カヴァロ解放
day9-2
「だから、国へ帰ったらきっちり払うと言ってるだろう。」
「おいおい、幾ら立て替えてると思ってんだ? お前にゃ、他に道はないんだよ。隊長の居所を吐くだけで返済を待ってやるって言ってるんだ。悪い取引じゃないだろう? ええ?」
商店街の裏道、ほとんど人通りのない路地で、二人の男が言い争っていた。
責め立てられ、壁に背を貼り付けているのはドルクだった。
もう一人は私服を着ていたが、言葉のイントネーションからヌメロス兵と知れた。
「…それだけは出来ねえ。」
ドルクは喉の奥から声を絞り出した。
既に、何発か腹に拳を食らっているらしかった。呼気が荒かった。
「俺が欲しいのは、お前の下手な言い訳じゃないんだよ!」
ヌメロス兵はドルクの胸倉を掴んだ。
「今までの借金をきっちり返すか、さもなきゃパルマンの居所を吐きな。」
「借りた金は本国に戻ったら必ず返す。だから、それまで待ってくれ。」
ドルクはあくまで下手に出ていた。
「返す金がどこから沸いてくるんだ、ええ? 上司と一緒に反逆したお前に給金なんか出るもんか。あんまり言う事を聞かずにいると、村の連中を嘆かせる事になるぜ。」
「そ、それは…。待ってくれ、ワリス。送金は止めないでくれ!」
ドルクは顔色を変えた。
ワリスはにやりと笑った。
「いいかげん村の連中にも教えたらどうだ? 元の部隊を追い出されて、辺境に飛ばされていますってな。しかも今はお尋ね者だ。洗いざらい教えてやりゃあ、お前が当てにならないってことが、よーくわかるだろうよ。」
「やめてくれ!…それは、困る!」
「へへへ、んじゃあ道は一つっきゃねえな。」
ワリスは猫なで声で言った。
「くっ…。」
「さあ、話しな。」
ドルクはぎりぎりと歯を食いしばった。
「俺は、お前と違って大事な人を裏切るような事は出来ねえんだ。」
ドルクはワリスを睨みつけて言った。
「俺がいつ誰を裏切ったってんだ!」
ワリスは険しい表情でドルクに詰め寄った。
「金で地位を買って名をあげても、その度に仲間を無くしていたら、あんたはいつまでも幸せになんかならねえ。なれやしねえよ。」
「この野郎っ!」
ワリスが掴みかかってきた。
壁に打ち付けられ、ドルクはうめいた。
さらに容赦ない拳が顔に当たった。
背後の壁に頭をぶつけて、ドルクは気を失った。
「おい、どうしたんだ?」
肩を揺さぶられ、声を掛けられて、ドルクは意識を取り戻した。
『まずい、見られた。』
市民だろうか? それともヌメロス兵?
起き上がろうとしたが、身体中が痛みを発してろくに動けなかった。
「手ひどくやられているじゃないか。」
声の主が言った。
その声を知っている気がして、ドルクはなんとかして片目を開けた。
淡いグリーンの瞳が、気遣わしそうにドルクを覗き込んでいた。
「ああ、あんたか。」
この数日で見慣れたアヴィンだと知ると、ドルクはホッとしてまた目を閉じた。
とりあえずは仲間だ。ヌメロス兵に見つからなくて良かった。
「ちょっと喧嘩しただけだ。心配はいらねえよ。」
ドルクは安心させるように言った。
「動けないのか?こんなところに倒れていたらまずいだろう。」
アヴィンがなにやらごそごそと音を立てた。
それからひょいと頭を持ち上げられ、冷やりとした液体を口に流し込まれた。
「?!」
ドルクはびっくりして目を開けた。
「回復薬だ。すぐに歩けるようになる。」
アヴィンは言った。
「俺に構うな、放っといてくれ。」
ドルクはぶっきらぼうに言った。
「そうはいかないよ。ヌメロスに見つかったら捕まっちまうだろ。」
アヴィンは有無を言わさずドルクを立ち上がらせた。
「おい、よせったら。」
ドルクが言った。アヴィンは聞かなかった。
「どのみち、あんたたちに伝言を伝えに来たんだ。探す手間が省けたよ。」
「伝言?」
「ああ。だからついでに送ってやる。」
アヴィンが肩を出すと、ドルクは渋々その肩につかまった。
「あーあ、見てらんねえな。」
突然、後ろから声がかかった。二人はびっくりして振り返った。
後ろでグレイがニヤニヤと笑っていた。
「ドルク、お前一人で市庁舎へ飛び込んだんじゃないだろうな?」
ドルクはばつの悪そうな顔をした。
「グレイ、なんでこんな所にいるんだよ。」
「お前さんが気になったからに決まってんだろ。ロッコもラテルも心配しているんだぜ。何かトラブルを起こしているみたいだな。」
「…心配してもらう事なんかねえよ。」
ドルクはうそぶいた。
「ああ、そうかい。その話はゆっくり聞かせてもらうぜ。戻ろう。手当てしねえと。」
グレイはアヴィンに代わってドルクを支えた。
「ありがとよ、傭兵さん。」
グレイはアヴィンに言った。
「いや、当然の事をしたまでだ。それより、伝言がある。」
アヴィンはあたりを伺ってからそう告げた。
「何だ?」
グレイは手短に尋ねた。
「今夜ホテル・ザ・メリトスで作戦会議だ。来れるようなら来て欲しい。」
「ホテル・ザ・メリトスに今夜、だな。わかった。」
「それじゃ、俺はこれで。」
アヴィンは挨拶をして立ち去ろうとした。
「おい、アヴィン。」
グレイがアヴィンを呼び止めた。アヴィンは何事かと振り返った。
「あの魔道士は来ないのか?」
グレイはじっとアヴィンを見つめた。
アヴィンが顔をこわばらせた。しばらく考えたあとでアヴィンは答えた。
「彼は今カヴァロにいないんだ。加勢を頼む事は出来ない。俺たちからは彼に連絡を取れないんだ。」
「そうか。」
グレイは表情一つ見逃さない目つきでアヴィンを見ていたが、アヴィンの答えに納得したようだった。
「わかった。あいつの事はなかったとしよう。しかし、冷たい友だちを持ったもんだな。」
グレイが言うと、アヴィンは驚いた顔をした。
「あの人は、そんな人じゃないさ。」
アヴィンはまっすぐにグレイを見返した。
「強請られていたなら、そうと言ってくれたら良かったじゃないですか。」
ドルクの傷の手当てをしながら、ラテルはぷりぷりと怒っていた。
「お前らには関係ないだろう? 言えねえよ、こんな事。」
あちこちに青いあざをこしらえたドルクは、ブスっとした顔でラテルに言い返した。
グレイの想像通り、ドルクは金貸しのワリスに付け込まれていたのだ。
「ワリスは上官に報告をするだろうか?」
ロッコが思案顔で割り込んできた。
「あいつは手柄を独占したがるからな。誰にも言わないと思う。こっちへ戻ってから奴に会ったのは三度目だが、いつも一人で来やがった。」
ドルクは言った。
「誰かに抜け駆けされたくないのさ。いぎたねえ奴だよ。」
ドルクの顔が苦しそうにゆがんだ。
ラテルは傷口が染みたのかと思って消毒の手を止めた。
だが、ドルクを苦しめているのは、傷の痛みではなかった。
「それに俺は、パルマン隊長が一緒にいるように振舞ってる。報告されてりゃ、とっくに街の周辺が捜索されているさ。」
下手な事はしていないとドルクは主張した。
「一体どうしてそんな男と関わりになってしまったんですか?」
ラテルが聞いた。
「こうなったからにはちゃんと説明してもらいたいな、ドルクよ。」
グレイもそう言った。
「無理にとは言わないが、話せる事だったらいっそ話してしまった方が気が楽になると思うよ。」
ロッコも言った。
ドルクは一人一人の顔をじっと見、それから口を開いた。
「俺は収入を求めて軍に入った。俺の村は貧しくて、外へ出た奴の稼ぎを大事な収入源にしているんでな。最初の隊にワリスがいた。あいつも食扶持のために村を出て入隊していたんだ。」
ドルクは一度話を切って唇を舐めた。
何から話そうか、迷っているようにも見えた。
「最初のうちは気付かなかった。でも、新しく士官を指名する時、実力もないのに奴が指名されたんだ。それで気付いた。奴は裏で手を回していたんだ。もうその頃には、軍で名を揚げるのはそんな奴ばっかりだった。俺は、何のために戦うのか目的を見失って、落ちこぼれ、メルヘローズ遊撃部隊へ回された。ま、おかげで素晴らしい人に出会えたけどな。」
ドルクは仲間を見た。
ロッコたちは笑顔で、或いは頷いて同意を示した。
「国を離れる事になって、村への送金に悩んでいた時、ワリスから送金の代行を持ちかけられたんだ。俺にとっては有り難い申し出だったからな。二つ返事で任せてしまった。だが、奴は俺の給金を牛耳り、村へ金を運ぶ役目を逆手にとって、俺に情報を出せと言って来たんだ。」
「ひどい…卑怯な奴だ。」
ラテルが言った。
「まったくだ。昇進しても、周りに認められたわけじゃないからな。部下が従ってるのは、部下だからだ。一旦配下を離れたら二度と口も聞きたくないと思っているだろう。だからあいつはいつも一人だ。そうじゃなくて、人間に惚れこめたら、それは一生の宝になるのにな。あいつにもそれをわかってもらいたいんだが・・・。むつかしいな。」
「お人好しだな、あんたは。」
グレイが言った。
ドルクは苦々しく笑った。
「村を出て何も知らない田舎者同士、意気投合したんだぜ。その頃を知っているとどうしても突き放せねえよ。」
ワリスはいらいらした気分のまま市庁舎へ戻った。
市庁舎の手前で、旅芸人が陽気な歌を歌っていた。
ワリスはじろりと旅芸人を睨んだ。
歌っていた女と目が合った。
「一曲いかが? 兵隊さん。」
自分の容姿に自信がありそうな女だった。
「うるせえ、こんな所で歌うな。さっさとどっかへ行きやがれ。」
「あら恐ーい。」
女はおどけて答えた。
ワリスはもう一度女を睨みつけると、荒っぽい足取りで市庁舎に入っていった。
借り手が借金を踏み倒さないように見張るのも、ワリスの大事な仕事だった。
ドルクは数ヶ月前に本国の任務を解かれ、カヴァロの南のへんぴな沼地へ転換された兵士だった。
普通、こういう時は何か失敗をやらかしたものと捉えられるのだ。
当然給料も減る。
ましてや上官と一緒に反乱を企てたドルクは金貸しにとって要注意人物である。
彼に逃げられるのはワリスの失態となってしまう。
まあ、返済よりもドルクの握っている情報を引き出して自分の手柄にしたいというのはワリスの独断であったけれども。
金でも、情報でも、美味い実のなる木は手放さないのがワリスのやり方だった。
「ワリス、どこへ行っていたんだ。」
市庁舎に戻ると先任の中隊長の厳しい声が待っていた。
「食事をしてきただけですよ。」
何故叱責されなくてはならないのかとワリスは眉を吊り上げた。
中隊長はワリスに顔を寄せると耳打ちした。
「ゼノン司令が主だった兵だけを集めている。お前も早く来い!」
「えっ!」
ワリスは一転して礼を言うと、大急ぎで兵装に着替え始めた。
「諸君、カヴァロ周辺の木人兵騒動は落ち着きを取り戻しつつある。とはいえ、騒動の元凶たる歌姫はいまだ消息をつかめておらん状況だ。」
五人の兵士を一列に並ばせて、ゼノン司令は切り出した。
ゼノン司令の後ろにも、五人の兵士が並んでいた。
司令の直属の兵士たちだった。
「カヴァロ周辺の治安を守るため滞在してきたが、このたび皇帝陛下より、新たな作戦のご指示を賜った。わしは明後日ここを離れる。」
声にならないどよめきがワリスたちの間に起こった。
『冗談じゃねえ。ゼノン司令がいなくなったら、即席の兵士連中をどうやってまとめるんだよ。』
ワリスは心の中で愚痴をこぼした。
「わしとこの五人は新たな任務に赴く。第七師団はこのままカヴァロの警護を続ける。よいな、引き続きカヴァロを『警護』するのだ。」
ゼノン司令はわざと『警護』を強調して言い渡した。
「は!わかりました!」
五人のうちの最も位の高い中隊長が緊張した面持ちで返事をした。
その顔には拭いきれない不安がにじみ出ていた。
カヴァロに駐屯しているのは、師団の中でも一番素人兵の多い隊だったのだ。
まっとうな兵士たちはネクロスの手駒となり、さらに木人兵を操るために中堅の兵士が割り当てられていた。
中隊長の緊張に凝り固まった顔を横目で見て、ワリスは一人ほくそえんだ。
『こりゃあ、一働きすれば俺にもチャンスが巡ってくるかも知れねえぞ。』
いい働きをしたことがゼノン司令の耳に届けば、さらにいい部隊に取り立てられるかもしれなかった。
不安に暮れる兵士の中で、ワリスは一人、自分の欲望に目を輝かせていた。