カヴァロ解放
day3-1
「おはようございます、デミール市長。」
朝一番に国際劇場の臨時市庁舎を訪れたのは、メリトス女史だった。
「やあ、メリトスさん。お早いですな。」
「例の貴族のパーティが決まりましたのよ。それが、何とあさってですの。あさっての夕方から、お時間を空けていただけますかしら?」
「それはまた、急な話ですね。ヌメロスの連中は来るのですか?」
「ええ。ゼノン司令が乗り気だそうですわ。」
「それなら行かなくちゃ。しかし、急な事ですな。支度が出来るのですか?」
「演奏家たちは今日から詰めてもらいますわ。非常時ですし、招待する方も形式にはこだわらないと言っておりますわよ。」
「承知しました。侮りがたい相手ですが、負けてはおれません。連中の目的を聞き出してやりたいですな。」
デミール市長は肩を鳴らしてみせた。
朝食を済ませてホテル・ザ・メリトスを出たアヴィンとマイルは、街のあちこちで、市民たちがひそひそばなしをしているのに気が付いた。
よく見ると、彼らが立っている側の壁には、昨日まで見かけなかったポスターが貼られている。
二人は顔を見合わせ、人垣に近寄った。 それは、ヌメロス軍が張り出した手配書であった。
手配書は、ごていねいに似顔絵付きだった。アヴィンとマイルにも見覚えのある顔。
謎の女性アリアと、彼女をつけていたヌメロス軍の隊長のものだった。
「アリアさんの情報を提供した者に報奨金か。」
アヴィンが苦々しい顔で言う。
「この人、パルマンって言うのか。自分の国にお尋ね者にされるのって、どんな気持ちだろうね。」
マイルも眉をひそめる。
「あの旅芸人たちは手配されていないな。」
手配書をざっと読み下してアヴィンが言った。
「そうだね。軍隊なんかに狙われなくて良かったよ。」
「確かにな。」
二人はそっとその場を離れた。
『もしも、僕たちがあんなふうに手配されたら・・・。』
マイルは何となく後ろを振りかえった。
『縁起でもない。何を考えているんだよ、マイル!』
自分を叱咤し、マイルは歩を早めた。
「おはよう、マイルさん。」
国際劇場の前に、数人の市民が集まっていた。トムソンが、マイルを見つけて手をあげた。
「さっそく仲間を連れてきたよ。武器の扱いなんかは知らないが、街を守る気持ちじゃ誰にも負けない連中だ。俺たちと組めば仕事も覚えるだろう。」
「ありがとう、トムソンさん。皆さん、おはようございます。」
マイルは市民たちに声を掛けた。商店主と思しき、壮年の男性たちである。
「おはよう、傭兵さん。驚いたな、こんなに優しそうな人がヌメロス兵を剣で追っ払っちゃったのかい?」
「え?」
「わしは見てないんだが、昨夜小競り合いがあったそうじゃないか。」
「ああ、あれはー。」
マイルはアヴィンを見た。 アヴィンはちょっと肩をすくめて見せた。
まさか、一晩でうわさが駆け巡っているとは思わなかった。
「アヴィンさんが使ったのは魔法だろう?びっくりしたよ。」
トムソンが言った。
「ああ、まあな。」
アヴィンはあいまいに答えた。横でマイルが厳しい顔をしているので、胸を張るわけにもいかなかった。
「おはよう。ヌメロスの奴ら、今日は10人位しか街の外へ出て行ってないみたいだ。市庁舎の前で、隊列組んで演習してるぜ。」
劇場の裏手から回ってきたスタンリーが言った。
「いかにも寄せ集め兵の訓練って感じだな。鎧を着けていちゃ、誰がどうだかわからないと思うのに、遠くから眺めていると素人と玄人ってのは見分けがつくもんだな。」
「そんなに訓練されていない兵を連れてくるのが間違いだと思うけど。」
マイルが言った。
「僕たちには幸運だけどね。カヴァロに自警団がないって事を甘く見ているよ。」
「今に一泡吹かせてやるさ。見ていやがれ。」
市民たちが言う。マイルはにっこりと笑った。
「それじゃ、二人づつ組んで、見張りに着こう。」
「あの、アヴィンさんとマイルさんですね?」
その時、後ろから声が掛かった。振り向くと、ノートとペンを握り締めた男が立っていた。
容姿はきちんとしているとは言い難いが、熱心そうな表情を浮かべた男だった。
「はい、そうですけど。」
マイルが怪訝そうに相手を見た。
「私、カヴァロタイムスの記者です。是非お二人にインタビューをお願いしたいと思いまして。」
「はあ?」
マイルが面食らった顔をした。アヴィンはマイルに任せようと決め込んだ。自分が口を出すと言わなくてもいい事を話してしまうと、承知しているのだ。
「今、カヴァロ市民は戸惑い、あるいは恐怖に打ちひしがれているんです。市民の皆さんを勇気付けるのが、我が、カヴァロタイムズの使命です。そこで、勇気ある傭兵さんの活躍をお伝えしているんですが、お二人の生の声を、是非紙面でご紹介したいんですよね。」
男は一気にまくし立てた。かなり主観が混ざっていると感じるのだが、男はまるで気にしていないようだ。
「ちょっと待ってください。」
マイルが男をさえぎった。声に少し苛立ちが混ざっていた。
「僕たちはカヴァロの皆さんのお手伝いをしていますけど、そんな風に騒がれる事は望んでいません。そんな、表に出るようなことは・・・。」
マイルの脳裏を、壁に張られた手配書がよぎった。
「そうでしょうとも。その心意気、わかります。でもですね、市民の皆さんは、知りたいんですよ。身近に強力な助っ人がいること、自分たちが守られているってことをね。そして、どんな人物が街の守りに立っているかを知ることで、心強くなれるんです。お願いしますよ。」
男は食い下がった。
「勘弁してください。」
マイルがきっぱりと言った。
「そこを何とか、お願いできませんかね。」
男はなおも粘った。断られることには慣れている様子だった。
「何だ、いいじゃないか、マイルさん。」
横からトムソンが口をはさんだ。
「カヴァロタイムズは広く読まれている新聞だよ。街のために立ち上がってくれる人が増えるかもしれないぞ。」
「それは、そういう記事を取り上げてもらえばいいことだろう。僕たちの事を詮索するのは止めてもらえないかな。」
「そうですかぁ。何か理由でもおありですか?」
「・・・・・・。」
マイルが男を睨んだ。アヴィンはやれやれと思った。マイルをあそこまで怒らせると、あとが大変だ。
「俺たちはたまたまここで足止めを食らっただけだ。人助けをするのに別に理由は要らないさ。俺たちが誰だろうと、この街の人が自分の街を守る気持ちには変わりようがないだろう?」
アヴィンはマイルをかばうように男に言った。
「あなたがアヴィンさんですね。昨夜の大立ち回りのこと聞きましたよ。何でも、魔法を使ってヌメロス兵を一網打尽にしたとか。一体どこで覚えられたんですか?、剣術は、名のある剣士に従事したんですか?」
男は立て続けに聞いた。
さすがにアヴィンも、開いた口がふさがらなかった。
「もうやめてください。」
静かな声でマイルが言った。静かだけれど、腹の底から出てきたような声だった。男がマイルを見て、口をつぐんだ。マイルは静かに怒っていた。
「僕たちの事は記事にしないでください。」
「なぜですか?」
「理由は言えません。」
「それじゃあ読み手は納得しませんよ。」
マイルが押し黙った。
「まあまあ、待てよ。」
トムソンが二人の間に割って入った。
「記者のだんな、俺も訳は知らないが、傭兵さんにも事情があるさ。そんなに根掘り葉掘り聞くこたあないだろ? 今日のところは帰ってくれよ。」
「しかし・・・。」
「昨夜の大立ち回りの記事があるんだろう? それでいいじゃないか。欲をかいちゃいけないよ。」
トムソンの説得に、記者はため息をついた。案外図星だったらしい。
「仕方ないですね。またお伺いしますよ。では。」
記者はマイルに手を差し出したが、マイルは無視した。
「では、また。」
手を引っ込めた記者は、アヴィンとトムソンに一礼して去っていった。
「大丈夫か、マイル?」
アヴィンがマイルの腕を小突いた。
「・・・大丈夫だよ・・・。」
マイルが唇を噛んだ。とても、大丈夫とは思えない顔色だった。
見張りの組を分け、それぞれの位置に付かせてから、アヴィンはマイルのところへ行った。
「マイル、大丈夫か?」
マイルは今日はじめてやってきた市民に身の隠し方や、守り方を教えていたが、アヴィンを見ると固く引き締めていた表情が崩れた。
マイルはアヴィンを建物の陰へ連れて行った。
「こんな事にならないかと心配していたんだ。アヴィン、僕たち、これ以上目立っちゃいけないよ。」
マイルが真剣な顔で言った。アヴィンにはマイルの真意がわからなかった。
「ミッシェルさんに気兼ねしなくても、ある程度はこっちの都合で構わないんじゃないか? 行くかどうかわからないヌメロス帝国のために、この街を守るのをおろそかにしたくないし。」
「違うんだよ、アヴィン。そんな都合なんかじゃなくて、ヌメロス軍に目を付けられるのは、僕たち自身の安全のために、避けなきゃいけないんだ。」
「マイル・・・。」
「君はいいよ、そんなに気にせずにいられて。でも僕は怖い。今朝の張り紙を見ただろう? あんな風に手配されたらどうする?」
「じゃあ、どうしろって言うんだ? この街に自由を取り戻すのをあきらめるのか?」
「違う・・・違うよ。ただ、先頭に立って、一番目の付くところにいるのは危険だよ。もっと後ろの方にいよう。」
「でもな、この街には先頭に立つ人がいないと思うぞ。」
「アヴィン、ウルトへ戻れなくなっても良いのかい!」
「何を怯えているんだよ。大丈夫だ。俺が一緒にいるじゃないか。二人一緒だったら、どんな事だってくぐり抜けられるよ。いつものマイルに戻ってくれよ。」
アヴィンはマイルの肩を揺さぶった。
「アヴィン・・・。」
マイルは疲れの覗く顔をアヴィンに向けた。
「疲れているんだよ、マイル。ここは俺がいるから、部屋で休んで来いよ。」
「・・・ここにいても役に立ちそうにないや。じゃ、少し休んでくるよ。」
マイルは自嘲気味につぶやいて、宿屋の方へ歩いていった。
後ろ姿を見送りながら、アヴィンは気がかりでならなかった。
市庁舎から西へ少し離れた所に、カヴァロのヌメロス大使館があった。
ゼノン司令の部隊とは別に、駐在大使の配下の兵が守っている場所だ。
ここにも、ゼノン司令が交付した手配書が回ってきた。
「何だこれは?!」
駐在大使は届けられた手配書を見て、驚きの声を上げた。
「パルマン隊長・・・なんて事だ、ヌメロス軍に手配されるとは。」
大使の声は、怒りに震えていた。大使の部屋は一番奥まった一室である。入り口には当直兵が立ち、余計な者が近づく事を許さなかった。
「貴方は、こんな事で追われる身になってはいけない人なのだ。」
手配書を握りつぶし、机に叩きつける。 当直の兵士が、それを見て見ない振りをした。
「ゼノン司令・・・あなたのやり口は、もう見ていられない。」
大使は立ち上がり、部屋の中を行きつ戻りつした。
「ロッコは何をしておるんだ。」
大使が小さくつぶやいた。
ゼノン司令は、市庁舎前で演習を視察していた。
寄せ集めの兵と、わずかばかりの精鋭兵は、同じ隊にいるとは思えないほど溝があった。
お互い相手をなめてかかっているのだ。
そんな部隊を配下に持つのは屈辱的であったが、だからといって自ら手を入れて改めようとはしなかった。育てる手間暇など、掛ける価値はないと考えていた。
「何だ貴様、その顔は。」
ゼノン司令は傍らに控える精鋭兵が片目の周りに紫色のクマを作っているのを見つけた。
「は! 酒場で酔っ払って水路に落ち、その時に痛めました。」
兵は仏頂面をして答えた。
ゼノン司令は不愉快そうな顔をした。
「たるんでおるぞ!」
「は! 以後気を付けます!」
「貴様らがそんな態度だから人質を取られるような失態を起こすのだ。」
「は! 申し訳ありません、ゼノン司令!」
「あら、マイル君。どうしたの?」
宿の自分たちの部屋へ入ろうとしたマイルは、後ろから声を掛けられた。振り向くと、メリトス女史が上がってきたところだった。
「具合が悪いの?なんだか顔色が良くないわよ。」
「ちょっと・・・不愉快な事があったんですよ。」
「まあ。でも体調も良くなさそうよ。ちょっといらっしゃいな。疲れによく効く飲み薬があるのよ。」
メリトスはそう言うと、マイルの返事も待たずに背中を押して自分の部屋へ連れて行った。
「あの、お構いなく、メリトスさん。」
部屋に入り、キャビネットで探し物をしているメリトスにマイルが言う。
メリトスは答えず、すぐに一本の酒瓶を見つけてキャビネットを閉じた。
「あったわ。一杯飲んで行きなさい。それにしても、結構繊細だったのね、あなた。」
グラスに並々と液体を注ぎ、マイルに差し出す。
それを受け取って、マイルは困った顔になった。
「お酒ですよね、これ。」
「薬になるお酒よ。良く眠れるし、疲れも取れるわ。何があったの?」
マイルはしょうことなしに一口飲んだ。メリトスの問いに答える前に、ゆっくり口の中で転がし、眠気を誘う薬草が使われていると確認した。
「カヴァロ・・新聞だったかな。そんな名前のところから、僕たちをインタビューしたいと言って来たんですよ。迷惑だったので、断ったんですが・・・。」
「ああ。よれよれの格好をした記者でしょう? ごめんなさいね。あそこも私の傘下なんだけど、好奇心旺盛な記者がいるのよ。あのキャプテン・トーマスに独占インタビューを求めてみたり・・・徒労に終わっているけどね。あなたたちなんて格好の取材相手だものね。そうか、それで落ち込んでいたわけね。」
「メリトスグループの新聞なんですか?」
マイルはハッとした。希望の灯がともったような気がした。
「ええ、そうよ。」
「あの記者に、僕たちの事を調べないように頼めませんか?」
「出来ない事ではないわよ。でも、どうして? あなたたちの事を知れば、街の皆も勇気を持てるのに。」
「街にいるヌメロス軍にも知られてしまいますよね。」
「ああ、そういうことね。出身地を伏せたりしてもダメなの? あなたの家族に危害が及ぶかしら。」
「解放を手伝っている傭兵が何をしたっていう事なら構わないんです。でも、僕とアヴィンの名前が出るのは・・・。それは困るんです。」
「理由がありそうね。」
メリトスはマイルをじっと見た。
マイルは口を結んでメリトスを見返した。
「わかったわ。カヴァロタイムスに話しておくわね。」
メリトスが言った。
「ありがとうございます、メリトスさん。」
マイルがホッとした顔で言った。
「お礼なんかいいのよ。望まない取材をする方がいけないのよ。気に病まないでちょうだいね。」
「はい。」
「有志の人たちも見張りをしてくれているようだけど、正直言ってどうなのかしら? あなたたちが中心になって、ヌメロスを追い出すような勢力になれそうかしら?」
メリトス女史が、真剣な顔になって聞いた。マイルはちょっと慌てた。
「それはまだ、とても無理ですよ。」
マイルは答えた。
「数が多くないといっても、武装した兵士ですから。」
「そう・・・。何とかならないかしらねぇ。こう一つ所に閉じ込められていては、気が塞いでしまうわ。」
「ええ、全くですね。」
「私でもやりきれなくなるんだから、若い人には辛いでしょうね。」
「メリトスさん、まだお若いじゃないですか。」
マイルが言うと、メリトスは笑い転げた。
「上手ね。ふふふ、カヴァロタイムズは心配しないでちょうだい。私が話をしておくわ。あなたは、とりあえずゆっくり休んで、街を取り戻す算段に励んでちょうだいね。」
「はい、わかりました。」
マイルは礼を言って部屋を出た。薬酒のせいか、メリトスと話をしたせいか、だいぶ、気分が良くなったようだった。