カヴァロ解放
day4-1
「アヴィン君、マイル君。」
今日もいつもの通り国際劇場で見張りをしていた二人に、声がかかった。
声の主を探すと、きびきびした歩調で歩いてくるメリトス女史が目に入った。
「こんにちは。この間は、ウェンディを守ってくれたそうね。御礼がすっかり遅くなってしまったわ。どうもありがとう。」
女史が頭を下げた。
「いや、俺たちは頼まれた事をしただけだ。」
アヴィンが慌てて言った。
「そうですよ。御礼されるようなことはしていませんよ。」
マイルも謙遜する。メリトスはかぶりを振った。
「明日の夜、招待されたお屋敷で『星屑のカンタータ』を披露する事になっているのよ。万一のことがあったら、それこそ大変だったわ。アヴィン、マイル、本当にありがとう。」
メリトスが重ねて言った。
そこまで言われたら、感謝は素直に受けるべきだろう。
アヴィンとマイルは顔を見合わせてにっこりと笑った。
「あなたたち、『星屑のカンタータ』はまだ聞いていないでしょう? 明日、半日身体を空けて聞きにいらっしゃい。」
メリトス女史は貴族の別荘で開かれるという演奏会の招待状を取り出した。
「ウェンディとテオドラからも頼まれたのよ。あなたたちに招待状を出してくださいって。たくさんの人が来るパーティだから、気楽に来てちょうだい。運が良ければ、私たちが戦っている相手を見ることが出来るかも知れないわよ。」
「えっ、ヌメロスの連中も来るんですか?」
マイルが尋ねた。
メリトスは話題にするのもいまいましいという口調で言った。
「貴族のような財産持ちの所には、足繁く通っているみたいね。ヌメロス軍にとって『星屑のカンタータ』はただのBGMみたいなもので、本当の狙いは貴族のお財布なのよ。もっとも、こちらもそれを逆手にとって、交渉に持ち込みたいと思っているんだけどね。」
「演奏会と言いながら、実際の目的はヌメロスとの駆け引きですか?」
「こちらは演奏が主目的だと思っているわ。最初の依頼も、カヴァロにいられる間に演奏をどうしても聞きたいって言う・・・貴族らしいわがままな依頼だったんですもの。ヌメロスのゼノン司令が来ると聞いて、少しお願い事はしたけれどね。」
「確か、冷酷そうな目つきをした男だったな。」
アヴィンはゼノン司令の姿を脳裏に描こうとした。
一度だけ姿を見ている。国際劇場へ侵入するときだ。
「ヌメロス兵は、たくさん来るんですか?」
マイルが聞いた。
「いいえ。ゼノン司令と、側近だけでしょう。」
「どうする、マイル。」
アヴィンが聞いた。目つきでそれとなく、敬遠していた。
「どうするも何も、ウェンディたちにお願いされたのに、断る訳ないじゃないか。」
「う・・・。」
裏切り者、とアヴィンの目が言っていた。
その視線は無視して、マイルはメリトスから招待状を受け取った。
「時間は書いてある通りだけど、午後になったら三々五々人が集まってくると思うわ。あなたたちの事を知りたがっている人も多いから、もみくちゃにされたくなかったら、ゆっくり来る事ね。別荘の場所がわからなかったら酒場のバーテンに聞いてね。じゃ、明日を楽しみにしているわ。」
「わかりました。ウェンディたちに、楽しみにしているって伝えてください。」
「ええ。あの子たち喜ぶわ。」
メリトスは笑顔で去っていった。
「・・・・・・」
アヴィンが不機嫌そうに黙り込んでいるので、マイルは思わず吹き出しそうになった。
「アヴィン、そんな顔するなよ。」
「一緒に断ってくれたっていいじゃないか。」
「だって、僕はとっても興味があるんだもの。アヴィンには悪いと思うけどさ。」
「ちぇっ。こっちの気も知らないで。」
アヴィンはマイルの手から招待状を奪い取った。
「ティータイム・・から、演奏会、ディナー・・・かなり夜遅くまでかかるんじゃないのか、これ。」
「へえ。そうだね、全部こなすとしたら、かなりのボリュームがありそうだ。」
マイルはアヴィンから招待状を奪い返し、大事に懐へしまった。
「俺、気が進まないんだけど・・・。」
「これも仕事だと思っちゃえよ、アヴィン。ゼノン司令が来るんだから、ヌメロス軍の動向の偵察だよ。」
「無茶言うなよ。正面切って・・・」
アヴィンは言いかけて慌てて周囲を見回した。
「正面切って、名乗れるわけじゃないんだからな。」
「たくさん人が来るなら、人ごみにまぎれて観察できるし、願ったりだよ。ヌメロス軍がどういうつもりでカヴァロを占拠しているのか。きっと、何か手がかりがつかめるよ。」
マイルは意気揚揚としている。
「参ったなぁ・・・。」
アヴィンはまだぼやいていた。
「もう。いつまでもつべこべ言わないの! さあ、見張りに戻った戻った。」
マイルはアヴィンの背中を押して見張りにつかせた。
アヴィンはため息をついて空を仰いだ。
まるでアヴィンの気持ちを代弁するかのように、空はうっすらと雲に覆われていた。
民家の建ち並ぶ街区に、ひときわ立派な屋敷があった。
国際劇場からも程近い。ブロデイン国のある貴族の別荘であった。
ここは、他国軍に制圧されているとは思えぬ活況を呈していた。
数日前からひっきりなしに人が出入りして、いろいろな物を運び込んでいた。
物資の流通が制限されているにもかかわらず、食材も、酒類も豊富であった。
屋敷の門前には二人のヌメロス兵士がいて、出入りする者をチェックしていた。
メリトス女史は、ほかの者と同じようにチェックを受けて屋敷に入った。
老貴族は、音楽好きであった。
カヴァロに別荘を構えたのも、国際劇場に度々足を運ぶためであった。
今回も、『星屑のカンタータ』の最初の公演を見るためにカヴァロ入りしていて、災禍に巻き込まれたのであった。
メリトス女史は、まっすぐ公演の開かれる大広間へ向かった。
音合わせをしている音が、玄関先から聞こえていた。
「みんな仕上がりはどう?」
大広間に集まった音楽家たちに声をかける。
カヴァロ三重奏のバルタザール、テオドラ、ヴォルフ。歌姫ウェンディ。
そして、腕を痛めているヴォルフの代役、アルトス。
ソロのパートを受け持つ四人は、特に念入りに調整を続けていた。
そのほかの、まだ若き演奏家たちは、一通りの調整が終わり、引き上げるところだった。
「明日は昼前から入ってもらうわ。みんな今日は早く休むのよ。」
メリトスの掛ける言葉に、みんな素直に頷いていた。
元々、一大公演として練習を積んで来たものである。指揮者は太鼓判を押していた。
「メリトス社長、傭兵さんたちに招待状を渡してくださいました?」
ウェンディがよく通る声で尋ねた。
「渡してきたわよ。なんだか熱心ね、ウェンディ?」
メリトスが言い返した。ウェンディは口をすぼめて恥らう表情を浮かべた。
「親切にしていただいたのですもの。いけないとおっしゃるんですの?」
「一度かばったくらいで気に掛けてもらえるなら、命を投げ出す男が続出するぞ、ウェンディ。」
ヴォルフがからかった。
「失礼ね、ヴォルフ。」
「よしなさいよ、ヴォルフ。誰だって助けてもらった人には恩を感じるものでしょう?」
テオドラがヴォルフをたしなめた。
「そうだよヴォルフ。僕たちには今そんな事で喧嘩している時間はないんだからね。アルトス君が仕事へ戻るまでに、納得の行く演奏にしたいだろう?」
「もちろん!」
ヴォルフは旗色の悪いのを見て取って、バルタザールに賛同した。
「しようのない人たちね。アルトス君、調子はどう?」
メリトス女史は、ヴァイオリンを構えたアルトスに聞いた。
「はい、何とかやっています。出来ればもう少し、ヴォルフさんの意図した演奏に近づけたいです。」
「アルトス、ここまで来たら、俺の演奏にこだわり過ぎないほうがいい。力を込めすぎないように、自然に。お前の演奏の中に、俺の意図したことが織り込まれて出てこれば良いんだ。」
「はい、やってみます。」
「はじめの頃とずいぶん教え方が変わったわね、ヴォルフ。」
テオドラが言った。ヴォルフは照れ笑いをした。
最初のうち、鬼のように厳しい教え方をしていたのだが、思い出すと自分でも恥ずかしいらしい。
「アルトスは飲み込みがいいからな。な、アルトス。」
「ありがとうございます、ヴォルフさん。」
「その調子よ。さあ、それじゃ一回私に聞かせてもらえるかしら?」
メリトス女史が手近な椅子に腰掛けて言った。音楽家たちの顔が引き締まった。
バルタザールのピアノに合わせて、ウェンディの声が大広間に響く。
ヴァイオリンとチェロが重なリ、絡み合って、一つの音楽になっていく。
メリトス女史は満足そうであった。