真実の島へ行きましょう
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緩やかな坂を登りきると、急に視界が開けた。
丘の頂上は木立が途切れ、ちょっとした空き地になっていた。眼下には森が広がり、その先には海が望めた。
「あった!」
嬉しそうにアヴィンが叫んだ。ミッシェルもほっとする。ここなら安全に一晩過ごせそうだった。
魔獣の襲撃を受けて、今日は二人とも疲れ果てていた。もし、もう一度魔獣に出くわしたら、とても無事ではすまないだろう。
テント張りをアヴィン一人に任せ、ミッシェルは見晴らしの良いところへ腰をおろした。休んでいてくれと言われたのである。
体力こそ護符のおかげで復活したが、ダメージを受けた身体は万全ではなかったし、魔法力もほとんど使い果たしていた。
明日の事を考えて、ミッシェルはおとなしく従ったのである。
遠くの海に目をやる。大地には雲ひとつなかったが、海の上には灰色の雲がかかっていた。
じっと見つめても、その雲の下に島があるかどうかはわからなかった。
だが、距離からしても間違いない。あそこに真実の島があるのだろう。
今いる場所からすると、あと一日。明日中にはドークスの村に着けると思われた。
「真実の島は見えるのか?」
後ろからアヴィンがのぞきこむ。
敬語など知らないというようなアヴィンの言葉使いにも大分慣れてきた。それに、実際には彼も人を敬う事を知らないわけではない。
「島は見えませんね。でも、海の上に雲が出ているのがわかりますか?」
ミッシェルがその方向に指をさす。
「ああ、見える。あそこに島があるのか。」
「おそらくそうでしょうね。順調に行けば明日の午後にはドークスに着くでしょう。」
「三日掛かりか。最初にミッシェルさんが予想したとおりだな。」
「ここまではね。ドークスに着いてからの方が大変でしょう。」
先の心配をしても仕方ない、とアヴィンが言った。確かにあと一日、この危険な街道を通っていかなくてはならないのだ。
日があるうちに食事をとり、二人は早々とテントの中でくつろいでいた。
テントのまわりは十分見通しがきいたが、ミッシェルは万一に備えて結界を張った。
魔法力の最後のひとかけらまで使い果たし、今は身体を横たえている。
その隣で、アヴィンはランプの明かりを頼りにミッシェルのマントを繕っていた。ラケルタ竜に脇をえぐられたとき、裂けてしまったのだ。
渡されたマントは厚みもありしっかりした布地で出来ていた。
こんな物をやすやすと引き裂いてしまう魔獣と戦ったかと思うと、今更ながら自分たちの幸運を感じずにはいられなかった。
アヴィンは慣れた様子で布地を平らにならし、かがっていった。
「そんな事まで出来るとは思いませんでしたよ。」
横からミッシェルが感心した口調で言う。身体は横にしているが、まだ眠くはないらしい。アヴィンの仕事を熱心に見つめている。
「じいさんと二人暮しじゃ、何でも自分でやるしかなかったからな。俺はウルト村から先には行かせてもらえなかったし。フィルディンの朝市にも行った事がなかったんだ。服は適当に買ってきてもらっていたけど、小さくなったものに継ぎ足したり、いろいろしているんだぜ。」
アヴィンは言った。ミッシェルはほほえましいといった表情で聞いている。
今日わかったのは、アヴィンが生活者として一人前以上の知識を持っているという事だった。冒険者としての知識も申し分ない。
自分の技量を頼まず、万一の備えを欠かさないアヴィンがいなかったら、二人は今ごろ冷たいむくろになっていたかもしれないのだ。
ミッシェルは、知らず知らずのうちに自分の回復魔法を当てにしていた。
それが通用しない場合もあると、今日はっきり見せ付けられた。一人旅では決して学べなかった事だ。
一人だったら、戦いの場から飛んで逃げてしまえばいいのである。致命傷を受けるまでその場にとどまる必要もない。
だが、仲間がいるときはそうはいかないのだ。 今日、戦いの最中に逃げ出そうと考えなかった事を、ミッシェルは誇りに思っていた。
アヴィンの手にある物がわかっていたし、彼の剣の腕も信頼できた。だからこそとどまれたのだと思う。
自分が気を失う羽目になったが、アヴィンが何とかしてくれると確信する事が出来た。そして、その通りになった。
信頼に足りる仲間。自分にもそれが得られたという喜びがミッシェルを満足させていた。
「ほら、どうかな。」
アヴィンは元通りにつながったマントをかかげて見せた。
「十分ですよ、ありがとう。」
ミッシェルは起き上がってマントを受け取り、丁寧にたたんで傍らに置いた。
上着の方はあきらめがついていた。アヴィンにも一目見て直すだけ無駄だと言われていた。
「明日、買い直してきましょうかね。」
ぽつんとミッシェルが言った。何の事かわからず、アヴィンはミッシェルを見た。
「あなたのお守りと、私の分と、この…」
あちこち爪で引き裂かれて悲惨な状態になっている上着に目を落とす。
「服の替えが欲しいですね。」
「ドークスに道具屋があるかな。」
アヴィンが言うとミッシェルはかぶりを振った。
「ドークスじゃありません。セータへ行きます。」
アヴィンが目を丸くした。
「せっかくここまで来たのに、戻るのか?」
「あれ、教えてありませんでしたか?」
ミッシェルはいたずらっぽい顔をした。
「私は飛べますから、あっという間ですよ。」
「飛ぶ?」
アヴィンは信じられない顔をした。
旅の途中で雇った冒険者にも跳べる者がいたが、彼は目の前の崖をあちら側に跳ぶことが出来るのだった。
半日も歩いてきた距離を飛ぶというのは、アヴィンの想像を越えることだった。
「残念な事に、自分だけしか飛べないのですけれどね。明日の朝、ちょっと行って来ましょう。」
「…すごいな。」
アヴィンは他に言葉が見つからなかった。
ミッシェルはにこりと笑うと、額に巻いたバンダナをはずし、肩をほぐすしぐさをした。
ぱらぱらと顔にかかる前髪をうるさそうにかきあげる。
その様子は、アヴィンには到底まねが出来ないほど大人っぽい。
そういえば、ここまでくつろぐミッシェルを見るのは初めてだとアヴィンは思った。
アヴィンの観察が当たったかどうか、ミッシェルは大きく伸びをした。すっかり緊張を解いている。
「先に休みますよ。魔法力が回復しない事には、私は何の役にも立たないんですからね。」
自嘲ぎみにそう言ってミッシェルは毛布にもぐりこんだ。
アヴィンも自分が眠る場所を確保するとランプの火を消した。真っ暗になる。
でも、まだ眠くならない。昼間の激闘が、アヴィンを興奮させていたのだ。
目が闇に慣れてくると、テントの入り口から細い一条の星明かりが差し込んでいるのに気がついた。
冷え切った大気がその隙間から吹き込んできて顔に当たった。
背中に感じる大地は冷たく、あたりには時折り虫や小動物のたてる音が響くだけだった。
ふいに自分一人だけがここにいるような不安に襲われる。ごくりとつばを飲む。
ヴァルクドを発って、とても長い時間が過ぎた気がするが、実際には二日経っただけである。
妹の、衝撃的な最期を看取ってからもそれほど日数が経っているわけではなかった。
暗闇は、アヴィンを簡単に、恐れ、震えている少年に戻してしまう。
脳裏に浮かんでくるのは、草むらに倒れてぐったりとしているマイルの姿。
暗殺者の手に掛かり、今にも消え入りそうな声で、自分ではなくルティスの身を案じていたアイメルのけなげな瞳…。
苦しそうにうめくルティスの姿。
もう、人が倒れていくのを見るのはいやだと、アヴィンの心が叫ぶ。
昼間の出来事が思い出される。体中を魔獣の爪で傷つけられ、動かなかったミッシェル。身体に震えが走る。
魔法を封じたら、回復も、攻撃も出来なくなるとわかっていて、ミッシェルはそうするように言ってきた。
そのおかげでアヴィンは魔獣を一体ずつ相手にする事が出来たのだ。
でも、もうこれから先、あんな場面に遭遇したら、自分はもたないかもしれない。仲間をおとりにしておいて戦うのは耐えられない。
そのくらいならいっそ、自分が傷付いてしまえばいい。
落ち着かない気持ちになって、アヴィンは何度も寝返りを打った。
腕に、触れるものを感じたのはそのときだった。
「ミッシェルさん?ごめん…うるさかったか?」
アヴィンの問い掛けに返事はなかった。
そのかわり、触れてきた手がアヴィンの腕を伝って手のひらを探り、指をからめて握りしめた。
「!!」
何も言葉はなかったが、手のひらの暖かさが、アヴィンが決してひとりではない事を教えてくれた。
手を握ると、また強く握り返される。アヴィンは涙腺が潤んでくるのを感じた。目を閉じると、涙が頬を伝っていった。
『ありがとう…ミッシェルさん。』
言葉に出すのは照れくさくて、アヴィンは心の中で何度もつぶやいた。
いつの間に眠ってしまったものか。アヴィンが次に気付いた時には朝が来ていた。
隣にミッシェルの姿はない。テントの外にもいなかった。昨夜言っていた通り、セータの町へ行ったらしい。
しばらくすると、テントの側で風が巻いた。見ていると、本当に一瞬の間にミッシェルが現れた。
「行ってきました。」
あっけに取られているアヴィンを見つけて、何でもない事のようにミッシェルは言った。
「ちゃんと眠れましたか?」
聞かれて、アヴィンはなぜだか慌てた。
「ああ。…あの、ミッシェルさん。」
ちゃんと、言うべき事は言っておきたい。アヴィンは勇気を出した。
「なんです?」
「昨夜はありがとう。何だか、心強かった。」
言葉にするのは恥ずかしかった。が、ミッシェルが嬉しそうに笑ったので、言って良かったとアヴィンは思った。
「良かった。なんだか辛そうにしていたから…。」
ミッシェルは一度言葉を切り、改めてアヴィンを見て言った。
「アヴィンさん。私はこの世界へ三賢者を訪ねるためにやって来ました。」
一体何を言うのかと、アヴィンが首をかしげる。
「ガウェイン殿やディナーケン殿とお話しも出来ました。あなたを育ててくれたレミュラス殿には会う事はかないませんでしたが、あなたと話すことが出来ました。私は、それで目的は果たしたと思っていた。」
ミッシェルが何を言おうとしているのか、アヴィンにはまだわからない。
「でも、旅をしているうちに思ったのですよ。私は、本当はあなたに会うためにここへ来たのではないかってね。考えても御覧なさい。フィルディンの三賢者がそろって心を砕いて貴方のことを心配してくれている。私は、お三方のうちのどなたを訪ねたとしても、あなたに巡り会った事でしょう。」
ミッシェルはアヴィンが言葉を飲み込むのを待ってゆっくりと後を継いだ。
「最初、私はガウェイン殿とクロワール殿に頼まれて、真実の島を目指していました。自分の旅に同行者が増えたように思っていました。けれどね、思い直したんです。私はあなたと一緒に旅をしたい。この旅を完成したいのです。」
「ミッシェルさん…」
アヴィンは何と答えていいのかわからず、言葉は口の中に消えた。
「私はそう思っているという事です。あなたにはあなたの考えがあっていいのですよ。」
ミッシェルはそう言うと、運んできた包みに関心を移した。
「さあ、食事にしましょう。町の人のお奨めの屋台で買ってきましたよ。」