでラップは止まった。
兵士の一人が槍を構えて前に出た。
男が杖を振った。
火の玉が兵士目掛けて飛び出して、兵士は慌ててそれを避けた。
別の兵士が剣を構えて切り込んだ。
男は横に転がって兵士をかわした。
そのまま囲みをすり抜けようとする。
ラップは男の進む方向に、氷の槍を放った。
それらは地面に突き刺さり、男の行く手を阻んだ。
男は足を止め、ラップの姿を見つけると睨みつけた。
男の手にある短い杖が動く。
杖を持った手首には壊れた手錠がぶら下がっていた。
『魔法で壊したのか。』
アンデラで見たような、魔法を無効にする物ではなかったのだろう。
火の玉が飛んできた。
喉の奥がぎゅっと縮むような気がした。
ラップは大きく飛び退って火の玉を避けた。
「君、さがるんだ!」
兵士がラップに叫んだ。
「援護します!」
ラップは兵士に言い返した。

「おとなしく捕まれ!」
兵士たちはまた男を取り囲んだ。
男は杖を振り上げた。言葉にならない雄叫びを上げる。
目が釣りあがっていた。正気なのか、異常をきたしているのか、分からなかった。
説得をして、話を聞いてくれるようには見えなかった。
杖に魔力が貯められていく。
男がニヤリと笑った。
『さっきの嵐のような風を起こすつもりか。』
それならと、ラップは口の中で呪文を呟いた。
兵士たちがぐっと身構えた。
男が杖を一層高く振り上げたのを見てラップは魔法を放った。
「ええいっ!」
両手で押し出すように掛けた魔法は、四方から男を包み込んだ。
男が放った嵐は、ラップの掛けた結界に閉じ込められた。
「ぎゃあああっ!」
悲痛な叫び声がした。
男は自分の掛けた魔法に襲われ、頭を庇い、体を丸めて地面に倒れこんだ。
ラップはハッとして慌てて結界を解いた。
閉じ込められていた風が四方へ散ったが、男は倒れたまま動かなかった。
ラップは血の気が引くのを感じた。
まさか、また取り返しの付かない事をしてしまったのか。
駆け寄って確かめようとすると、兵士が飛び出してきてラップを止めた。
「危険だ、近づくな。」
「生きてますか、その人。」
ラップは兵士を振り切って男の側に走り寄り、ひざまずいた。
ヒューヒューと耳障りな音がした。
体を丸めた男が、息をしている音だった。
息に合わせて背中がせわしなく上下していた。
『よかった。』
ラップは体の力が抜けていくのを感じた。
「下がりなさい。」
兵士が苛立った声でラップに言った。
「は、はい。」
ラップは立ち上がり、後ろに下がった。
ふと気付けば、遠巻きに事態を見守っている街の人たちがいた。
一度は逃げたものの、また戻ってきたらしい。
その中に、数年前世話になった野菜売りの男がいるのが見えた。
ラップが人垣に混ざろうとすると、彼はあからさまに身を引いてラップを無視した。

魔法使いの男は、もう抵抗する気配はなかった。
立ち上がることは出来なかったが、上半身を起こして素直に手錠を掛けられた。
足にも縄を掛けられ、担架に縛り付けられて、兵士たちに運ばれていった。
兵士の一人が列を離れてラップに近づいてきた。
「君、協力に感謝する。あとで報奨金が出るだろう。どこに住んでいる?」
兵士は尋問するような目でラップを上から下まで見た。
連行された男も自分も、この兵士にとっては同じ魔法使いなのだろう。
そんな目つきをしていた。
かかわりを持ちたいとは思わなかった。
「私は旅の魔道師です。住まいはありません。」
ラップは素っ気なく答えた。
言ってしまってから、身分証明になる物を持っていない事に気が付いた。
銀の短剣はジャックが持っているし、他に通行証はない。
詮索されると面倒なことになりそうだった。
「報奨金は辞退します。この街に役立ててください。」
ラップは平静を装って答えた。
「む、そうか。」
兵士の顔がゆるんだ。
ああそうかとラップは思った。
ラップが辞退すれば、彼らが報奨金にありつけるのだろう。
兵士はもう一度ラップをじろりと見回すと、他の兵士を追い掛けていった。
『早くこの街から出よう。』
ラップは走り出したい気持ちを抑えて町の出口を目指した。

海沿いの街道へ続く出口に近づくと、ぶらぶらと歩いているジャックが見えた。
待っていてくれたのだと、ラップは嬉しくなった。
「ジャック!」
声を出して呼ぶと、ジャックがこちらを見た。
「お、おう。」
歯切れの悪い返事が返ってきた。
ラップはいぶかしんだ。
そばに行っても、ジャックはラップの顔をまっすぐ見ようとしなかった。
弾んでいた心があっという間にしぼんでしまった。
もしかして、ジャックはさっきの戦いを見たのだろうか。
不安が沸きあがったが、ラップはそれを押さえ込んだ。
「ごめん、待たせたね。」
努めて明るい声を出して、ラップはジャックに謝った。
ジャックはあいまいに頷いた。
「このまま出発していいかな。」
続けて尋ねると、一瞬間を置いて言葉が返ってきた。
「あいつ、死んだのか?」
「えっ?」
ラップは驚いてジャックを見た。
ジャックの顔はこわばっていた。
やはり戦いを見られていたのだ。
自分でも少しやりすぎたと思っていたが、ジャックもそう感じたらしい。
「殺したのか?」
ジャックが重ねて聞いてきた。
「お前の魔法に閉じ込められて、動かなくなっただろう。」
硬く、緊張した声だった。
しばらくの間、ラップは何も言うことが出来なかった。
それから、急に猛烈な怒りに駆られた。
「殺してなんかいない。」
ラップはぴしゃりと言った。
「結界はすぐに解いた。あいつは大人しくなって捕まったよ。」
説明をしながら、まっすぐにジャックを見つめた。
「そ、そうか。」
ジャックのこわばった表情は少しもゆるまない。
いやむしろ、ラップに言い返されて、怯える様子さえ伺えた。
ラップは息を吐き、首を振った。
これ以上ジャックを怖がらせても、何にもならない。
「もう行こう。」
促すように言って、ジャックを見た。
「お前、結構怖いこともするんだな。」
ジャックは腫れ物に触れるような目でラップを見返した。
ラップは唇を強く噛み締め、返事をしなかった。

二人は手近な屋台で空腹を満たすと、海辺の街道へ出た。
黙々と街道を歩く。
時おり冷たい風が吹いて、冬の迫っていることを知らせた。
ジャックも、ラップも、相手に話し掛けようとしなかった。
『僕は魔法使い、魔道師だ。』
ラップは心の中で主張した。
必要だと思った戦いには飛び込むし、戦う以上は勝つことを考える。
今日のように、相手を痛めつけてしまうこともある。
これからだってあるだろう。
だけど、むやみに人の命を奪おうとは思っていない。
命の重さは、身に染みて知っている。
これが自分の生き方だ。
魔法使いに生まれた生き方だ。
戦いに飛び込む度に、周囲に説明したり、誤解を解いたりする必要があるとは思えなかった。
そんな不自由な世界にいたいとも思わなかった。

ラップの数歩前をジャックが歩いていた。
数ヶ月の間を共に過ごしたにもかかわらず、怯えさせ、恐れられてしまった。
『はじめは何でも話せたのに。』
あわよくば、友達になれないかと思ったことさえあった。
だが、ラップが普通の人と一緒に暮らすのは、やはり無理なことだったのだ。
『巡礼を終えたらすぐに立ち去ろう。』
ジャックにも、あの山村にも、これ以上迷惑を掛けたくない。
悔しさと悲しさが入り混じった思いでラップはそう決心した。
気付くと、目尻に涙が溜まっていた。
ラップは涙があふれて頬に伝うのを放っておいた。
涙を我慢したところで、誰も救ってはくれないのだ。

 

ラグピック村に続く山道は、すっかり秋の気配を深めていた。
紅葉した樹木の下に木の実が転がり、気の早い落ち葉がそれらを覆い隠そうとしていた。
ジャックは足早に山道を登っていく。
寝たきりの祖母を心配しているのだ。
ラップは少し遅れながら後を追っていた。
二人の仲は修復しなかった。
どちらも事態を改善させるために働きかけることをしなかったのだ。
ラップは普通の人たちの間で暮らす事にあきらめを感じていたし、
ジャックは多分、心底ラップを信じられなくなったのだろう。

先に登ったジャックの話す声が聞こえてきた。
村の入り口に立つ見張り番に会ったのだろう。
『いよいよだ。』
秋の気配を感じ始めた頃にここを出発して、今は秋の終わり。
途中で残念な事もあったが、それでも最後まで巡礼を続けることが出来た。
約束を果たすことが出来たのだ。
木立が開けると、ジャックがこちらを見ていた。
見張り番の姿がない。
村に、二人の到着を知らせに行ったのかも知れない。
ラップが側まで行くと、ジャックは歩き始めた。
『仲良く帰ってきた事にしたいのか。』
何も言わない相手に、ついつい勘ぐりたくなってしまう。

少し進むと、ジャックは道をそれた。
ジャックと祖母の住む小屋の方だった。
ラップは立ち止まった。
小屋に入っていったジャックは、すぐに飛び出して来た。
「畜生っ!」
小屋の前で、体を二つに折るようにして叫ぶ。
開け放しの扉から、空っぽの寝台がちらりと見えた。
そのままジャックは走り出した。
立ち止まりもせずに、村の方へ駆けていく。
ラップは足早にジャックを追った。

村長の家の周りに、たくさんの村人が集まっていた。
駆けてくるジャックを見つけて、喝采が起きた。
ジャックは村人に目もくれず、一目散に村長の前へ駆けていった。
「村長っ!」
目の前で立ち止まって、大きく肩で息をする。
ラップも必死に走って追いついた。
「おお、おかえり。元気じゃのう。」
機嫌よく村長が言った。
「ばあちゃんは?! 小屋が空っぽだった! どこ行ったんだ?」
ジャックは村長に掴みかからんばかりに迫って問いただした。
ラップは、お告げで祖母の姿を見たと言ったときの、ジャックの取り乱しようを思い出した。
「おお、何を言っておる。どこにも行かん。行くはずがないじゃろう。」
村長が話し掛けたが、ジャックは聞いていないようだった。
急にきょろきょろと集まった人たちを見回した。
「小屋にいなかった! ここにもいない! まさか、まさか……。」
ジャックは今にも泣き出しそうだ。

「帰ってきたねえ、ジャック。」
村人の中から、一人の老婦人が進み出てきた。
「おばちゃん!」
ジャックはその婦人を見ると泣き崩れそうになった。
ラップにも見覚えがあった。ジャックたちの小屋で、おばあさんに付いていた人だ。
「ばあちゃんがいない! どこに行ったんだ? 俺、会いたかったのに! 急いで帰ってきたのに!」
「何を取り乱している、ジャック。見苦しいぞ。」
もう一人、年配の男がジャックに声を掛けた。
「おじさん…。」
ジャックは今度は口をぎゅっと結び、泣き出しそうなところを見せまいとした。
「お前が巡礼に出て、村はずれに一人きりでは危険だと考えたのだ。わしの家で引き取った。」
「えっ……。」
ジャックは信じられないといった顔をした。
「村の中へ、入れてくれたのか?」
ジャックの顔に、喜びがともった。
「そうだ。お前も、これからはうちで暮らすといい。」
「ジャックが帰ってきたって知らせがあって、喜んでいるわ。」
二人が代わる代わる言うと、ジャックの顔が涙であふれた。
「ばあちゃん、元気なんだな?!」
「元気よ。ジャックを待っているわ。」
老婦人が語りかけると、ジャックは今度こそ声を上げて泣いた。
泣いている姿にもかかわらず、嬉しそうだとラップは思った。

「ジャック、一刻も早くおばあさんに会いたいじゃろうが、先に銀の短剣を返還してもらわねばならぬ。」
成り行きを見守っていた村長が声を掛けた。
ジャックはしゃくりあげながら頷いた。
「ミッシェル君もここへ並びなさい。」
村長は後ろにいたラップにも声を掛けた。
「はい。」
ラップはジャックの隣に並んだ。
「良かったね、ジャック。」
小さな声で言った。
ジャックがちらりとラップを見た。
泣きはらした赤い目が、ラップの真意を探るようにこちらを見ていた。
「ではジャック、銀の短剣を。」
村長が厳かな声で言った。
「はい。」
ジャックが前に進み出て、懐にしまっていた銀の短剣を両手に持ち、村長に差し出した。
「ただいま。帰ってきました。」
ジャックが神妙な顔つきで言った。
村長が銀の短剣をゆっくりした動作で取り上げた。
「お帰り。ご苦労だったな。」
その言葉を潮に、村人たちが一斉にねぎらいの声を掛けてきた。
「おかえり。」
「早かったな。」
「いい旅が出来たかい。」
ジャックとラップは、その一つ一つに頷いて答えた。

「お帰り、二人とも。だいぶ逞しくなったじゃないか。」
シュバルが話し掛けてきた。小さなトルタを片腕で抱いている。
「いろいろあったからな。」
ジャックが答えた。
言外に含まれたあれこれが、ラップには感じ取れた。
「みやげ話を聞くのが楽しみだ。ミッシェル君、よかったらうちへ泊まらないか。」
シュバルの言葉に、ラップは表情を硬くした。
「ん、どうしたんだ。」
「私は、ここで失礼しようと思います。」
ラップは改まった口調でシュバルに言った。
「何を言うんだ。今戻ってきたばかりじゃないか。」
シュバルは信じられないという風に言った。
話を聞いていた村人が、何事かと注目する。
「巡礼に参加できて、素晴らしい経験が出来ました。感謝しています。」
ラップはシュバルに言った。
「十分すぎるものを頂きました。私は自分の旅に戻ります。」
ラップが淡々と告げると、シュバルは戸惑った顔をした。
「いや、そんな急に出て行かなくても。なあ、ジャック。」
困ったシュバルはジャックに助けを求めた。
ラップはジャックを見た。
ジャックもラップをじっと見ていた。
少しためらってから、ジャックは口を開いた。
「そいつがやりたい様にすればいいだろ。無理に止めなくても、いいと思うけど。」
それが、ジャックの出した結論だった。
信頼が完全に無くなってしまったことを、ラップは悟った。

「お前たち、喧嘩でもしたのか。出発の時はもっと仲が良かったじゃないか。」
シュバルが二人に問い掛けたが、どちらも答えなかった。
「どうしたね?」
村長がこちらにやって来た。
「ミッシェル君が、すぐに発つと言うんですよ。」
シュバルが訴えた。
村長も意外だという風にラップを見た。
「急ぐ用でもあるのかね?」
「いいえ。」
ラップは村長に答えた。
「でも、巡礼をしていて気付きました。私はやはり魔道師です。ここは、私の居場所ではありません。」
ラップは村長を見、シュバルを、ジャックを見つめた。
ジャックはラップの視線を避けた。
「お、俺、ばあちゃんに報告してきます。」
ジャックは村長に断わってきびすを返し、足早に離れていった。
周りの村人がざわついた。
ジャックの態度に隠されたものを憶測する会話が耳に入ってきた。
胸が痛んだ。
「どういうことだ……。」
シュバルが困惑した顔でラップを見つめる。
ラップは視線を落とした。

『何てことだ。』
ラップはズキズキする胸の痛みをこらえながら思った。
この胸の痛みは、転移魔法を使うために過去の過ちを思い出した時の痛みにそっくりだった。
体よりも心が訴えている痛みだった。
『逃げ出したいのか……。』
ラップは痛む胸にそっと掌を当てた。
『もう、逃げてはいけないんだ。巡礼を終えた者は、一人前の大人なのだから。』
ラップは自分に語り掛けた。
今まで、言い訳をして、つらい事を後回しにしてきた。
そうだ、ジャックの言うとおりだ。
逃げていたのだ。
ラップはマントの上からぎゅっと胸を掴んだ。
目を上げて、ジャックの立ち去った方を見た。
すでに後ろ姿も見えなかった。
『これからは逃げない。過去の過ちに向き合いに行こう。』
ラップは自分に言った。
たくさんの言い訳の根っこは、全て一つの原因から始まっていた。

「シュバル。無理に引き止めない方が良いじゃろう。」
村長が言った。
シュバルが残念そうな表情になった。
「ミッシェル君、ジャックと旅をしてくれてありがとう。」
「こちらこそ巡礼をさせてもらえて感謝しています。素晴らしい旅でした。」
ラップは村長に礼を言った。
数々の旅の断片が頭の中をよぎって、ラップは込み上げてきたものをこらえた。
「村の皆さんにもお世話になりました。決して忘れません。」
涙声になるのを、かろうじて押さえる。
「うむ。」
村長が頷いた。

ラップはその場で呪文を呟き始めた。
ラップの体の周りがぼんやりと光り、足元に丸い光の魔方陣が現れる。
村人たちが好奇心や嫌悪感をそれぞれの顔に浮かべてラップを見た。
ラップは呪文を続ける。
体の周りの光が強くなり、ラップの足が地面を離れて宙に浮いた。
村人たちの顔に、今度は驚きが浮かぶ。
「シュバルさん。」
ラップはやはり驚いた顔をしているシュバルに呼び掛けた。
「何だい?」
シュバルが答えた。
「ジャックに、感謝していると伝えてくれませんか。彼がいたからここまで帰って来れたんです。」
「分かった。必ず伝えよう。」
シュバルが力強く頷くのを見てから、ラップは脳裏にディーネの湖を思い浮かべた。
『いや、もっと遠く。』
今なら多くの距離を跳べると感じた。
ラップは海岸の町ラグーナを思い描いた。
そこからまた旅が始まる。目指すのはテュエールだ。
『出発だ。』
一層強く、思いを込める。
全身が光に包まれ、体が重さを失ったように浮き上がると、ラップの姿はラグピック村から消え去っていた。

 

(2013/7/4)

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