カヴァロ解放
day9-1
「おや、旅芸人だよ。」
マイルが先に気付いた。
市庁舎前の広場でアコーディオンを抱えた男と、すらりとした、いささか露出度の高い衣装の女性が、楽しげな音楽を奏でていた。
「どうやって入り込んだんだろう。昨日まであんな人たちはいなかったよね。」
「え、そうかい?」
アヴィンは眉をしかめた。
「よくわかるな。この街の人、全部知っているわけじゃないだろう?」
「そんなのどうでもいいじゃないか。それよりあの二人だよ。あんな場所で興行するのは良くないよ。教えてやった方がいいんじゃないかな。」
マイルはアヴィンの疑問を軽く受け流して言った。
「そうだな。ヌメロスを下手に刺激されたらまずいよな。」
アヴィンも賛成した。
二人は見張りを離れて旅芸人のところへ行った。
「えと、・・・こんにちは。」
マイルが声を掛けた。
「こんにちは!いいお天気ね。リクエストがあったら受けるわよ、何でも言ってちょうだい。」
若い女性が元気一杯の返事をよこした。
「あの・・・そうじゃないんだ。あなたたちこんな所で興行しているけど、今カヴァロがどういう状態なのか知っているのかな。」
「あらぁ。」
レイチェルが待ってましたというようにシャオと視線を交わした。
「もっちろん。ヌメロス帝国に占領されているんでしょ。自由に街道へ行けないし、うまいこと外に出られても、ヌメロス兵がうろうろしていて危ないったらありゃしない。そのくらいの事は知ってるわよ。」
レイチェルは小声で答えた。
「詳しいんだね。」
マイルは慎重に答えた。
「旅芸人の情報網を馬鹿にしちゃいけないわ。それに、広場や街角の平和を守ることは旅芸人の仕事の一つなのよ。」
レイチェルは胸を張り、パチンとウインクをして答えた。
そういうポーズを取ると、かなり挑発的だった。
マイルは目のやり場に躊躇して咳払いをした。
「どうやってカヴァロに入り込んだのか知らないけど、気をつけることだね。」
「ご心配ありがとう。あなたたち、ただの街の人じゃないみたいね。」
レイチェルが二人の腰の剣を見つけて言った。
「私たち、デミール市長さんとはちょっとした知り合いなの。何とかして会えないかしら?」
「市長さんと?」
マイルはアヴィンと顔を見合わせた。
「君たちがカヴァロの市民に協力してくれるなら、連絡をつけないこともないよ。」
マイルが答えた。
「ありがとう。リュトム島でお世話になったシャオとレイチェルが参上しましたと伝えてくれない?」
マイルとアヴィンはまた顔を見合わせた。
リュトム島。聞き覚えがあった。トーマスが潜入していた島の名前だった。
「一度確認してみよう。」
アヴィンが言った。
「シャオとレイチェルだったな?」
「ええそうよ。」
自信たっぷりに言うレイチェルと傍らのシャオの容姿を頭にたたき込みながら、アヴィンは小走りに国際劇場へ向かった。
「アヴィン、なんだよ?」
デミール市長に面会を求めると、スタンリーがアヴィンの前に立ちふさがった。
「見かけない旅芸人が、市庁舎の前で芸を披露しているんだ。市長さんの知り合いで、会いたいと言うから、本当かどうか確認したいんだ。」
「じゃあ俺が聞いてくるよ。」
スタンリーは譲らなかった。
劇場の入口で一歩も動かない構えだった。
アヴィンは少し眉を寄せたが、昨日までと違って、スタンリーの態度に動じる事はなかった。アヴィンは事の次第を話した。
「二人はシャオとレイチェルと名乗ってる。若い女性とアコーディオン弾きの男性だ。リュトム島で世話になったと言っているんだ。知り合いかどうか、市長さんに聞いて欲しい。」
スタンリーはアヴィンが思いつめた様子を見せないので、意外そうな顔をした。
「わ、わかった、聞いてくる。ちょっと待っててくれ。」
程なく、スタンリーは興奮気味のメリトス女史を伴って戻ってきた。
「アヴィン君、シャオさんたちはどこにいるの?」
すぐにでも駆けていきそうなメリトス女史をアヴィンは止めた。
「今は市庁舎の前にいる。あなたが行くのは危険だ。呼んできても大丈夫なんだな?」
アヴィンは確認した。
「ええ。すぐに連れてきてちょうだい。」
「メリトス社長さん!」
「シャオさん、レイチェルさん!どうやってカヴァロに入ってきたの?」
メリトスの歓迎ぶりに、アヴィンとマイルはあっけにとられた。
「メリトスさんもこの二人と知り合いなんですか?」
マイルが驚いた様子で尋ねた。
「ええ、そうよ。しばらく前に知り合ったのよ。デミール市長も歓迎しているわよ。…そうだわ、ねえ、もしかしてマクベインさんたちと会わなかった?」
メリトス女史は二人を臨時の市長室へ案内しながらずっとしゃべり続けた。
二人はデミール市長からも手厚く歓迎された。
「10日ほど前にマクベインさんたちがカヴァロを発ったのだよ。途中で会わなかったかね?」
「会ったも何も、エキュルで一緒に公演をしたわ。」
レイチェルが答えた。
「エキュルで、ですって!」
メリトス女史がひときわ大きな声を上げた。
「それじゃあ、古代杉の人形のことを知らないかしら。ロゼット工房は、本当にヌメロスに襲われたの?」
メリトス女史が尋ねると、レイチェルは目を丸くした。
「ご存知だったんですか!?」
「ご存知って、それじゃあ本当に。」
「ええ。ロゼットさんはさらわれずに済んだんですけど、カプリという人形がヌメロス帝国に奪われてしまったんです。」
レイチェルが告げると、デミール市長とメリトス女史は顔を見合わせた。
この情報は、とても重いものだった。
「そうか。では、彼らの言っていることも全くの事実な訳だね。」
デミール市長は秘書官とも顔を見合わせた。
「そうですわね。急がなくてはいけませんわ。」
メリトス女史も深刻な顔つきになった。
「こんな状態が長く続くと、街の人が疲労してしまうよん。いいかげんみんなの我慢も限界じゃないのかな~。」
シャオがのんきな口調で言った。
だが、それをたしなめる者はいなかった。
部屋に重い雰囲気が漂い、レイチェルは居心地が悪そうに辺りを見回した。
「マクベインさんたちは、エキュルでも暴れたのかしら?」
沈黙を破ったのはメリトス女史だった。
彼女は冗談めかしてレイチェルに話し掛けた。
レイチェルはホッとして話し始めた。
「ジラフで一緒にヌメロスの魔法使いを追い詰めました。最後には逃げられちゃったんですけど。マックさんたちは一旦巡業の旅に戻ったんです。この先、ヌメロスに入ることもあるだろうからって、言ってました。」
「そうか…。あの人たちの無事を祈ろう。」
デミール市長が言った。
「そうだわ、マクベインさんたちと一緒に若い女性がいなかったかしら?黒髪の、白いドレスを着た人よ。」
メリトス女史が尋ねた。
レイチェルとシャオはお互いに相手を見、お互い首を横に振った。
「いいえ、そういう人には会いませんでしたけど。」
「そう・・。」
「無事に逃げおおせたのかな?」
「そのようですわね。」
メリトス女史はにっこりした。アリアの脱出劇からこちら、初めて心から安堵した笑顔だった。
「旅芸人って、案外冒険者並みに力があるのかな。」
シャオとレイチェルを見送ってアヴィンがつぶやいた。
「・・・そうだね。傭兵と変わんないのかも。ちょっと、迫力がありすぎだったけど・・・。」
マイルが口の中でつぶやくように言った。
「何だ?マイル。」
「ううん、何でもない!」
アヴィンに聞かれ、あわてて思いっきり否定するマイルだった。
「やあ、アヴィンさん。」
トムソンが二人を見つけて近寄ってきた。
「良かったよ、また出てきてくれて。」
そう言って、トムソンはアヴィンの肩をポンと叩いた。
「ああ、ありがとう。」
アヴィンは自分を信じてくれる事に素直に感謝した。
「猟師仲間で相談して、あんた達と一緒に街の人の盾になると決めたんだ。頭数に入れておいてくれ。」
トムソンは二人に言った。
「わかったよ。4、5人?」
マイルが聞いた。トムソンは頷いた。
「何かこう、落ち着かないな。だれかれ構わずにしゃべれる事じゃないし、かといって一人で考えていても不安になるし。」
トムソンはきょろきょろと周りを見た。
「なあスタンリー、あんたも不安にならないか?」
劇場の入口にいるスタンリーに話し掛ける。
「俺はそうでもないな。大して剣が使えるわけじゃないし、先頭に立たない分気が楽かもしれないな。」
「ナイフの使い方くらいしっかり教わっといた方が良いぞ。あとで後悔しても遅いからな。」
トムソンが揚げ足を取った。
「そんな事、言われなくたって。」
スタンリーはプイッと横を向いてしまった。
「見張りに戻ろうか、アヴィン。」
雲行きを察してマイルが言った。
「ああ。」
アヴィンがもう一度スタンリーに目をやると、彼は所在なさげに劇場のロビーへ警戒の目を向けていた。
「まあ、レイチェルさん、シャオさん。」
「ウェンディさんに、バルタザールさん。お久しぶり!」
音楽家たちのサロンに連れてこられたレイチェル達は、見知った顔を見つけて再会を喜び合った。
「どうやってカヴァロへ入っていらしたの?兵士に見つかったりしなくって?」
「ここの兵士なんてちょろいもんだよ~ん。」
シャオが豪快に笑った。レイチェルもたわいないという顔をして見せた。
「まっかせなさーい。街道に出てくる魔獣を思えば、ヌメロスの兵士なんて甘いものよ。」
「まあ、頼もしいわ。」
ウェンディが笑顔になった。
「ろくなおもてなしも出来ないのだけど、ごゆっくりなさってね。」
テオドラが紅茶を振舞った。
「よろしかったら一曲弾きましょうか?」
「あら、光栄だわ。じゃ、レオーネの曲をどれか。」
「承りました。」
バルタザールは恭しく礼をしてピアノに向かった。
レイチェルはバルタザールが背を向けた隙に胸元から砂糖菓子を取り出した。
「おつまみにしよ。」
レイチェルはにっと笑ってウインクをした。
「まあ、久しぶりだわ。」
ウェンディもテオドラも嬉しそうに笑顔を返した。
「ちょっと出てくるからな。」
ドルクが立ち上がったので、ラテルはハッとして顔を上げた。
まるきり先日と同じ状況だった。
「あまりあちこち歩き回るなよ、ドルク。」
ロッコが型通りの一言を背中に向かって言った。
「おう。」
ドルクはちょっと片手を上げて答えると、部屋から出て行った。
「また、ですね。」
足音が聞こえなくなってからラテルが言った。
「やっぱり金がらみだと思うんだよなぁ。」
グレイがつぶやいた。
「普段からなんだか考え込んだ顔してるもんな、最近。」
「でも、決起が決まった今になってああいう行動を取られるのは、ちょっと・・・。僕は不安になりますよ。」
「彼の事は、信じるしかないだろう。それより段取りを考えてくれよ。」
ロッコはテーブルに広げた市内の地図を睨んで言った。
「段取りだって?」
グレイが地図を覗き込む。ラテルも二人の側へ寄った。
「うん。市庁舎前の広場に市民を集めるだろう?これで、市庁舎の中にいる兵士は閉じ込められる。しかし、まだ出入り口の兵士と街を巡回している兵士がいるんだ。」
ロッコは街の3箇所の出入り口を示し、それから兵士の順回路をぐるっと手でなぞって見せた。
「2、3人ずつだよな。俺たちとあの傭兵たちで片付けるか。」
グレイが簡単そうに言う。
「俺たちが全部出払ってしまっては、市庁舎の前が手薄過ぎると思うんだ。」
ロッコは言った。
「市民でも見張りをしている人がいましたよ。使えるかどうかわかりませんけど。」
ラテルが言った。
「そうだな、手を貸してもらった方が良さそうだ。」
「そういや傭兵の仲間、一人足りなかったな。使い出のありそうな奴だったのに。」
グレイが言った。ロッコとラテルは眉をしかめた。
「ああ、沼地で会った魔道士…。」
ロッコが思い出した。
「カヴァロの事には手を出さないとか言っていましたよ、確か。」
ラテルが記憶をたぐりながら言った。
「冗談だろう、こんな時に手を貸さなくてなにが仲間だよ。」
グレイが口調を荒げた。
「僕に聞かれたって困りますよ。」
「まあまあ。いない者は当てにしてもしょうがないよ、グレイ。」
「怪しい奴だ。」
「魔道士はそういうものだ。ネクロス殿だって敬遠されているじゃないか。」
ロッコはグレイを諭した。
「ネクロス殿と比べたら、あの魔道士がかわいそうですよ。」
ラテルが言った。
「まあ確かにな。やだね、自分の力に奢った奴らは。」
グレイは肩をすくめた。
「人を集めだすのと一緒に、東西の出入り口は押さえたいな。俺たちとアヴィンたちで半分ずつ手分けしようか。」
「そうだな。お手並み拝見といくか。」
「じゃあこっちは、グレイとドルクに行ってもらおうか。」
ロッコが言うとグレイは首をひねった。
「先にひと暴れ出来るのはいいんだけどよ、その“じゃあ”ってのは何だよ。」
「市庁舎の前は交渉になる可能性もあるからな。俺とラテルが当たる方がいいだろう。」
「グレイさんが相手になったら、まとまる話も壊しちゃうでしょうし。」
遠慮なくラテルも言った。
「そーか。お前ら、いずれたっぷりお礼をしてやるからな。」
グレイはニヤニヤ笑って言った。ロッコもラテルも笑った。
「ドルクさん、本当に何をふらついているんでしょう・・・。」
笑いすぎて涙のにじんだ目尻を拭きながら、ラテルがつぶやいた。
「4人で笑えたら、もっと気持ちが軽くなるでしょうに。」
「ったくだぜ。こんなに心配させやがって。」
グレイは吐き捨てるように言い、上着を掴んだ。
「一回りしてくる。見つけたら連れてくるからな。」
ラテルに向かってニヤッと笑う。
「グレイさん・・・。」
「気をつけろよ、グレイ。」
「おう、任せとけ。」
「みんな、ちょっといいかしら。」
メリトス女史が国際劇場の入口にアヴィンたちを集めて言った。
「今晩夕食会を開くわ。都合のつく人はホテル・ザ・メリトスへ来てちょうだい。いろいろとお話をしたいわ。」
見張りの者たちを見渡して、メリトス女史は思わせぶりに言った。
事実上の作戦会議だった。
皆一様に頷いた。
「アヴィン君、彼らにもこの事を伝えてもらいたいの。」
メリトス女史は一軒の宿屋をアヴィンに教えた。
「わかった、行ってきます。」
アヴィンは二つ返事で引き受けた。
「僕も行こうか?」
マイルが聞いた。
「大丈夫だよ。」
アヴィンは明るく言うと、商店や宿屋の建ち並ぶ小路の方へ入っていった。
「レイチェル、本当なのね? ヌメロスは人形を奪ってしまったのね?」
ウェンディは何度も確かめるように聞いた。
「ええ。私たちも頑張ったんだけど、無理だったのよ。ロゼッタさんも人形の技術が盗まれるのをとても心配しているわ。」
レイチェルがすまなさそうに告げると、ウェンディは肩を落とした。
「やっぱり、もう時間がないのね・・・。」
「そんなにがっかりしてちゃ駄目じゃない。」
レイチェルが言った。
ウェンディが目を丸くして顔を上げた。
「私、マックさんに教わったの。広場の平和を守るのが旅芸人の務めだって。だったら、国際劇場や街の平和を守るのがウェンディたちの務めでしょ。どうしておとなしくヌメロスの言いなりになっているのよ。」
「だって、ヌメロス兵も、戦いたくて来ているわけではないもの。私、あの人たちには戦いをやめて故郷に帰ってもらいたいの。」
「相手は軍人なのよ?興行を見に来る人たちとは違うのよ。」
「違わないわ。みんな無理矢理狩り出された普通の人たちよ!」
ウェンディはたまらずに叫んだ。
「私、武器を持ちたくないの。街の人にも持たせたくないの。私達の、カヴァロの武器は音楽よ!」
ウェンディは自分の胸に手を押し当てた。
「歌で、演奏で、戦うよりももっと大切なものがあるって、大事な暮らしがあるって、気づいてもらいたいの。帰ってもらいたいのよ。」
「ウェンディ・・・。」
レイチェルが押し黙る番だった。
ウェンディは息を弾ませていた。
この数日、何人に、何回この主張をしたことだろう。
誰もが目の前の現実の対処に追われ、ウェンディの心を汲み取ってくれる者はいなかった。
「そう、ウェンディも必死に考えていたのね。」
レイチェルが口を開いた。
「ごめん!私気付いてあげられなくて。私もこの街で頑張るわ。一緒に頑張って歌おう、ね。」
「レイチェル!?」
ウェンディは感極まって絶句した。
やっと、やっとわかってくれる人がいた。
ウェンディはレイチェルの手を取って、ぎゅっと強く握りしめた。