冒険者のバカンス
-10-
「アルフレッド様、お怪我は。」
モリスンがアルフレッドの腕を取った。
「僕はいい。それより、トランスが。」
アルフレッドはモリスンの手を振りほどき、うずくまっているトランスに駆け寄った。
「深い傷だ、出血がひどい。」
クレズが隣に座って回復魔法を試みていた。
「何かで縛ってくれ。血がなくなっちまう。」
トランスが痛みをこらえながら訴えた。
モリスンが自分の道具袋から包帯を取り出してトランスの手首をきつく縛った。
「早く町に戻って、治療してもらいましょう。」
「せっかくここまで来たのに……。」
モリスンの提案に、トランスは悔しがった。
「気持ちはわかるけど、倒せたのは一体だけだよ。また襲ってこないとも限らない。」
クレズがこわばった表情で言った。
「でも、なあアルフ、あきらめられないだろう。」
「それはそうだけど、でも君の身体の方が大事だよ。」
アルフレッドも硬い表情で答えた。
「ここで戻ったら、二度とチャンスが無くなっちまう。」
トランスはうめくように言った。
「そんなことないよ。黙って見に行くことは出来ないだろうけど、ちゃんと許可をもらって見ればいい。」
アルフレッドは言った。
「許可なんて、もらえるもんか。」
トランスが言った。
「言ってみなくては始まらないよ。わがままでも何でも、言って初めて気付いてもらえると思う。」
トランスは渋そうな顔をした。
出来るわけがないと、その顔に書いてあるようだった。
アルフレッドは、自分の言葉と同じ事を最近どこかで聞いたのに気付いた。
『風車のところで、アヴィンさんが言っていたんだ。』
聞いたときは、アルフレッドも言えるわけがないと思ったのだが、こうして同じ事を口にしてみると、案外たやすく行動できそうな気がした。
要は、自分の気持ちのこだわりを、いかになくすかということなのだ。
『僕も言ってみれば良いのだろうか……。』
アルフレッドは一瞬周りの状況を忘れ、己の思いにふけった。
「ともかく、町に帰りましょう。」
モリスンが三人に呼びかけた。
最年長者として、その言葉には有無を言わせない響きが込められていた。
そして、その言葉に逆らうほどの元気は、トランスにも、クレズにも、もちろんアルフレッドにもなかったのだった。
クレズを先頭に、トランスを両側から挟んでアルフレッドとモリスンが続いた。
「俺の剣、見つからないかな。」
トランスは立ち去る前に振り返って、心残りを口にした。
「またあとで取りに来ようよ。」
クレズがそれだけを言った。
言外に、今がそんな悠長な事態ではないと言っていたのだった。
しかし魔獣は一行をあきらめていなかった。
背後から、がさがさという音が近づいてきて、四人は足を止めた。
「さっきの奴かな。」
トランスがケガをしていない手を前に伸ばし、魔法の構えを取った。
「剣を吹っ飛ばしたからって、なめられちゃたまんないな。」
「相手にせずに逃げましょう。」
モリスンが言ったが、すでに灌木の間から魔獣の背中が覗いていた。
「背中を向けたら、かえって危険だ。」
アルフレッドも自分の剣を抜いた。
その手元が不意に暗くなった。
「えっ!」
顔を上げたアルフレッドは、そこに浮遊する二体の魔獣を見つけた。
「しまった、最初に追い払った奴でしょうか。」
モリスンが杖を掲げ、ファイアの魔法を放った。
魔法は片方の魔獣に命中し、そいつは高度を高く上げて高見からこちらの様子を伺った。
アルフレッドはもう一体の魔獣に剣を突き出したが、魔獣の腹びれをかすめただけだった。
「ファイア!」
トランスが、茂みの中から姿を現した四つ足の魔獣に魔法を放った。
魔獣は炎にあぶられ、一層凶暴な形相で突進してきた。
「うわっ。」
とっさに避けきれなかったトランスが、魔獣の頭突きを食らいはね飛ばされた。
「トランス!」
三人が異口同音に叫んだ。
クレズがトランスをかばうように立ち、ロッドを構えて近寄る魔獣を睨みつけた。
アルフレッドとモリスンも側に寄った。
「トランス! 大丈夫か。」
アルフレッドが声を掛けると、うめき声のような返事があった。
「…うぅ、固い頭だぜ……。」
「トランスさん、町へ応援を呼びに飛べませんか。」
モリスンが言った。
トランスは起きあがろうとしたが、身体が動かなかった。
「今、動けない。…クレズ、お前行けよ。」
「僕?! 僕は飛べないよ。」
クレズは焦って首を振った。
「出来るさ。行くところを思い浮かべ、ごほっごほっ。」
トランスが腹を丸めて咳き込んだ。
「来るよっ!」
アルフレッドが皆に叫んだ。
「ファイア!」
「フリーズ!」
モリスンとクレズが魔法を見舞い、アルフレッドは剣を一閃して魔獣の腕に傷を負わせた。
魔獣は退き、間が空いた。
「クレズ、飛ぶんだ。」
トランスがクレズを見上げて言った。
「オルテガ様を思い浮かべろ。あの人の前に立ってる自分を想像して、そこへ飛ぶんだ。」
「オルテガ様の前……。」
クレズはトランスの前に膝を付いた。
「オルテガ様の前に僕がいる、ってことだね。」
確認するようにトランスをのぞき込む。
「そうだ。きっと、絶対飛べる。」
トランスが声を振り絞って答えた。
「やってみる。トランス、これ少しだけど薬草だ。使って。」
クレズは懐から取り出した薬をトランスに手渡すと、立ち上がって大きく息を吸った。
そして目を閉じると呪文の詠唱に入った。
「お二人を守りますよ。」
モリスンがアルフレッドに声を掛けた。
「わかった!」
緊張した声でアルフレッドが答えた。
「…来たれ姿無き翼よ……オルテガ様……オルテガ様、オルテガ様!!」
ぎゅっと目をつぶり、集中を高めるかのようにオルテガの名を繰り返してから、クレズの姿はフッと消え失せた。
「消えた。」
アルフレッドが背後を振り返った。
成功したのだろうか。それを教えてくれるものはどこにもなかった。
「大丈夫だ、きっと。」
トランスが二人に言った。
修行所の奥にある会議室には、神官などの役職に就いている者が二十人ほども集まっていた。
オルテガとデンケンが皆を集めたのである。
アヴィンは訓練を手伝っている僧兵隊長の隣にいた。
部外者ではあったが、二人に色々意見した身であり、この話し合いには興味を持っていた。
オルテガは、一部の神官にしか伝えていなかったことを明らかにした。
オルドスが数年後には国になること。
それにあたって、各国から外交、貿易、国内整備に手助けが来る予定であること。
皆は驚いたが、すぐに驚きは喜びに変わっていった。
「オルテガ様もデンケン様も水くさい。どうしてもっと早くに教えてくださらなかったのです。」
「新しく覚えることが山のようにありますね。魔法、魔法とそればかりを言っていられません。」
「他の国から応援が来る前に、こちらからも人をやって学ばせた方が良いでしょうな。」
ゆったりと椅子に座っている者など、ほとんどいなかった。
皆立ち上がり、自分の意見を言っていた。
僧兵隊長も、今こそ自分たちの技術の向上が必要だと、声高に叫んでいた。
オルテガは前に立ち、その声に耳を傾けていた。
「オルテガ様、一体何から決めたら良いのでしょう。」
隣に立っているデンケンが、そっと尋ねた。
「今まで貴方に、修行所も国の内外のこともまとめてお願いしていた。まずそれを三つに分けましょう。」
オルテガは中央に進み、皆に席に座るよう呼びかけた。
「皆もわかっているように、この数年でオルドスの町は大きくなりました。これからはもっと人の多い町になっていくでしょう。この町をまとめていく方法を、変える時期が来たと思います。修行所を束ねる者、国内の納めを担う者、国外との交渉にあたる者。大きく三つに分けてはどうでしょう。」
一度静まり返った部屋の中は、たちまちざわめきで埋まった。
「オルテガ様はどうなさるんです? 三つの役職の、さらに束ねとして上に立たれるのですか。」
神官の一人が尋ねた。幾人かが同意するように頷いた。
「いや、私が一番望んでいたのは修行所を作ることでした。もし皆の同意が得られるなら、私は修行所の束ねの役目を負いたい。」
オルテガは言った。
「いや、貴方にはオルドスの代表として顔を立てていただかねばなりませんでしょう。」
横合いから異議が唱えられた。
「そのための大神官ですぞ。」
「…………。」
オルテガは答えなかった。
表情から笑みは消えなかったが、その目がいかにも寂しそうだとアヴィンは思った。
「オルドスは国になるのです。何もかもオルテガ様に押し付けてはならんでしょう。」
デンケンがオルテガの前に進み出た。
「修行所は多くの人を受け入れ、各地に魔法使いを送り出しています。しかし、魔法の力はけがや病の治癒に使われるだけではありません。戦う力としての魔法もあるのです。今までオルドスはそちらの力には重きを置かなかった。誤解を避けるためでもありました。ですが、今後一個の国という安定した位置を得られるならば、戦うための魔法を扱うことも出来ましょう。そして、この方は本来攻撃魔法にこそ本領を発揮されるのです。私はオルテガ様にこれからの修行所をお任せしたい。そうすることが、我々魔法使いの、本当の自由につながるのではないでしょうか。」
「デンケン……。」
オルテガがあっけにとられた顔をしてデンケンを見た。
オルテガだけではなかった。
部屋にいた者のほとんどが、彼の演説に聞き入っていた。
「そこまで仰るからには、デンケン殿には考えがおありでしょうな。」
一人の神官が尋ねた。
デンケンは頷いた。
「現在のオルドスは修行所が一切の事を取り仕切っています。これを修行所の仕事と国の仕事に分けることです。人員も二つに分けます。さらに、国の扱う仕事を国内と国外のものに分けます。」
「それでは仕事が滞るのではないか。一つで済んでいるものが、三倍になるのだろう。」
「もちろん、働く者も増やします。現在、交易のためにテュエールへやっている魔道士は二組ありますが、これを一旦一組に減らします。自ずと交易から上がってくる収入は減りますが、暫くならもちます。彼らは他国の様子を見知っております。国外との折衝事にあたらせればよいと考えます。」
デンケンの言葉にはよどみがなかった。
「国内の仕事については、志願者を募ることを考えております。修行に訪れたものの、魔法を覚えられずに去っていく者もあります。彼らがオルドスに残る気があれば、良い力となってくれるものと思います。」
デンケンは皆を見回して言った。
「ふむ、ずいぶんと考えておられるのですね。」
神官たちはそれぞれ思案顔だった。
「しかしまだ具体的に決めてしまうのはどうですかな。今日初めて事の次第を知った方もあるのだし。」
一人が言った。
「確かにそうです。今日のところは持ち帰っていただいて、数日したらまた話し合いましょうか。」
オルテガが提案すると、神官たちは頷いた。
「このことについて、参加させたい者があれば次回連れてきてください。皆の力を合わせて実現させましょう。」
「わかりました。」
神官たちはぞろぞろと立ち上がった。
オルテガはデンケンに歩み寄り、声を掛けた。
「すばらしい演説でした。あれを一晩で考えたのですか。」
言われたデンケンは恥ずかしそうに顔の前で手を振った。
「とんでもない。夕べ眠れなかったのは本当ですが、筋道の通ったことなど何も思いつきませんでした。ただただ私は、オルドスが国になるのに失敗してはいかんと思ったのです。」
「いや全くすばらしい意見だった。デンケン殿、その話術でまつりごとの方を取り仕切っていただきたいものですぞ。」
横を通った神官がデンケンの袖に触れて、告げていった。
デンケンは照れくさそうにそれに頷き返した。
「皆、国になることは喜んでくれましたな。」
デンケンがオルテガに言った。
「そうですね。」
オルテガが答えた。
「すごい話し合いだったな。」
アヴィンが二人に近づいて声を掛けた。
「アヴィンさん、何だか見苦しいところを見られてしまいました。」
「そんなことないさ、デンケンさん。口を挟むところがなかったよ。オルドスは本当に皆に慕われているんだな。」
「そう言っていただけると嬉しいですな。いやはや、昨日までの憂鬱が、どこかへ飛んでいってしまったようですよ!」
デンケンが愛想を崩した。
「私たちも休息としましょうか。」
オルテガが言った時だった。
いきなり、オルテガの目の前の空間がゆがんだのだ。