カヴァロ解放
day4-2
ウェンディたちが他の公演で忙しくなってしまったため、酒場の公演は中止になった。
見張りの仕事がなくなったので、アヴィンは久しぶりに酒を味わっていた。それも喉が焼けるような強い酒だ。
マイルはこれには付き合わず、果実のジュースを飲んでいた。
アヴィンが酒を飲む理由ははっきりしている。
明日の夜はどこかの貴族の屋敷で、苦痛を押し殺したまま何時間も、社交辞令を交わさなくてはならないのだ。これが飲まずにいられようか。
「アヴィン、ちょっと飲みすぎじゃないかい?」
3杯目を頼んだあたりで、マイルが口を出した。
「・・・そうかな。」
アヴィンはいいかげんな返事をした。声はまだしっかりしている。だが、反応の鈍さは明らかに普段と違っていた。
「明日も朝は見張りがあるんだよ。酔いが残らないようにしないと後が辛いよ。」
「大丈夫だよ。」
アヴィンは赤味の差してきた顔でにっと笑った。
「俺、だいぶ強くなったんだぜ。」
『そんな事をわざわざ言うのが酔っ払いの証拠じゃないか。』
マイルは心の中でつぶやいたが、口にはしなかった。
「つぶれたら放っておくからね。程々にしてよ。」
「わかってるって。」
「なあ、マイル。」
アヴィンが呼びかけた。
「なに?」
マイルはアヴィンを見た。
アヴィンはしらふなのか酔っているのかわからない口調になっていた。
「昨日、言ってただろ? カヴァロの街を救うのは荷が重いって。」
「ああ、あれ。覚えていたの? なんか、気の弱い事を言っちゃったね。」
マイルが自嘲気味に答えると、アヴィンは首を振った。
「無理もないと思うんだ。俺だって、深く考えないようにしているだけで、途方もなく大きな事だってわかってる。どうせ、そんなに広い目で状況を見る事なんて出来ないしな。」
「うん・・・?」
アヴィンが何を言おうとしているのかわからなくて、マイルは首をかしげた。
「この街には、腕っ節の強い人は少ないけどさ。頭の方で戦う人はいないのかな。」
「どうだろう。芸術家とは違うよね。」
「どっちかと言えば学者かな。賢者・・・なんてのはこの世界にはいないか。」
「アヴィン。」
マイルがやんわりたしなめた。誰が会話を聞いていないとも限らない。ほかの世界から来た事をほのめかすのは禁句だった。アヴィンはとっさには気付かず、マイルの厳しい顔をしばらく眺めてからアッと口をつぐんだ。
「悪い・・・ついうっかり・・。」
「もうお酒はやめてね。」
「ああ。」
アヴィンはグラスをテーブルに置いた。琥珀色の液体はもう殆ど残っていなかった。
「ええと、何を話していたんだっけ。賢者・・学者か。学者はこの街にいないかな。ヌメロスの行動を予測したり、俺たちに効果的な戦術を教えてくれる人。」
「有名な人がいたら、こんな非常時にはとっくに祭り上げられていると思うけど・・。そういう話は聞かなかったね。明日、街の人に聞いてみようか。」
「全然聞かないよな。俺もさっぱり聞いた事がない。お、丁度いい。」
アヴィンは横を通ったウェイトレスを呼び止めた。
「学者? そうねえ、あんまり聞かないわ。カヴァロには大きな学校もないし、集まってくるのは音楽を志している人ばかりよ。」
「市庁舎で働いている人は、どういう人たちかな。やっぱりたくさん勉強をした人?」
マイルが尋ねると、ウェイトレスはけらけらと笑った。
「そんな事ないわよ。この街の普通の人よ。そりゃあ、外交官になる人は頭が良い人だと思うけど。」
「そうか。」
アヴィンががっかりした様子で言った。
「役に立たなかった?」
「ううん、役に立ったよ。ありがとう。」
マイルはにこやかに礼を言った。
ウェイトレスが行ってしまってから、二人は肩をすくめた。
「いないかな。」
「望み薄かな。でも一応他の人にも聞いてみるよ。あの娘が何でも知っているわけじゃないだろう。」
「そうだな。」
アヴィンは指を組んで軽くあごを乗せた。そのまま自分の考えの中に沈んでいった。マイルはのんびりと果汁をすすりながら、アヴィンが現実に戻ってくるのを待っていた。
カヴァロは高い城壁で四方を囲まれていた。
北側は高架水路の取り入れ口が全体に広がり、その先は山地だったので出入り口はなかった。
東側は一番にぎやかな出入り口があった。観光名所のウィオリナ湖に続いており、ポルカの港町からの往来もひっきりなしだった。
西側の出入り口は、一旦東側から高架水路の取り入れ口へ上がって街を迂回し、西側へ降りるようになっている。メルヘローズの第二の都市エキュルに続いているが、いきなり商店街に入るわけでもなく、どちらかといえば寂しいたたずまいだった。
南側は沼地へ続く出入り口だった。この数十年というもの、沼地の奥では雷が多発し、おいそれと人の近づかない場所となっていた。
しかし、沼地から海に続いているため、ヌメロス帝国が港を作るために調査したいと申し出て、しばらくの間テントを張っていた。船を使えば、外国への最短路となる出入り口であった。
真夜中。カヴァロの街には、音を立てて雨が降っていた。
街の南側の出入り口に人影があらわれた。
「誰だ。」
入り口を見張っていた兵士が聞いた。
「本国から来たんだ。伝言を預かっている。」
雨の滴る兜を通して、まだ若い声が聞こえた。同じ母国の鎧に身を包んだ兵士であった。
「おお、ご苦労様。本国はどうだい?」
見張りの兵士は本国と聞いたとたんに愛想を崩した。
「相変わらずだ・・・変わっていない。」
若い兵士は、押し殺すように言った。当番兵は、何と答えてよいのか迷って口を閉ざした。
「こんな遠国での勤務、ご苦労だな。たまには景気を付けてくれ。」
兵士が、当番兵の胸に固い物を押し付けた。受け取った兵は驚いて叫んだ。
「プカサスの銘酒じゃないですか。いいんですかい?」
「本国を離れているお前たちへのねぎらいだ。だが、ゼノン司令のお耳には入れるなよ。ここでさっさと証拠を消してしまう事だ。わかったな。」
「へへへ。承知しました。ご迷惑はかけませんや。さあどうぞお通りください。」
「うむ。」
兵士はカヴァロへ入った。
人通りのないカヴァロの街中を兵士は歩いていった。
足音が響くのを嫌うのだろうか。街路に出来た水溜りを避けて歩いていく。
街の中央、国際劇場の正面まで来て、兵士は自分の周りを確かめた。あたりに誰の目もない事を確認し、兵士は道を左に折れた。ゼノン司令のいる市庁舎とは異なる方向である
足音を忍ばせ、兵士は歩いた。よくよく注意してみる者があったら、兵士がはやる心を押さえてわざとゆっくり歩を進めている事に気付いただろう。
街区の区切りともなっている、水路に掛かった橋を渡るたびに、兵士はあたりに気を配り、慎重に進んでいった。
カヴァロの西街区。
国際劇場から横へ入ったところに、ヌメロス帝国の大使館があった。
「カヴァロ駐在大使付き護衛兵ロッコ、ただ今戻りました。」
建物の入り口で申告した兵士は、直ちに大使の部屋に通された。
大使が起きだして来る間にも、雨水を拭うための布が与えられ、部屋には暖を取るために火が入れられた。
ロッコと名乗った兵士は、兜を脱いで小脇に抱えた。そうして見ると、まったく普通の若者であった。赤茶の髪を真っ直ぐに切りそろえ、ゼノン司令の兵たちと違って、自分に誇りを持った顔をしていた。
「戻ったか、ロッコ。」
駐在大使が部屋に入ってきた。ロッコが敬礼をする。
「は。ただ今戻りました。カヴァロを発ったいきさつはご承知と存じますが、何の連絡も出来ず申し訳ありませんでした。」
「あの方は無事にお帰りになったか?」
大使はまずそれを聞いた。それを聞くまでは安心できないという顔つきだった。
「はい。ゲザルクまで同道いたしました。あちらにも支持者があるとおっしゃって、そこで別れて参りましたが。」
「そうか。無事に本国へ渡られたのだな。」
大使は安心して椅子にどさりと腰を降ろした。
「我々には、ここへ戻り、街の解放の手伝いをするようにとおっしゃられました。船に乗っている間に、ご自分の事を・・・我々に話してくださいました。」
ロッコの目に、熱っぽいきらめきがあるのを大使は見た。
「そうか。では、私がお前をあの方に付けた理由もわかったな。」
「はい。大使はパルマン隊長を支持しておいでなのだと理解いたしました。」
大使はゆっくり頷いた。
「私も、あのように素晴らしい方の元に従事できる事を、誇りに思っております。」
「わかってくれて嬉しいよ、ロッコ。」
「大使宛に、これをお預かりしてまいりました。」
ロッコは懐から一通の手紙を出し、大使の机に乗せた。
大使が手紙を開き、じっくり目を通す間、ロッコは考えを巡らせていた。
『あの街を解放させてやってくれ。』
パルマン隊長が、本国で別れるときに言った言葉だ。
ゼノン司令のメルヘローズ侵略作戦は、カヴァロが落ちない限り成功しない。
新たな木人兵部隊が海を渡る前に、カヴァロの街を救ってやって欲しい。
幸い、市長をはじめとする有力者たちと面識を持つ事が出来た。
私の口添えがあれば、信用してもらえるだろう。
・・・そう言って、ロッコと三人の仲間の身分を証明する手紙をしたためてくれたのだ。その手紙は、明日、仲間が持って来る事になっている。カヴァロの状況がどう変わっているかわからなかったため、パルマン隊四人全員が一度に街に入るのを避けたのだ。
『あいつらに会ってもらえるように、話をしないとな。』
ロッコはそう思った。
大使は長いこと手紙を見ていた。渡した封筒の厚さからすれば、たいした分量ではないはずだった。しかし、大使はなかなか顔を上げようとしなかった。
やがて両手を放心したように机に置いた大使は、天井を見上げてつぶやいた。
「パルマン・・・エクトル様。ヌメロス国の栄光と平和を再び我らに!」
そっと目を伏せた大使の目尻に光るものがあった。
「嬉しい事だ。あの方はやっと、ご自分の意思でヌメロスの未来を考えてくださっている。」
大使は小さいながらも喜びのあふれそうな声で言った。
「今まで、皇帝に恐れをなしてか、それともあきらめてしまわれたのか、我々の声に耳を傾けてくださらなかったものを。」
それは、あの人のおかげだとロッコは思った。
清楚で、凛とした態度を崩さぬ女性。この世のものとは思えない調べを紡ぐ人。
彼女と出会ったことで、パルマン隊長は己の心と向かい合う事になったのだ。
行動を共にし、悩み苦しむ姿、今の故国を憂う姿を見てきた。
そして隊長は決断したのだ。あの人を、アリアさんを守ると。
「ロッコ。ゼノン司令はパルマン隊長とアリアという女性、それにアリアを逃がした旅芸人の一座を手配して探している。」
大使が言った。ロッコは大使の次の言葉を待った。
「お前は手配書の中には記されていない。だが、駐屯軍の中にいくらかは見知った顔もいるだろう。行動には気を付けるように。私は公けにはお前を守ってやれなくなってしまった。」
「構いません。ゼノン司令の連れてきた兵士は、こう言ってはなんですが、素人ばかりです。街の出入りの監視も型通り以上のものではありません。」
「ふむ、そうか。」
大使はうなづいた。
「あの。大使に二つお願いがあるのですが。」
「何だね?」
「パルマン隊長が例の地質調査に同行させていた三人の隊員が、私と同じ命令を受けて今は湿地帯で待機しています。一度彼らに会っていただけたらと思っております。もう一つは、私が彼らと共に、カヴァロの開放作戦をとる事を認めていただきたいのです。」
ロッコは一気に言った。もし大使が、駐在隊員としての職務に戻るように言ったら、軍を辞めてでも三人と行動を共にしたいと思っていた。大使はまるで、そんなロッコの気持ちがわかっているようだった。
「いいだろう。ゼノン司令は、肝心のアリアに逃げられてしまったからな。意味もなくこの街を締め上げるより、もっと大きな獲物に関心を移しているようだ。この街の連中も見張りを立てて市長らを守っている。私が見たところでは膠着状態だ。」
「は・・・。」
「開放作戦をとるとしたら良い時期だと見るよ。その三人はいつ来れる?」
「明日にでも。」
「明日は・・・今ごろの時間でいいかね? こんな時に自宅でパーティを開く酔狂な貴族がいてね。ゼノン司令も出席されるので、私もご相伴せねばならん。今頃ならばここに戻っていると思うが、あるいは待たせてしまうかもしれんがな。」
「お気遣いなく。念のため、私も日中は街の外に潜伏していましょう。」
「うむ。」
大使は立ちあがった。
ロッコは敬礼し、きびすを返した。