カヴァロ解放
day6-2
ホテル・ザ・メリトスを出て国際劇場へ歩いて行くと、あちこちに街の人が出ているのが目に付いた。
「また、新しい手配書でも張り出されたのか?」
アヴィンは街の人の方へ近寄っていった。
「違うよアヴィン、ほら見て。」
マイルが町の人の向こう側を指さした。
「なんだ?・・うわ。」
アヴィンも気が付いて声を出した。街中を流れる水路が、濁った水を勢いよく流していた。それだけではない。普段は腕一本分は余裕のある水路が、今にもあふれそうな高さまで水かさを増していたのだ。
「一体どうして?」
マイルがつぶやくと、街の人が教えてくれた。
「上流の山にたくさん雨が降ったんだよ。いつもなら、山の調節機械を動かして街に流れ込む水の量を減らせるんだけど、今は街の外に出られないからね。」
「このままじゃ、大雨になったら浸水してしまうわよ。」
「何とか調節機械を動かす方法はないかしらねぇ。」
街の人たちは口々に言って、不安げに水路を見やった。アヴィンとマイルは顔を見合わせた。
「これからどんどんと不都合なことが溜まってくるかもしれないね。」
「ああ。・・・何にしろ急いだ方が良いって事だな。」
二人は国際劇場に急いだ。スタンリーたちに用事があることを伝え、見張りを任せて劇場の中へと向かった。
「ご無沙汰しています、デミール市長。」
マイルが言った。
「おお、傭兵さんたち。何の御用かな?」
デミール市長は、最初に会ったときと変わらない笑顔で二人を迎えた。
「もしも急ぎでなかったら、私が外出から戻ってからにしてもらえないかな? 急遽、ゼノン司令に直談判しなくてはならないんだ。」
「ゼノン司令に会いに行かれるんですか?!」
二人はびっくりした。デミール市長は予想通りの反応だったらしく、ニヤニヤと笑った。
「そりゃ、私がカヴァロの意思の伝達役だからね。夜の間に水路の水かさが上がってしまったんだよ。君たちも見たかね? あれを放っておくと、街が水浸しになってしまうんだ。しかも、一番ひどく浸水するのが市庁舎のブロックだと来ているんだよ! せっかく整えた庁舎が水に浸るなんて嫌だからね。・・いや、そうではなくて、市民の皆さんが困るからね。街の外の、水量の調節機械を動かしに行かせて欲しいと頼むのだよ。」
「そんな言い分、ヌメロスが聞いてくれるのか?」
アヴィンが尋ねた。
「わからんよ。だが、行かねば確実に浸水してしまう。いつもは絶妙な調整をしてカヴァロを水害から守っているのだ。その作業をしに、街の外へ行けるように頼むのさ。」
「市庁舎へは誰か付いて行くんですか?」
マイルが聞いた。
「いや、私と秘書で行くつもりだよ。」
デミール市長は言った。
「同行しますよ、僕たち二人が。」
マイルは思わず言っていた。
アヴィンも同じ意見だった。デミール市長もまた、カヴァロにとって大事な人だ。うかうかと敵陣に乗り込ませて、奪われるようなことがあってはならない。
「本当かね。それは嬉しいな。いや、頼もしい。」
デミール市長は本当に嬉しそうな顔で言った。後ろで秘書官が満面に安堵を浮かべていた。
市庁舎の前で、デミール市長は用件を伝え、会見を望んだ。
しばらく待たされた後、ゼノン司令が会見に応じることが伝えられた。
「お前たちはここで待っているんだ。」
市長と秘書に付いて市庁舎に入ろうとしたアヴィンたちを、門番が止めた。
「そうはいかない。俺たちは護衛だ。」
アヴィンが門番に言い返した。
「だめだ。」
門番が槍で道をふさいだ。
「その者たちも通していただきたいな。」
デミール市長が重々しい声音で言った。
「そ、そう言われても・・・。」
門番がひるんだ。威圧されるのには弱いらしい。
「では、一人ではどうだね? 何なら武器ははずさせよう。」
デミール市長が一転して猫なで声で言った。
門番は自分で判断できず、救いを求めるように庁舎の方を見たが、誰も彼に気付いてはくれなかった。
「おい、市長さん。」
アヴィンが慌てたが、デミール市長は余裕顔だった。
「君たち、悪いがどちらか一人ここで待っていてもらえないかね?」
そう言われて二人は顔を見合わせた。どちらが付いて行くか。決まってる。
「俺が行くよ。マイル、これ頼む。」
アヴィンは腰の剣を取ってマイルに預けた。
「お、おい、お前ら勝手に・・・!」
「では行こう。市長室だね?」
デミール市長は門番を無視して建物の中に入った。秘書とアヴィンが後ろに続いた。門番は唖然としていたが、何も手出しをしてこなかった。
三人を見送ったマイルは、門番の八つ当たりを受けるのを避けて、市庁舎前の広場で待つことにした。
「ゼノン司令、お時間を割いていただいてありがとうございます。」
デミール市長は丁寧に挨拶した。
「一体何事ですかな?」
ゼノン司令はいきなり用件を尋ねた。
『人を人と思っていないような奴だな・・。』
アヴィンはそう値踏みした。こういう人間が、アヴィンは大嫌いであった。
「先日の雨で、街に流れこむ水量が増えましてな。このまま放っておくとこの市庁舎が真っ先に浸水します。」
「ほう?」
ゼノン司令は片方の眉をぴくりと上げた。デミール市長の話を信じているようには見えなかった。
「街の外に、水量を調節する機械を置いてありましてな。それを動かしに人をやりたいのです。カヴァロの外に出させていただきたい。」
「場所を教えていただければ、私の手の者に操作させますぞ、市長さん。」
「いや、素人が簡単に扱える機械ではないのです。よくわかっている者を行かせたいのだが。」
「我々は皆さんを危険に合わせないために街道の入り口をお守りしているのですぞ。」
ゼノン司令は鷹揚に言った。アヴィンは後ろで聞いていて、腹が立って仕方なかった。
「では、機械のある場所まで護衛をお願いしたい。」
これ以上譲歩するつもりがないと、デミール市長は断固として言った。
「頑固ですな?」
ゼノン司令が睨みを効かせた。
部屋の中にいた司令付きの士官たちが緊張するのがわかったが、デミール市長はひるまなかった。
「市民を混乱させないのが私の務めですから。」
控えめな言葉だったが、ひたとゼノン司令を見据えて、一歩も譲らない構えを見せていた。ゼノン司令はむっとして答えた。
「・・・では勝手にされたらよかろう!」
「私たちだけで行って良いのですか?それとも、護衛を付けてくださるのですかな?」
デミール市長は念をいれて尋ねた。
「おい、街の外へ行くのに、誰か同行させろ。」
「はっ!」
士官の一人が背筋を伸ばして返事をした。
「感謝いたしますぞ、ゼノン司令。」
デミール市長は白々しく礼を述べた。
「おい、ワリス。市民が街の外へ出る。お前が護衛しろ。」
一行を従えてゼノン司令の部屋を出た士官は、兵士の待機部屋で一人の兵士を呼びつけた。
「街へ戻ってくるまでしっかり護衛するんだ。いいな。」
しっかりという所を思わせぶりに強調して、士官は命じた。
「了解。」
関心なさそうに答えた兵士に、アヴィンはぎょっとした。兵士の方も、アヴィンに気付いて表情をこわばらせた。あの、喧嘩沙汰になった兵士だった。
「誰が行くんだ? お前か?」
アヴィンに気付いた事を隠すように、ワリスは平静を装って尋ねた。
「機械の操作は、トムソンという者が知っている。それに傭兵さんも付いて行ってくれますな。」
デミール市長が答えた。アヴィンは気色ばんだ。
「あ、ああ。一人じゃ荷が重いだろうからな。俺、さっそくトムソンさんを連れて来ます。」
「何だ、これから集まるのか? どの出口から出るんだ?」
「西からです。」
デミール市長の秘書が、おどおどと答えた。
「じゃあ西の出口に半時間後だ。いいな、遅れたら許可は取り消すぞ。」
ワリスが横柄な口調で言った。
「アヴィン、首尾はどうだった?」
市庁舎から出てきたアヴィンたちに、マイルが駆け寄った。
「もちろん許可を取ったとも。」
アヴィンより先に、デミール市長が胸を張って答えていた。
「はは・・、そうですか。じゃ、さっそく調節に向かうんですね?」
「マイル、その事なんだが・・。」
アヴィンはマイルの腕を取って引っ張った。
そして、振り返ってデミール市長たちに言った。
「俺たち、トムソンさんを連れて西の出口へ行きます。後は任せてください。無事に済んだら連絡に行きます。」
「うん、よろしく頼むよ。」
「どうしたんだい? アヴィン。」
先を急ぐアヴィンに腕を取られたままのマイルが、小さな声で聞いた。
「あいつが・・・例のヌメロス兵が護衛に付いて来るんだ。」
「ええっ!」
マイルは驚いて叫んだ。
「・・・俺が付いて行くと、またこじらせちまうかも知れない。」
アヴィンが足を止めてマイルに言った。
「そうだね、僕が行った方が良さそうだね。」
「大丈夫か、マイル。」
押し付けてすまないといった顔で、アヴィンが尋ねた。
「大丈夫さ。」
マイルは心配そうなアヴィンに笑いかけた。
「ところで、機械の調節に行くのは、トムソンさん?」
「ああ、そうだ。一緒にカヴァロの西の出口に行けば、奴が待っているはずだよ。時間通りに来ないと街から出さないとか、偉そうな事を言っていた。」
「それじゃ急がなきゃ。」
二人は国際劇場に戻り、見張りをしていたトムソンに事情を話した。
「調節機械の所へ行けるのか!? 良かった、すぐに支度するよ。」
トムソンも水量の変化に気を揉んでいたらしい。そのまま準備に飛んでいった。
約束の時間に、マイルとトムソン、それに見張りのワリスが出発していった。
アヴィンは国際劇場の見張りに戻った。
デミール市長に話をするのは、マイルが戻ってからに延期してもらった。
今は、何事も起きないよう祈るばかりだった。
「やあ、アヴィン。」
不意に親しげに声を掛けられた。
アヴィンが驚いて見回すと、一人の若者が片手を上げて近づいてくる。
「昨日の・・・。」
アヴィンは途中で声を飲み込んだ。昨日、沼地へ行ったことは公に出来ないのだった。
「ちゃんと見張りをしているようだな。」
パルマン隊のロッコは、安心したように言った。昨日の目立つ制服ではなく、市民に見える服を着ていた。
「カヴァロのデミール市長にお会いしたい。取り次いでもらえないだろうか。」
ロッコは正々堂々と言った。
「何だって?」
何者かといぶかしんでいた街の人たちが色めきたった。
「おい、アヴィンさん。この人は何なんだ!?」
スタンリーが言った。アヴィンはなんと説明していいのかわからなかった。
「あんたたちを応援したいんだ。」
ロッコは街の人たちに言った。スタンリーたちは顔を見合わせた。困惑している様子だ。
「わかった。デミール市長に会えるかどうか聞いてくる。ここで待っていてくれ。」
アヴィンは答えた。
「頼む。」
ロッコは短く答えた。アヴィンはスタンリーにその場を任せ、国際劇場に入っていった。
アヴィンは再び市長室に入って行った。
「今度は何かな?」
デミール市長はアヴィンの顔を見て尋ねた。マイルやトムソンが戻るには早すぎる時間だ。市長の問いは尤もだった。
「この街の解放を手伝いたいと言う者が来ているんだ。市長さんに会いたいと言っているが、連れて来ても良いだろうか。」
アヴィンが言った。
「ほほう、誰かな? わざわざ私に面通ししておきたいと思うような人がこの街にいたかな。」
デミール市長は首をかしげた。
「街の人じゃないんだ。」
アヴィンは言った。
「ほう? では、足止めを食っている旅の人かな。」
「いや・・・。」
アヴィンは詰まった。パルマンの部下だと言ってしまえば、昨日沼地で出会ったことなども話さなくてはいけないかもしれない。そうすると自分の素性にもかかわってくる。だが、躊躇している余裕はない。アヴィンにとって、ロッコたちの戦力はこの上なく魅力的だった。
「・・ヌメロスの人なんだ。」
アヴィンが言うと、市長も秘書も息を飲んだ。
「どういうことかな?」
デミール市長が静かに言った。
「アリアさんがカヴァロを脱出したとき、彼女を救ったヌメロス兵がいただろう? あいつの部下だ。街の解放を手伝いたいと言っている。」
「君はその男と知り合いだったのかね?」
「いいや。ただ、カヴァロに滞在している間に、アリアさんを付けている妙な連中を何度か見かけていた。」
「市長、慎重になさった方が・・。」
秘書が言った。アヴィンを見る目に、先ほどまでなかった警戒心が見える。アヴィンは目をそらしたいのをこらえた。
「ともかく、会ってみようじゃないか。」
「市長!」
「この人たちに協力を依頼したのは私だよ。そのヌメロスの人を連れて来てくれるかね。」
「わかった。」
アヴィンはホッとして答えた。
「市長さん、はじめまして。パルマン隊のロッコです。今は来ていませんが、他に三名の仲間がおります。俺たちはパルマン隊長からこの街の皆さんに手を貸すように頼まれたんです。」
市長室に通されたロッコは、デミール市長に挨拶すると、二通の手紙を取り出した。
「これは、パルマン隊長から市長さんへの手紙です。」
一通を、デミール市長の前に置いた。
「そちらは?」
市長がロッコの手にあるもう一通の手紙に目をやった。
「まず、隊長の手紙を読んでください。」
「わかった。」
市長は手紙を広げた。
「・・・・・・」
さっと一読したデミール市長は、だが、なかなか顔をあげようとはしなかった。もう一度ゆっくり文面に目を通し、市長は手紙をたたんだ。
「ここに書いてある事は、真実かね?」
デミール市長はロッコに尋ねた。ロッコは深く頷いた。
「いや、わかった。ではあなたたちを同志として迎えよう。カヴァロの解放に手を貸していただきたい。」
「ありがとう、市長さん。では、こちらの手紙もお渡しできます。」
ロッコは手に持った手紙をデミール市長に渡した。市長は封筒を改めたが、どこにも差出人の名がなかった。市長は封を切った。
じっくりと手紙を読んで再び顔を上げたとき、デミール市長は政治家の顔になっていた。
「わかった。この手紙は、私が責任を持って預かろう。」
「よろしくお願いします。」
ロッコは安堵した。
「パルマン殿は、どうしている?」
「隊長は、単身ヌメロス本国へ戻りました。他にも大事なことがあると言って。この手紙は、船を下りられる際に託されたものです。」
「そうか。良い指揮官に恵まれて、君たちも働き甲斐があっただろう。」
「はい!」
「その調子でカヴァロにも手を貸して欲しい。先ほど会ったと思うが、傭兵を二名雇っている。他には市民の有志もここを守ってくれているが、膠着状態だ。」
「決着をつけるなら早い方がいいです。不満をヌメロスにぶつけましょう。街じゅうが怒ることが奴らを浮き足立たせると思います。」
「それでは一つ間違えると暴動になってしまうな。・・・早いうちに、皆で集まって対策を考える方が良いかも知れん。」
「私たちは、昼はヌメロス兵の目をのがれて隠れていますが、この宿でロッコに伝言してくだされば通じます。一日も早く、カヴァロに平穏が戻るように、頑張ります。」
ロッコは、連絡先の書かれたメモを差し出した。
「そうか。パルマン・・・もしやと思っていたが。」
一人になって、デミール市長はつぶやいた。
「成り上がりの皇帝を絶つか。」
部下の信任厚い隊長だと思っていた。懐の深い男だとも。そして、陰を持つ者だとも。彼の血筋を知ってそれらが隙間なく一枚のパズルにまとまった。
『あの若者がしかるべき地位に戻るなら、近郊の諸国にとって安堵となるだろう。』
無論、カヴァロを擁するメルヘローズにとってもだ。
『いよいよ、時が来たか。』
睨み合いの時間は終わったと、デミール市長の心が告げていた。