真実の島へ行きましょう
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歩きはじめてすぐ、アヴィンは自分の足取りが軽い事に気が付いた。
久しぶりの感覚だった。自分の足で歩いている感覚。自分の意志で歩いているという事実。
今までは、闇雲に歩いていた。真実の島も、奇跡を呼ぶ聖水も、心の底から望んでいたかわからない。
この旅はアヴィンが自ら見つけ出したものではなかったのだ。
ミッシェルや、ガウェインが、自分を心配したがために言い出した事なのだ。
「行く」と決断したのはアヴィンだったが、あの時自分に本気があったかどうか、疑わしい。
だが、今は違う。
アヴィンはこの旅を成し遂げたいと思っている。ヴァルクドで臥せっているルティスのために。
彼女に言い置いてきた言葉を頭の中で思い出そうとするが、出てこない。
真剣に考えてこなかった証拠だ。今だったらこう言うのに。
『薬を持って帰ってくるから、それまで絶対、呪いに負けるな。』
アイメルが最後に気に掛けていた事だ。ルティスには助かってもらいたかった。
彼女はアヴィンの持つ神宝を狙っていただけで、命まで奪おうとはしなかった。
それに、彼女にも守るべき家族があることを、アヴィンは知っている。
彼女はオクトゥムの呪縛から解かれ、自由になる事が出来るはずだ。
「何か考え事ですか?」
旅の連れが聞いてきた。アヴィンは尊敬のこもったまなざしで同行者を見た。
アヴィンにこれだけの活力をくれたのは、ミッシェルが今朝言った一言だった。
「私はあなたと一緒に旅をしたい。」
それは、自分に旅への自覚と責任を求める言葉だったろうと思う。
ミッシェルにくっついて行くのではなく、たとえ一人であっても旅を成し遂げられる強い意志を持つ事が必要なのだ。
そう思うと、この数日の行動が、大人気ないわがままだったと感じられて、アヴィンは密かに反省してもいたのである。
「いや、たいした事じゃない。」
アヴィンが答えると、ミッシェルはそうですかと答えた。
会話はそれきりで、アヴィンはしまったと思った。
それまで特に知りたいとは思わなかったミッシェルの事を、知りたいと思うようになっていたのだ。
異国から来た魔道師。それもたぶん、強い力を持っている人だ。
言葉使いからは、まだ若いのに十分重々しさを感じる。そのうえ、人の心を推し量るにも長けている。
昨夜ずっと手を握ってもらっていた事を思い出して、アヴィンは少し照れくさかった。
一人きりの寂しい思いを慰めてもらったのは間違いない。
親友も何もかもなくしたアヴィンには自分から辛さを打ち明ける人はいなかった。
ミッシェルが気を利かせてくれなかったら、一人で悶々としていたに違いないのだ。
「ミッシェルさんは、ずっと修行の旅をしているんだよね?」
アヴィンは思い切って聞いてみた。
「ええ、そうです。」
「どんな修行を?」
「そうですね…いろいろと。古文書を紐解いたり、遺跡を巡ったり、賢者の方たちに教えを乞うたり…。関心のあることは全て知りたいと思うのですが、なかなかそうはいきませんね。」
「それはすごい…俺じゃ見当もつかない。」
「世界の隅々まで知りたいと思うのは、人の願いを越えているかもしれません。でも、私は知りたい。それに、巡り逢いたいものがあるんです。」
ミッシェルは、遠くを見る顔つきになった。
「旅に出る以前、いくつかの光景を見る機会がありました。私が見たのは、底知れぬガガーブの裂け目や、どこまでも続く海を鳥のように渡って行く光景でした。いつか、きっとそれらに巡り逢えると、私は信じてきたんですよ。」
「ガガーブを見てきたのか?」
アヴィンは驚いて聞き返した。それは、大地の果てる所と言われる、険しい山岳地帯のもっとも奥にある場所の名前だった。
ミッシェルはかぶりを振った。
「私が越えてきたのは海上の方です。ティラスイールとエルフィルディンを分かつ大地の裂け目は、なかなか近づけるところではありませんよ。」
ミッシェルの知識は本当に底がないようだ。アヴィンはただ聞き入るばかりだった。
「こちらの世界に入ったとき、海の色を見て驚きました。この世界の海が、どうやら私の見たものらしいです。」
「そうなのか。」
アヴィンは声を弾ませた。
「もっとも、何故海を渡っていくのか、その答えはまだわからないのですけどね。」
それらを知るためにも旅をしているのだとミッシェルは言った。
「アヴィンさんは、このあとどうされるんですか?」
逆にミッシェルが尋ねた。
「このあと? 真実の島から帰った後か?」
そんな先の事は考えていなかったので、アヴィンは答えに詰まった。
「そうだな、まだ考えつかないけど…。バルドゥス神の残りの神宝を集めた方がいいんじゃないかって、言われた事はあるんだ。けれど、俺はオクトゥム信者と争いたくない。剣を持って向かい合ったら、きっと、アイメルやマイルを失った事を思い出さずにはいられない。その人を殺めてしまうかもしれない。相手がルティスのように、騙されているかも知れないのにだ。」
「そうですねえ。芯から悪いのは、主だった連中なのでしょうね。」
ミッシェルが相づちを入れた。アヴィンはうなづいた。
「やるんなら、オクトゥム神を利用している奴を追い詰めないとだめだ。でも、俺は詳しい事は何も知らない。」
「ルティスさんが助かれば、いろいろと教えてくださるかもしれませんね。」
「俺はルティスには、家族のところへ帰ってもらいたいと思ってる。自分より小さな弟を一人で暮らさせているんだ。そんなのはおかしいよ。」
アヴィンは少々ムキになって言った。ミッシェルはそれを見て苦笑した。
「まあそれは、それぞれの考え方なのでしょうね。あなたには許せない事でも、相手にとっては当たり前なのかもしれませんよ。」
ドークスの村に入るまで、魔獣には遭わなかった。
ほっとする間もなく、二人は村の人々に聖なる木の事を尋ねて回った。
「聖なるヒイラギの木は、村の共同財産なんだ。だから、全員がいいって言ったら葉を譲ってもいいよ。もちろん私は構わないよ。」
穏やかな村らしい取り決め事だった。聖なる木に続く道を守っている男に言われ、アヴィンたちは村人全員から了承を取り付けた。
「この道をまっすぐだよ。…あっ。」
二人に道を示した男は何かを思い出して小さく叫んだ。
「?」
「さっき、神木の周りを掃除するって行った奴がいるんだ。神木の葉は、自然に落ちたものしか取っちゃいけない決まりなんだよ。間に合うかな。」
「なんだって!」
「急ぎましょう。」
二人は男に礼を言うのももどかしく、走り出した。少し行くと、物の焼ける匂いが漂ってきた。
「あ、あそこだ!」
アヴィンが木々の間から立ち昇る一条の煙を見つけた。
「おや、何だいあんたたち。」
血相を変えて走ってきた二人に、焚き火をしていた男はのんびりと尋ねた。
「神木は、神木のヒイラギの葉は?」
アヴィンが聞いた。
「え? あんたたち神木の葉をもらいに来たのかい?」
男はばつの悪そうな顔をして、足元で燃えている落ち葉の山を見た。アヴィンとミッシェルもそちらを見る。
「…全部、燃やしちゃったよ。」
男は頭を掻いた。
「何だって…。」
アヴィンが絶句する。あたりを見回すが、神木の木の下は掃き清められて一枚の落ち葉もなかった。
「参ったなー。自然に落ちてくるのを、待つしかないんだよね。」
男も悪いと思ったのか、あちらこちらを目で探しているが、やはり見つからないようだった。
「おや。」
ミッシェルが何かを見つけた。
「すみません。ちょっと後ろを向いていただけませんか?」
男に言う。
「何だ?」
怪訝そうに男が後ろを向いた。
「あっ!」
「あった!」
「え?」
アヴィンは手を伸ばして、男の頭に張り付いていたヒイラギの葉を取った。
「これ、神木の葉ですか?」
大事そうに両手に持って男に見せる。
「ああ、そうそう。それだよ。何だ、俺の頭に付いてたのか。」
「いただいてもよろしいでしょうか。」
「いいともさ。許可をもらってここへ通してもらったんだろ。」
「ありがとうございます。」
ミッシェルはアヴィンから神木の葉を受け取ると大事にふところへしまった。
「行きましょう。真実の島へ。」
村には、漁をする小さな船しかなかった。
持ち主の漁師は船を貸す事にはやぶさかでなかったが、二人も乗れば定員なので、自分が船頭をする事は出来ないと言った。
「結構です。私たち二人で参ります。」
ミッシェルはそう言って、漁師に皮袋を一つ預けた。
「もしも、船が戻らなかったときには、これを差し上げます。」
漁師は皮袋を開いて目を剥いた。
「あんた、こりゃあ…。」
「戻ってくるまで預かっていてください。」
ミッシェルはにこやかに言った。アヴィンは横で顔をこわばらせて聞いていた。
ミッシェルが船一隻の代金に相当する物を預けたのは明白だった。
つまり、真実の島へ渡るのに、命を賭ける危険を覚悟しているという事なのだ。
「わかった。預かろう。偽善の海は穏やかになる事を知らない海だ。少しでも不安になったら、無理をしないで帰って来なさい。」
「ご忠告ありがとうございます。では。」
ミッシェルは船に乗り移った。アヴィンも飛び乗る。ミッシェルが櫂を取り、小さな漁船は荒海へ漕ぎ出していった。