カヴァロ解放
day8-3
夜、ホテル・ザ・メリトスの酒場はウェンディの公演で大にぎわいだった。
それもカヴァロの人が大勢来ており、ウェンディはヌメロスの歌とメルヘローズの歌を交互に歌って観客に応えていた。
「なんか、気迫を通り越して殺気を感じるね、今日のウェンディは。」
マイルがアヴィンに漏らした。
「昼のことがあったからな。相当頭に来ているんだろう。」
アヴィンは答えた。
結局ウェンディもメリトス女史も会議が終わるまで戻って来なかったのだ。
決起の相談は、二人を抜いて進められた。
ウェンディ以外に反対を表明した者はなく、相談は大してもめる事もなくまとまったのだった。
三日後、市庁舎前の広場にて。
食糧事情の事を市民に知らせるのは、当日になってから。
おおよそのことが決まり、皆、はやり立つ心を抑えながら解散したのだった。
「家まで送ろうか?」
マイルは公演の終わったウェンディに声を掛けた。
「あらありがとう。これからの準備はよろしいの?」
ウェンディがつんとすまして言った。
「そう突っかからなくても良いじゃないか。」
アヴィンはムッとして言った。
「別に突っかかってなどいませんわ。アヴィンさんが勝手にそう思っていらっしゃるのよ。」
ウェンディも負けずに言い返した。
「二人とも、大人げないよ。」
マイルが間に入った。
二人はそれでもしばらくの間、睨み合っていた。
「マイル、俺がウェンディを送るから。」
アヴィンはそう言いながら立ち上がった。
「あら・・・。」
ウェンディは予想しない申し出に驚いたようだった。
「アヴィン?」
マイルも目を丸くした。
ウェンディを家に送る道で、周囲に気を配りながら二人は語り合った。
いつも口数の少ないアヴィンには珍しい事だった。
だが、どうしてウェンディと話したいと思ったのか。
それはアヴィン自身にもわからなかったのである。
「ウェンディは戦う事を、悪い事だと決め付けていないか?」
アヴィンは聞いた。
「決め付けてなんかいませんわ。私は事実を言っているだけですわ。」
ウェンディはつんとすまして言った。
「武器を持って、罪のない街の人を煽り立てて敵にぶつけて。そんな風にして戦う事がイヤだと言っているのです。私だって、戦っているつもりなのです。」
「え?・・・戦う?」
アヴィンは面食らった。
皆の合意の邪魔をしている以外、ウェンディが何をしていると言うのだろう。
「私の、歌で。みんなの音楽で。兵士の方たちに故郷へ帰ってもらいたいと思って、ずっと努力しているのに、誰も、何にも認めてくださらない。」
ウェンディは立ち止まって両手を顔に押し当てた。
「あれが、君たちの戦い。」
アヴィンは辺りに不審な目がないか確認した。
酒場の周囲を除けばカヴァロ市内に人影はほとんどなかった。
しんと静まった街路に、若い女性の声はよく響いた。
アヴィンは軽く肩を叩いてウェンディを促した。
ウェンディは顔をキッと上げ、また歩き出した。
「俺は歌の事はわからない。だが、人の命の重さは知っている。大切な人を殺されて、どんなに苦しむか、嘆くか知っている。それは・・・人を歪ませるくらいの苦しみだ。」
深い記憶を手繰るようにアヴィンが言った。
ウェンディは驚いたようにアヴィンを見た。
アヴィンの言葉が、自身の経験から紡ぎ出されていると、ウェンディは直感で感じ取ったのである。
「だけど、苦しみは癒されることもあるんだ。」
ウェンディを見て、アヴィンは言った。
アヴィンの瞳に熱い思いを見て、ウェンディは言葉が出なかった。
「一人では抜け出せない苦しみも、たくさんの人が手を差し伸べてくれる事で、元の自分を取り戻すことが出来るんだ。ここ何日か聞かせてもらったけど、君の歌も、人を癒せる歌だと思う。それに、カヴァロの人に勇気を与えてくれる歌だとも思うよ。」
アヴィンは真剣なまなざしでウェンディに言った。
「だから、武器を手に取る人を称えろとおっしゃるの?」
ウェンディは冷たく笑った。
「いやですわ。私は、どうしても戦いには賛成できません。私は歌うことで戦い続けたいんです。」
ウェンディの主張はかたくなだった。
なぜそこまで戦いを拒むのか、アヴィンは理解に苦しんだ。
しかし、アヴィンは彼女の言葉に決心の固さを感じた。
決起するべきだ、武器を手に戦うべきだとは言えなかった。
「・・・甘い考えだと思っていらっしゃるの?」
アヴィンの無言に、ウェンディが気色ばんだ。
「いや、そうじゃない。」
アヴィンはあわてて否定した。
「俺は血を流して戦ってきたからな。歌で戦うって言われても、正直、ピンとこないんだ。」
華やかな舞台で歌う人を相手に、なぜ血生臭いことを話しているのだろうとアヴィンは自問した。
「でも、ウェンディの言うような戦いもあるのかもしれないな。ただ、俺には、自分のやり方しか出来ないんだ。今起つ事が、カヴァロにとって良い事だと思ってしまう。」
アヴィンは思いつくままを言った。
「それなら、私も貴方も同じなのですわ。私だって、歌うことしか出来ないのですもの。争いがおろかな事だと、わかってもらえると夢見てしまいますわ。」
ウェンディが、それまですましていた顔に理解の表情を浮かべた。
「うーん・・・そうなるのかな。」
アヴィンはまだ首をかしげていた。二人とも、自分にできる事で頑張っている。
アヴィンはウェンディの意見は理解できないが、そういう行動をさせてしまう必死な気持ちは、わかるような気がするのだ。
「アヴィンさん。」
ウェンディが聞いた。
「なんだい?」
アヴィンはウェンディを見た。
「・・・お子さん、いらっしゃるんでしょう?」
「え?」
いきなり何を聞くのだと面食らったアヴィンだが、すぐに顔がほころんだ。
「ああ。」
アヴィンは頬をゆるめて肯き、テレを隠すように頭を掻いた。
ウェンディはアヴィンの様子をじっと見詰めていたが、ふっとうつむいて淡い笑みを浮かべた。
「ご自分の戦い方もよろしいですけど、大切な方たちを悲しませるのはどうかと思いますわ。私は、血を流さない戦い方を続けたいと思います。たとえ、市内に刃が飛び交っても、それでも。」
ウェンディはじっとアヴィンを見つめた。
「あ、ああ。」
気迫に押されて、アヴィンはただ頷くばかりだった。
「もう、ここでいいですわ。おやすみなさい、アヴィンさん。」
ウェンディはそう言うと、返事も待たずに駆け出していった。
「ちょっ、ちょっと待てよ。」
アヴィンはあわててと後を追ったが、さして遠くない住まいにウェンディが入っていくのを確かめると足を止めた。
「何なんだよ一体・・・。」
女性の気持ちはわかりづらい。
理解できた気がしても、一瞬のちにはまた皆目わからなくなっている。
首を傾げながら、アヴィンはきびすを返した。
アヴィンは帰り道を急いだ。
『大きくなっただろうな・・・。』
さっきの問いかけのせいだろうか。子供の笑顔が脳裏に浮かんだ。
何ヶ月会っていないのだろう。元気にしているだろうか。
そのとき、ふとウェンディの意見がわかったような気がした。
こんな些細な、幸せ。
今までの戦いの時には、何も未練はなかった。
今度だってそうだと思ってきたけれど、もしかしたら違うのかも知れない。
大切なものを残してきたから、だからウェンディの主張が気にかかったのだろうか。
この命に思いを馳せてくれる人がいるから・・・。
『必ず帰るんだ。』
アヴィンは強く思った。
「お帰り。ウェンディは大丈夫だった?」
部屋に戻ると、マイルが寝台に腰掛けて髪の手入れをはじめていた。
「ああ。あの娘なりに考えているみたいだ。これからもうるさく言ってくるだろう。」
アヴィンは答えた。
「そうだよ。あれだけ気が強いんだしね。」
マイルは笑って言った。アヴィンもつられて笑った。
アヴィンはマイルの隣に腰をおろした。
「本当に、いろいろな考え方があるもんだな。」
アヴィンが言うと、マイルがアヴィンの顔を覗き込んだ。
「歌う事で戦いが避けられたら、こんな楽な事はないよな。」
アヴィンは言った。
剣を交えるだけじゃない。
街の人たちの心を安らかにする事も、暮らしの不安を拭ってやる事もまた、その人にとっての戦い方なのだ。
ウェンディや、パン屋のマシューのように。
「でも俺は、俺に出来ることをするんだ。」
アヴィンは改めて言った。
マイルはいつになく真剣なアヴィンをじっと見ていた。
アヴィンがその視線に気づいてマイルを見た。
真剣な顔がふっと和らいだ。
「やってやるよ、マイル。」
アヴィンはマイルの手から櫛を取り上げた。
「え?いいよ。」
アヴィンらしくない行動に、マイルは戸惑った。
「いいって、ほら、前を向けよ。」
アヴィンは長くなったマイルの髪を片手にすくって、下の方から櫛を入れていく。
いつもは目に留めることもないくせに、今日に限って丁寧に何度もすいていく。
「・・・・・・」
いつもと様子の違うアヴィンに、マイルは何だか居心地が悪かった。
「おばさんのポテトフライが食いたいな…。」
ぽつりとアヴィンが言った。
マイルはくすっと笑った。
「そんなの、村へ帰ればいくらだって食べられるよ。」
マイルは笑顔で請け合った。
「母さんきっと大喜びして、毎日ご馳走してくれる・・・アヴィン!?」
不意に背中に重いものを感じて、マイルはアヴィンに声を掛けた。
アヴィンはマイルの背中にもたれかかっていた。
言葉もなくぎゅっと身体を押し付けてくる気配は、アヴィンが泣いているように感じられた。
「どうしたんだい、アヴィン。」
マイルは優しく言った。
「ウルトが、懐かしくなっちまった…。」
アヴィンが言った。
声がかすれている。
ああ、やっぱりアヴィンは辛いのだとマイルは思った。
街の人に白い目で見られて、根が正直なアヴィンは相当堪えていたに違いない。
見張りを休んだ二日のうちに、その辛さが膨らんでしまったのだろう。
アヴィンはマイルの背中をぎゅっと掴んだ。
泣き声をあげまいと力んでいるのがわかって、マイルは胸がいっぱいになった。
アヴィンを助けてやりたい。
もっと元気ないつものアヴィンに戻って欲しい。
背中を振り返りたかったけれど、きっとアヴィンは涙を見られたくないだろう。
そう思って、マイルはじっとしていた。
それが、今マイルに出来る精一杯の思いやりだった。
アヴィンはしばらくしてようやく顔を上げた。
「ごめん、マイル。」
アヴィンは、泣き笑いのような声で言った。
マイルはアヴィンを振り返った。
目の周りを赤く腫らせ、瞳を潤ませたアヴィンが照れた表情を浮かべていた。
「謝ることなんかないよ。つらいんだね、アヴィン。」
マイルが言うとアヴィンは視線を落として小さく頷いた。
「街の人を守りたいって、言い出したのは俺なのにな。」
「スタンリーは気が高ぶっているんだよ。些細なことが気になってしまうのさ。他の人たちも、気にしている事だから反応してしまっただけだよ。心底アヴィンを疑ってる人なんかいないよ。」
マイルは力説した。
「そうか?」
アヴィンは少し明るい表情になった。
「うん。トムソンさんも他の人も、アヴィンを信じてくれてるよ。」
マイルは力を込めて頷いた。
「明日は一緒に見張りに立とうか。」
「俺、行ってもいいのか?」
アヴィンはマイルの顔を伺うように言った。
「もちろん。二日も休めば十分だろう?」
マイルは笑顔で答えた。
「はは・・・よかった・・・。」
アヴィンはまた顔をくしゃくしゃにして嬉しそうに言った。
「俺、本当は心細くて・・・。」
またあふれてきた涙を手の甲で拭い、それでも止まらなくて、アヴィンはマイルの肩に顔を埋めた。
「うん。もう、いいから・・・。また一緒に頑張ろうな。」
こらえていた涙が全部流れてしまうまで、マイルはずっとアヴィンに肩を貸していた。
「父さん、あんまり遅いと置いてっちゃうわよ。」
マルチャ郊外の、街道を少し外れたけもの道。
このご時勢にカヴァロへ向かう二人組の姿があった。
でっぷりと肥えた体に、きらびやかな衣装をまとった中年の男は、背にアコーディオンを背負って道なき道をフウフウ言いながら歩いていた。
少し先から容赦ない声援?を送っているのは彼の娘らしかった。
もっとも、引き締まってすらりとした肢体のどこからも、二人が親子だと想像させるものは見つからなかったが。
「街道だったらこんな遅れは取らないのに~。」
悲鳴のような繰言を叫びながら、男は藪をかき分けていく。
「街道に出たらヌメロス軍に見つかっちゃうでしょ。こっそりカヴァロに侵入するんだから、我慢よ、我慢。」
「レイチェルはスマートだから、ワシの苦労がわかんないのよ。」
男は藪にひっかかった腹や腕をふりほどきながらぼやいた。
「お父さんに似なくってとーっても感謝しているわ。夜が明ける前に入り込まなきゃいけないのよ。さ、急ぎましょ。」
レイチェルはやっと追い付いた父親に容赦なくそう告げると、くるりと前を向いて再び前進をはじめた。