カヴァロ解放
day0-2
バルタザールの勧めに従って、アヴィンとマイルは出で立ちを変えることにした。
上着と腰当て、それにバンダナを取ったアヴィンは、一見普通の街人だった。
バルタザールが見違えたという顔をした。
「街の人の格好をしていると、剣の達人には見えませんね。」
「まあな。でも、本当は危険なんだぞ。自分を守る装備をはずしているんだからな。この格好で戦えるのはせいぜい小競り合いまで。もし熟練兵に本気で剣を向けられたら、こっちは一撃でやられてしまう。」
「自分の武器がないっていうのはとても不安なんだよ、バルタザール。」
マントを取り、ブーメランを袋に入れて手に持ったマイルが言った。
「手に持っていてもダメなんですか?」
「ダメダメ。背中のこの位置にないと安心出来ないよ。」
「そうなんですか。無理をお願いしてしまいましたね。」
「ヌメロス兵が寄せ集めの民間兵でなかったら、聞けなかったけどな。」
アヴィンが言った。
実際には正規兵も多くいるとわかっていた。しかし、この青年に無用な心配を掛けたくはなかった。
「俺たちも、あまり目立ってヌメロス軍に目を付けられたくないからな。正面切って戦うときまでは何とか身を守るさ。」
「バルタザール!」
気の強そうな若者が部屋に入ってきた。包帯で片腕を肩から吊っている。
「探していたんだ。ウェンディたちが話があるそうだ。・・・誰だいこいつら。」
「僕たちに力を貸してくれることになった傭兵さんだ。アヴィンさんとマイルさん。」
「へえ、傭兵ね。」
若者は遠慮なく二人をじろじろ見つめた。
アヴィンが何か言いたそうにするのを、マイルが腕を引っ張って止めた。
「失礼だぞ、ヴォルフ。ごめんなさい、アヴィンさん。彼はヴォルフ、『カヴァロ三重奏』の一人のバイオリニストです。」
「木人のおかげで今は役立たずだけどな。」
ヴォルフは包帯の巻かれた自分の腕を、もう片方の手でそっと押さえた。
「あの木人、ヌメロス軍が自分で仕掛けたんだそうだ。奴ら、俺たちを騙してでかい顔をしやがって。カヴァロの市民に武力がないからって甘く見てやがる。傭兵さん、期待してるぜ。一緒に奴らを叩きのめそうぜ。」
「なかなか過激なんだな。」
そこが気に入ったとばかりにアヴィンが話し掛けた。
マイルが横でため息をついたのには気付かない。
「大事な腕をこんなにされたんだ。アリアのおかげで痛みは引いたが、音楽家の腕に戻るかどうかはまだわからないからな。この怒りをヌメロスにぶつけでもしなきゃ、やってられないよ。」
アリアという単語に、アヴィンの目が細められた。
「ウェンディたちが呼んでいるんだって?」
バルタザールが思い出して言った。
「ああ、そうだった。来てくれよ、あの甘チャンたちになんか言ってやってくれ。」
ヴォルフはかんべんならないといった顔で言った。
「何を言い出したんだい? じゃ、僕はこれで失礼します。お二人は一度宿へ行かれてはどうですか?この劇場を南に行けばすぐわかりますよ。」
「そうさせてもらうよ。街の様子を見て、またこっちに来るからね。」
「ではまたあとで。」
バルタザールはヴォルフと一緒に出て行った。
「僕たちも行こうか、アヴィン。」
「ああ。街の様子も知りたいが、俺は腹が減った。」
「僕もだ。朝からずっと食べていないものね。」
「聞いて、バルタザール。ヴォルフったら、私とテオドラの提案を聞いてもくれないのよ。」
歌姫ウェインディが口を尖らせて言った。
「なんだい?提案って。」
「ヌメロス兵の戦闘意欲をそぐ提案よ。私たちでヌメロスの歌を披露するの。ヌメロスの兵隊も、故郷に家族を残して遠征してきているのよ。平和になりたい気持は同じだと思うの。子供の頃に聞いた歌や、流行歌を歌うのよ。」
「でもな、連中は武力でカヴァロを押さえつけているんだぞ。そんな甘っちょろい作戦で奴らが改心すると思っているのか?」
「それは、劇的な効果はないでしょうけれど・・・。ヴォルフ、冷たいのね。」
「俺は本当のことを言ってるんだ。」
国際劇場の舞台の控え室。カヴァロの誇る演奏家『カヴァロ三重奏』のバルタザール・ヴォルフ・テオドラ、そして『歌姫』ウェンディの4人はテーブルを囲んで話し込んでいた。
「まあまあ、落ち着いて。ウェンディの言うことにも一理あると思うよ。ヌメロスの司令官や士官たちはともかく、普通の兵隊たちはどんな戦いかも知らずに狩り出されているんだ。カヴァロに駐留していても、街の人の目は冷たくなっていくし、それで心が落ち着かなくて昼間から飲んだりするんだよ。」
「ったく冗談じゃないぜ。」
「でも、それってチャンスだわ。」
テオドラが言った。
「私ウェンディと同感よ。今、ヌメロス兵は不安にさいなまれていると思うの。こんな時だから、故郷のことを思い出したら、きっと軍役なんて放り出したくなるわ。」
「私、ヌメロスの子守唄なども学んでいてよ。兵隊さんを惹きつける自信はあるわ。」
ウェンディが言った。決して通り一片の流行歌手ではないのだ。ヴェルトルーナのどこへ行っても恥をかかないだけの基礎を身に付けている。
「私もよ。祭りで奉納する楽曲や民謡も、レパートリーを持っているわ。」
テオドラも請合った。それを聞いて、ヴォルフも負けじと言った。
「そういうことなら、俺だって。・・・また、アルトスに演奏してもらわなきゃならないけどな。」
「まあ、私が言っていたときには、絶対反対だって譲らなかったくせに。」
ウェンディがすかさず言い返した。
「ば、馬鹿言うなっ!」
ヴォルフは一人で赤くなった。
「さっきはただ、その、虫の居所が悪かっただけだ。」
「僕もウェンディの案に賛成だな。ヌメロス兵だって人間だ。ふるさとが恋しくなるに違いないよ。そんなにすぐに効果は出ないかもしれないけど。でも、僕たちがするべき事だと思う。」
バルタザールが賛成すると、もう異論を唱える者はいなかった。
「僕たちの音楽でカヴァロに平和を取り戻すんだ。さっそく市長さんに相談に行こう。」
四人はデミール市長とメリトス女史のもとを訪れた。
バルタザールとウェンディが、代わる代わる自分たちの案を説明した。二人の意見を聞き終わると、デミール市長は言った。
「うむ。ヌメロス兵も同じ人間だ。歌や演奏が、彼らに正義を呼び戻させてくれるかもしれん。だが、相手は規律に従って行動する軍人でもある。それは忘れてはいけないよ。」
デミール市長は四人に諭すように言った。
「・・・それに、どこで演奏をするのだね? もう一度この国際劇場に呼ぶ事は出来ん。危険すぎる。向こうも警戒してくるだろうしね。」
「やはり酒場や、食堂や、市庁舎の前の広場や・・・、兵士が仕事を離れて、じっくり聞いてくれる所が良いと思います。」
バルタザールが答えた。
「ウェンディ、そんなところではお客との距離がなさ過ぎるわ。あなたにもしもの事があったら大変よ?」
メリトス女史がクレームを付けた。ウェンディは唇を噛んだ。
「わかっていますわ。でも、何もせずに手をこまねいている事は出来ません。慰問だという事にすればヌメロス軍も文句が言えないでしょうし、あちらの楽曲を演奏する理由にもなりますわ。」
ウェンディは折れなかった。メリトス女史が困惑顔をした。
「昼間はともかく、夜は酒場の中に、こちらで頼んだ人を送り込んでおけば良いんじゃないでしょうか。」
バルタザールが言った。
「例の傭兵さんの事?」
「ええ、そうです。」
「傭兵?」
テオドラが誰にともなく聞いた。
「ああ。フォルト君たちがカヴァロを脱出するのを手助けしてくれた傭兵さんだ。メリトスさんの宿に滞在して、僕たちに協力してくれる事になった。」
「まあ、そうなの!それは頼もしいわね。」
ウェンディが聞きつけて、ぽんと手を打った。そんなしぐさをすると、たとえようもなくかわいらしかった。
「傭兵も、もう少し人数が集まれば街の出入り口を取り戻せるでしょうにね。頼もしいとはいえ、二人では何かしてもらうには少なすぎるわ。」
メリトス女史は先程の若い傭兵を思い浮かべて言った。
「彼らに頼ろうとするからそう悲観的になるんだろう。あくまで私たち市民がこの街を解放するのだ。傭兵は戦力に過ぎないのだよ。」
「わかりますわ。でも、どんな形でも良いから、早く解決して欲しいんです。」
「時間をあせってはいけないんじゃないかね、メリトスさん。時間をあせると、強い力が欲しくなる。しかし、我々の持っているのは弱い力だけだ。それでも、数多く集めれば強い力に匹敵するだろう。」
デミール市長は穏やかな声で言った。
「ただ、それには時間が要る。歌姫ウェンディの提案には、ヌメロス兵に訴える力だけでなく、我々を一つにまとめてくれる力もあると思うのだがね。」
「え、ええ。」
メリトス女史はびっくりしていた。
「失礼ですが、市長、貴方がそんなにまっとうな事をおっしゃるのを久しぶりに聞きましたわ。先の選挙のとき以来じゃないかしら。」
「何をおっしゃるやら。私だって自分の力の生かし所は心得ているつもりですよ。」
「市長さん、じゃあさっそく酒場に協力を頼んで良いですか?」
バルタザールが尋ねた。
「うむ。傭兵さんにも頼んでみなさい。くれぐれも、危険のないようにな。」
デミール市長が言った。メリトス女史がすかさず言った。
「私のところの酒場を提供するわ。ヌメロス兵もよく来ているようだし。それに、少しでもウェンディを安心出来るところに出したいのよ。構わないでしょう?みんな。」
「ありがとう、メリトス社長。私、精一杯歌いますわ。」
歌姫ウェンディがにっこりと微笑んだ。
「アヴィンさん、マイルさん。こちらへ来てください。」
二人が国際劇場に戻ると、バルタザールが待ち構えていた。
「さっそく二人にお願いしたい事が出来ました。」
バルタザールはいきさつを話しながら、二人を控え室に案内した。
「こちらがアヴィンさんとマイルさんだよ。国際劇場の守りを手伝ってくれている。僕たちの夜の演奏の警護もお願いしたよ。」
「まあ、二人ともずいぶんお若いのですね。」
ウェンディが言った。
実際にはウェンディの方がもっと若いのだろうが、嫌みではなく、純粋に感心している表情だった。
「そっくり皆さんに同じ言葉を返してもいいかな。こんなに若い人がこの劇場の看板をしょっているとは思わなかったよ。」
マイルが四人に言った。実際どっちもどっちであった。皆、二十歳そこそこの若者たちなのだから。
「国際劇場の舞台を目指して、たくさんの人が努力していますからね。私たちだって気を抜けばあっという間に抜かれてしまうんですよ。」
テオドラが言った。
「それで、君たちの警護をするんだって?」
アヴィンが尋ねた。
「ええ・・・。」
カヴァロ三重奏と歌姫ウェンディは、先ほど市長に訴えた事柄をもう一度アヴィンとマイルに話して聞かせた。
「メリトスさんの酒場で演奏と歌を披露するんです。その時、酔った兵士などに絡まれないように警護していただきたいんです。」
「俺も守りに付くつもりだけど、あまり役に立てそうにないからな。傭兵さんが頼りなんだ。」
ヴォルフが言った。ヴォルフは一度受け入れたら信じてくれる性格らしい。アヴィンたちを見る目には先程にはなかった信頼感が漂っていた。
「わかった。俺たちもあそこには世話になるしな。それで、いつからなんだ?」
アヴィンが言った。四人は顔を見合わせた。
「一度は打ち合わせておきたいわ。舞台の用意もあるでしょ。」
「酒場の様子も見たほうがいいわね。」
「一、二日後かな。」
バルタザールが言った。
「それじゃ、決まったら教えてくれよ。俺たち、昼間は国際劇場の周囲を守っているから。」
「わかりました。よろしくお願いします。」
「ああ。」
アヴィンとマイルは控え室を出て、国際劇場の警備についた。
入り口はもちろんだが、この劇場の背後には、広場を挟んで、ヌメロス軍が占領している市庁舎の建物がある。ヌメロス軍に変わった動きがないかどうかを見定めるのも、大事な仕事になりそうだった。
二人は時間を決めて国際劇場の周囲を見回ることにした。
「なあ、マイル。あの連中の演奏会の提案、どう思った?」
アヴィンが言った。
「どうって?カヴァロの人らしい考えだと思ったよ。間違ってもアヴィンはあんな事思いつかないよね。」
マイルが混ぜっ返した。
「冗談は抜きでさ。・・・そんな時間のかかる事をして、効果があるのかな。」
「多分、彼らには自信があるんだよ。」
マイルが言った。
「人の心に染み込んでいくような演奏や歌い方が出来るんだよ。僕たちだって、本当に素晴らしい歌声を聞いたときには聞き惚れるじゃないか。」
「そうかな。」
「剣を取るのばかりが戦いではないんだよ。彼らにとっては、自分たちの持つものが武器なんだと思うよ。」
アヴィンは答えなかった。マイルはアヴィンの横顔を見た。
アヴィンは自分の思考の中に埋没していたが、やがて顔を上げ、マイルを見た。
「自分の考えにしがみついてちゃいけないな。わかったような気がするよ。もっとも、俺が扱えるのはやっぱり剣だけどな。」
「アヴィンはいいよ、自分の武器が使えて。僕は心細くて仕方ない。」
マイルは腰に差した小型の剣をつかんだ。
「俺が守るって言っただろ、安心しろよ。マイルだって、自分を守るくらいには剣を使えるんだから、無茶をしなけりゃ大丈夫さ。」
「そういう問題ではないんだよ。君も剣をはずしたらきっとわかるよ。」
マイルは宿に置いてきた自分のブーメランを思った。こんなに不安な気持ちになるとは思わなかった。
「僕の背中はとっても頼りになる背中だったんだなぁ。」
「何だって?」
「何でもないよ。」
マイルはアヴィンに笑い掛けた。
アヴィンに心配はかけない、とマイルは思った。決して背後の心配はさせない。それが自分の役目だ。
マイルはもう一度、剣の柄を握りしめた。
【アヴィン】